第6回 2019 第5回 2018

第6回 宗像国際環境会議 2019

常若 TOKOWAKA

令和元年8月23(金)~25(日) オテルグレージュ、ロイヤルホテル宗像 他

主催/宗像国際環境会議実行委員会 共催/宗像市 後援/環境省、福岡県

宗像観光協会、宗像漁業協同組合、筑前七浦の会、宗像環境団体連絡協議会、特定非営利活動法人改革プロジェクト、宗像フェス実行委員会、キリンビール株式会社、シャボン玉石けん株式会社、TOTO株式会社、トヨタ自動車九州株式会社、株式会社トヨタプロダクションエンジニアリング、西日本電信電話株式会社、日本航空株式会社、日本製鉄株式会社、日鉄エンジニアリング株式会社、三菱商事株式会社、九州経済フォーラム、一般社団法人地域企業連合会九州連携機構(AIE)、九州大学大学院工学研究院、福岡県立水産高等学校(順不同)

一般社団法人九州のムラ、宗像大社、宗像市(事務局)

主だった出演者

中井徳太郎

環境省総合環境政策統括官

昭和37年生。東京大学卒。大蔵省入省、主計局主査などを経て富山県庁。日本海学の確立普及に携わる。財務省理財局計画官、主計局主計官などを経て東日本大震災後2011年環境省。総合環境政策局総務課長、大臣官房会計課長、大臣官房秘書課長、大臣官房審議官、廃棄物・リサイクル対策部長、2017年より現職。


柴咲コウ

環境特別広報大使

数々の映画やドラマで女優として活躍し、2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」では主役を演じる。音楽を愛し、表現方法のひとつとして楽曲のリリースを続けている。今年芸能生活20周年。事業家としては社会を多面的に捉えたビジネスを生み出している。2018年7月6日 環境特別広報大使に任命される。


中村征夫

水中写真家

1945年秋田県生まれ。19歳のときに水中写真を独学で始め、31歳でフリーランスとなる。1977年東京湾に初めて潜り、ヘドロの海で逞しく生きる生きものに感動、以降ライフワークとして取り組む。テレビ新聞報道の経験により様々なメディアを通して海の魅力や、海をめぐる人々の営みを伝えている。


二木あい

水中表現家

ギネス世界新記録「洞窟で一番長い距離を一息で泳ぐ」2種目樹立。海中と陸上世界の架け橋として海や生物との一体感、繋がりを体現した唯一無二のパイオニア的存在。TEDxTokyoスピーカー、2012年情熱大陸「二木あい」ワールドメディアフェスティバル金賞。NHK特別番組「プレシャスブルー」がシリーズ番組となっている。


伊豆美沙子

宗像市長

宗像市で育ち、OL生活を経て、家業の酒造業に従事。高校生までは、比較的、優等生?だったはずが、大学では演劇活動に没頭。周りの友達の助けにより、えんやらやっと卒業。この学生生活が女子力を実感させる。平成23年福岡県議会議員、文教常任委員長、平成30年宗像市長。亥年、みずがめ座。思い込んだら一直線のB型。


山田吉彦

東海大学教授

昭和37年千葉県生まれ。学習院大学卒業。東海大学海洋学部教授。海上保安体制、現代海賊問題などに詳しい。著作『日本の国境』『海賊の掟』『海の政治経済学』『日本は世界4位の海洋大国』『海洋資源大国』『日本国境戦争』『驚いた!知らなかった日本国境の新事実』等。


清野聡子

九州大学大学院准教授

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系助手助教、教養学部広域科学科広域システム分科助手、助教専門を経て現職。専門は沿岸・流域環境保全学、水生生物学、生態工学。漁場の開発と保全の調整、希少生物生息地の再生、地域住民や市民の沿岸管理への参加、水関係の環境計画や法制度。地域の知恵や科学を活かした海洋保護区を研究。


鈴木直登

東京會舘和食総調理長

昭和28年9月30日、新潟県にて生まれる。昭和49年株式会社東京會舘に入社。新宿区 四谷中学校、千代田区 麹町中学校等、他多数の小学校・中学校の食育特別講師として、食育に携わっている。平成20年東京都優秀技術者章(江戸の名工)受章。平成25年卓越技術章(現代の名工)受章。平成26年文化庁長官表彰。


辻口博啓

パティシエ

クープ・ド・モンドなどの洋菓子の世界大会に日本代表として出場し、数々の優勝経験を持つパティシエ、ショコラティエ。現在はオーナーパティシエ・ショコラティエとして、モンサンクレールをはじめ、コンセプトの異なる13ブランドを展開。2014年には初の海外店舗「モンサンクレール ソウル」をオープン。


森田隼人

シャボン玉石けん社長

1976年福岡県生。専修大学経営学部経営学科卒。2000年シャボン玉石けんに入社し、01年取締役、02年取締役副社長などを経て、07年より現職。シャボン玉石けんの創業者であり先代社長の森田光德氏から事業を引き継いだ2代目社長。


エバレット・ケネディ・ブラウン

写真家

1959年米国ワシントンD.C.生まれ。1988年日本に定住。日本芸術文化国際センター芸術顧問、文化庁長官表彰。epa通信社日本支局長を経て、2012年より日本文化を海外に紹介する企画に携わる。著書『俺たちのニッポン』『ガングロガールズ』共著『日本力』ほか多数。


平澤(阿曇)憲子

志賀海神社権禰宜

志賀海神社社家の阿曇家に生まれる。大学卒業後、外資系IT企業にシステム・エンジニアとして勤務。2009年に兄の前宮司・阿曇磯和氏の急逝により神職資格を取得し、2012年より志賀海神社権禰宜。


平野秀樹

青森大学教授

1954年生まれ。九州大学卒業。国土庁防災企画官、大阪大学医学部講師、環境省環境影響評価課長、林野庁経営企画課長、農水省中部森林管理局長、東京財団を経て、青森大学薬学部教授。国土資源総研所長。離島、海女など国土資源の問題を幅広く研究している。


林由佳理

宗像・海女


本田藍

宗像・海女


岸本吉生

ものづくり生命文明機構常任幹事

昭和37年生。1985年通商産業省入省。中小企業経営支援課長、中小企業基盤整備機構理事を経て2014年九州経済産業局長。中小企業政策調整統括官、中小企業庁国際調整官。2003年から2年間、経済産業省の初代環境経済室長を務め、NPO法人ものづくり生命文明機構を2006年に設立、同機構常任幹事。


岡野隆宏

環境省企画調査室長

1997年環境庁。主に国立公園、世界自然遺産の保全管理を担当。阿蘇くじゅう国立公園、西表国立公園で現地勤務を経験。2010年1ら2014年まで鹿児島大学特任准教授。2014年12月より「つなげよう、支えよう森里川海」プロジェクトに携わり、自然の恵みの保全と活用による地域づくりに取り組んでいる。2018年8月より現職。


高橋博之

日本食べる通信リーグ代表理事

岩手県花巻市出身。ポケットマルシェCEO、東北食べる通信前編集長、日本食べる通信リーグ代表。岩手県議を二期勤め、2013年事業家に転身。都市と地方をかきまぜるを掲げ、生産者と消費者をつなぐ取り組みを展開。このモデルは、全国38地域、台湾4地域に広がる。著者『都市と地方をかきまぜる』


入戸野真弓

筑邦銀行デジタル戦略担当

都市銀行に入行。2012年SBIホールディングス。2018年 筑邦銀行に着任。デジタル戦略を推進する中で、「地域のお金を地域に還元する」という地域金融機関の意義に立ち返り、「地域通貨」で地域にお金を循環させ、同時に地域通貨が地域の人と人をつなげる役割になれたらとの思いで日々奔走中。


権田幸祐

宗像鐘崎漁師

1984年生まれ。鐘崎で先祖代々続く漁師の家系の長男として生まれ、19年従事。現在衰退の一途を辿る日本の漁業に対し、資源回復と環境の改善が必要不可欠だと考える。国民共有の財産である海の資源を利用し生活する漁師と言う立場から、持続可能な漁業の在り方を問い、より多くの人と海の恩恵を共有出来る漁業を目指している。


アン・クレシーニ

北九州市立大学准教授

米國バージニア出身。日本在住歴18年。専門は和製英語と外来語。講演会活動、テレビ、ラジオコメンテーター、執筆活動を行う。2018年より西日本新聞にて、「アンちゃんの日本GO!」を毎週、連載中。書籍【ペットボトルは英語じゃないって、知っとうと!?】をぴあより出版。


花堂靖仁

早稲田大学知的資本研究会上級顧問

國學院大学大学教授、早稲田大学大学院特任教授を経て、國學院大学名誉教授。知的資産経営、知識化経済におけるIR、会計基準の国際的収斂、企業情報のXBRL化の視点からコーポレート・コミュニケーションの展開方向を探っている。


住田孝之

前内閣府知的財産戦略推進事務局長

昭和37年生。通商産業省。91年ジョージタウン大学国際政治大学院。特許庁、環境庁、経済連携交渉官、知的財産政策室長、技術振興課長、情報通信機器課長、日本機械輸出組合ブラッセル事務所長、資源燃料部長、商務流通保安審議官を経て、2018年知的財産戦略ビジョンを纏める。


岩元美智彦

日本環境設計会長

1964年鹿児島県生まれ。北九州市立大学卒、繊維商。1995年容器包装リサイクル法の制定を機に繊維リサイクルに深く携わる。2007年現社長の髙尾正樹と日本環境設計を設立。資源が循環する社会づくりを目指し、リサイクルの技術開発だけではなく、メーカーや小売店など多業種の企業とリサイクルの統一化に取り組む。


都築明寿香

都築学園グループ副総長

福岡県生まれ。都築育英学園理事長。2000年インキュベーションセンター“Hatchery”創設。2007年より日本経済大学学長。2016年リンデンホール中高校長に就任。一般財団法人都築国際育英財団理事長。日本文明研究所評議員。Asia 21 Young Leaderメンバー。RKB毎日放送番組審議委員。


森勇介

大阪大学教授

大阪大学卒業、同大学院工学研究科修了、大阪大学助手、講師、助教授、平成19年教授。結晶に関連する研究成果の事業化のために平成17年創晶、平成28年創晶超光を起業。平成25年創晶應心はカウンセリングを手掛ける大学発の異色ベンチャーで心理学的アプローチによる創造力の活性化を提唱。


福島敏満

むなかた水と緑の会代表

1951年福岡県大牟田市生。東海大学海洋学部水産学科卒業、東海大学附属第五高等学校等を勤務。14年日本アジア国際教育センター校長。83年以来、「釣川」と関わり続け、現在は『むなかた水と緑の会』会長として、市内の小学校の「水辺教室」等を担当。


浜崎陽一郎

Fusic取締役副社長

高校まで大阪で過ごし、大学から福岡に。福岡にきた当初は「ちかっぱ」の意味がわからず、さすがは修羅の街と実感。在学中に知り合った現社長の納富と大学院の時に起業し、現在に至る。福岡ベンチャークラブ理事、福岡中小企業経営者協会理事、RKB毎日放送「今日感テレビ」火曜コメンテーター(〜2019年3月)


岩熊正道

RKB毎日放送取締役

昭和37年生。1986年RKB入社。報道部記者、東京支社テレビ営業部、米国テレビメディア研修を経て、1999年テレビ編成部副部長、プロデューサー、日本レコード大賞審査委員。2008年メディア事業局コンテンツ開発部長、福岡アジアコレクションプロデューサー。2013年メディア事業局次長兼コンテンツ事業部長、2014年メディア事業局長。


松井聡史

RKB制作2部ディレクター

昨年より、環境エコディレクターの道を志す。きっかけは、「柴咲コウのサステイナブルな旅“森と湖の国”フィンランドへ」を担当したこと。九州ネット番組「世界一の九州が始まる!」では、ソーシャルビジネスの国内トップ企業「ボーダレス・ジャパン」を取材、SDGsの貧困への取り組みも取材


臼井賢一郎

KBC報道情報局解説委員長

福岡県中間市出身。1988年九州朝日放送。報道部配属。警察、行政担当後、テレビ朝日系列ベルリン支局長。ユーロ導入、EU統合、ユーゴスラビア革命等を取材。編成部長、報道局長などを歴任。調査報道番組「捜査犯罪」(日本民間放送連盟賞優秀)


奥田一宏

富山テレビ放送常務取締役報道制作局長

環境や循環と共生等のテーマで制作した番組企画は「環境の世紀」「日本海ルネッサンス循環と共生」「とやま川百景」「メダカの学校を探せ」等プロデューサーとして16年から環境省の地球温暖化防止普及啓発事業などに地方局有志連合を結成して参画。今年は「2100年天気予報」改訂版を制作。


奥田政行

イタリア料理人

1969年鶴岡市出身、庄内地方の2つの店で料理長歴任、2000年にアル・ケッチァーノ独立開業。2004年「食の都庄内」親善大使。第1回「辻静雄食文化賞」など受賞歴多数。2012年にサンマリノ共和国「食の平和大使」、国際的にも高く評価される。現在は東京・銀座のヤマガタ サンダンデロなど、複数の系列店を各地に展開している。


宮内秀樹

衆議院議員

昭和37年生。松山東高等学校、青山学院大学経営学部卒。国会議員秘書を25年経験し、2012年衆議院議員総選挙で福岡県第4区より初当選。第二次安倍内閣では国土交通大臣政務官を経験し、現在当選3回。衆議院国土交通委員会、文部科学委員会、沖縄北方特別委員会、各委員、倫理選挙特別委員会理事のほか、党では、自由民主党副幹事長として活躍。


間宮淑夫

前内閣官房内閣審議官

昭和62年通商産業省。地域振興、エネルギー、産業政策、中小企業政策、通商交渉、大蔵省主計局、経済財政諮問会議事務局、大臣秘書官等。経済産業省繊維課長、資源エネルギー庁省エネ新エネ部政策課長、経済産業省情報政策課長、内閣官房まちひとしごと創生本部事務局次長、特許庁総務部長等、7月まで内閣官房内閣審議官。


高橋政司

ORIGINAL Inc.執行役員シニアコンサルタント

1989年外務省。パプアニューギニア、ドイツなどの大使館、総領事館で日本の文化広報、日系企業支援などを担当。2005年アジア大洋州局で経済連携や安全保障に従事。2009年領事局でインバウンド政策を担当。2012年自治体国際課協会出向、多文化共生部長、JET事業部長。2014年UNESCO「世界遺産」。2018年現職。


西内ひろ

フィリピン観光大使

2014年3月、2014ミス・ユニバース・ジャパンで準ミス(第2位)を受賞。同年6月25日、自身初の書籍『準グランプリ』を宝島社より発売。東京マラソンには2015年と2016年の2年連続で出場。2017年からヒルトン東京ベイにてブライダルフェアーファッションショーのメインモデルとして活躍。2018年、フィリピン観光大使に就任。


黒田玲子

中部大学総合工学研究所特任教授

東京大学名誉教授、スエーデン王立科学アカデミー会員、TWAS Fellow、 W20運営委員、東京大学教養学部・大学院総合文化研究科助教授・教授、2012年東京理科大学教授、2019年中部大学。猿橋賞、日産科学賞、山﨑貞一賞、全国日本学士会アカデミア賞、文部科学大臣表彰、内閣総理大臣表彰、ロレアルーユネスコ女性科学賞等受賞。


葛城奈海

ジャーナリスト

ジャーナリスト、俳優。防人と歩む会会長、やおよろずの森代表。東京大学農学部卒業後、自然環境問題・安全保障問題に取り組み、森づくり、米づくり、漁業活動等の現場体験をもとにメッセージを発信。2011年から尖閣諸島海域に漁船で15回渡り、現場の実態をレポート。産経新聞『直球&曲球』連載中。


葦津敬之

宗像大社宮司

昭和37年生。昭和60年熱田神宮、同62年神社本庁、総務課長、惰報管理課長、教学課長、国際課長、財務部長、広報部長を経て、平成24年宗像大社、同27年宮司。


小林正勝

宗像国際環境会議会長


養父信夫

宗像国際環境会議事務局長

昭和37年生。「九州のムラ」編集長として、地域に生きる人々の暮らしを中心に取材を重ね、ムラとマチを繋げる。また講演や地域づくりのアドバイザーなど、グリーン・ツーリズムやスローフード運動の啓発活動も積極的に行っている。


第1日目 8月23日(金)


地域循環共生圏

<基調講演>

◇中井徳太郎 環境省総合環境政策統括官

今年のテーマ「常若」、常に若々しく、瑞々しい。これは昨年、川勝静岡県知事より「Sustainable」を「常若」に置き換えてはとの提案でもあります。

産業革命以降、人類は化石燃料によって物質的な豊かさを手に入れ、大量生産、大量消費、大量廃棄を繰り返してきました。しかし、今や地球はその限界を超え、人類の生存基盤を脅かすまでとなり、Sustainable Development(持続可能な開発)は、世界共通のキーワードとなっています。

「常若」は伊勢神宮の式年遷宮によく例えられますが、20年毎の式年遷宮は社殿や装束などの若返りとともに、匠の技術も伝承されます。社殿が絶えず生まれ変わる20年毎の再生と循環が「常若」であり、それはサステナビリティではなく、人と地球のあるべき姿ではないか。常若は循環と共生、自然の水の循環、私たちの体と同じです。

持続可能な社会は、里山の伝統的な自然資源の活用にも大きなヒントがあり、今や持続可能な社会を目指す「里山イニシアチブ」のSATOYAMAは、世界の言語になりつつあります。

第五次環境計画では、① SDGsを取り入れた質の高い新たな成長。② 地域資源を持続可能な形で最大限利用。③ このような考えを共有できるパートナーシップをつくるとなっています。地域循環共生圏には、人も自然の一部との考え方があり、これは「常若」にも通じます。健康的な人間の体と同じで、健全な循環共生システムを構築することです。森里川海の資源を活用し、AI、IoT技術を賢く使い、循環と共生をつくる。そして、そこには自然への感謝という日本の精神性、哲学が必要となります。


常若の森は今

<特別対談>

◇柴咲コウ  環境省 環境特別広報大使

◇中村征夫  水中写真家

◇二木あい  水中表現家

◇中井徳太郎 環境省総合環境政策統括官

◇葦津敬之  宗像大社宮司

◇葛城奈海  ジャーナリスト【進行】

《葦津》昨年は「水と命の循環~自然への感謝と畏怖」がテーマでしたが、今年は日本的な持続可能「常若」を世界に発信したいと考えています。

宗像の海水温は今や夏場は30度を越え、磯焼けも進み、魚種も変わり、漁獲量も半減しています。さらに平均水深が50~60mしかない玄界灘は、温暖化の影響を受けやすい環境にあります。そして、その海を何とか再生したいとして立ち上がったのが宗像国際環境会議です。

《中村》11月に放送予定の「ワイルドライフ」(NHK-BS)で、沖ノ島周辺の海を5回取材しました。私は80カ国の海に潜っていますが、どこにもない環境です。

玄界灘は荒海で行くたびに船酔いしますが、海に入ると音もなく静かで、丸い岩や四角い岩が点在していて、まるで海の祭場のようです。沖ノ島の巨岩は海中まで繋がっていますが、昔はホンダワラなどの海藻が沢山あって、船のスクリューにからまったという話も聞きました。

《柴咲》昨年「柴咲コウのサステナブルな旅」(RKB)の番組で、フィンランドの持続可能な生活や営みの旅をさせて頂き、宗像大社で葦津宮司から、世界遺産はいいところを見せがちですが、宗像は磯焼けや温暖化、漂着ゴミなどの問題を提起していると聞き、私も参加したいとお願いしました。

東京生まれ東京育ちの私は田舎に憧れ、子供の頃から夏休みは4週間、静岡の知人宅でホームステイしていました。そこには川もあり、魚も豊富で、山もありました。自然への憧れを相変わらず追い求めています。しかし、東京に住んでいて、そんな自然が減っているのではないかという焦りもあります。

2016年にサステナブルなライフスタイルを提案するLes Trois Graces(レ・トロワ・グラース)を設立し、環境への憧れと焦りから生活を見直すべきと考え、環境をワクワクドキドキに変えたいと思い、コンサートや衣食住のプロダクトの開発をしています。

《二木》海を汚しているのは人間で、それは人間のエゴでもあります。人間は地球のオーナーではなく、地球と共に生きることを考えなければなりません。

《中井》人も地球の一部と感じる必要があります。2日目にフィールドワークがありますが、5分でも海の中に入ると、感覚的に海の良さがわかります。私たちの年代は小さい頃から川や海に入っていますが、企業研修などでも森里川海で自然を感じることが大切です。

《柴咲》人間が生きられていられる感謝の気持ちは、絶対に忘れてはならないし、機会がないとそういう感覚が欠落します。日々の生活で、海や環境のために何かやられていますか。

《中村》私は東京湾に潜り続けていますが、一生江戸前を食べ続けたい、東京湾をこれ以上汚さないため、台所から汚いものは流さない。汚いものをティッシュや布でふき取って流していると、遊びに来た人たちが真似をするようになり、点から線に広がっています。

《柴咲》世界遺産が抱える課題は変わっていませんか。

《葦津》宗像では世界遺産の前から、海の問題を表面化させ、海の再生に取り組んでいます。結果、それがユネスコにも高く評価されました。世界的には、世界遺産の保全管理は歓迎されていませんが、私たちはそれをポジティブに捉えて、取り組んでいる稀有な世界遺産でもあります。これからは、危機遺産となった世界遺産とネットワークを組んで、海の問題をさらに訴えたいと考えています。

《柴咲》昨年、環境省の環境特別広報大使に任命され、SNSでも取り上げなければならないと感じる反面、答えのない不安もあります。先ずは何をすべきでしょうか。

《葦津》環境問題は最終的には心の問題、どのような心構えで取り組むのかではないでしょうか。神道にはアニミズムが根底にあり、日本人の自然観には普遍性があります。世界宗教が誕生する以前は、人類はアニミズムで自然との関係性を保っていました。そのような謙虚さが出てくれば、社会は変わると思います。

《中井》環境問題は心の問題です。健康な心を保つためには、本物の自然に触れる感性が必要です。森里川海の感じるプロジェクトによって、ネットワークを発展させたいと考えています。

《二木》日本は「気」の国で、神道には全てに魂があり、日本人は全てをリスペクトできるDNAを持っています。島国だから残った日本人のアイデンティティを世界に伝えていくことが出来たらと思います。

《葦津》海で禊をして森で祭りをする。それが健康に良いのかもしれません。環境問題もずいぶん変わりました。あまり深く考えず、取り組んだら如何でしょうか。

《柴咲》皆さんナチュラルです。これだけざっくばらんに話せる。保護か開発ではなく、多くの意見を吸い上げて議論する。海外の大規模火災や森林伐採などは怖くなりますが、肌で感じること。それに勝るものはないと思いました。


海から見た日本、宗像

<鼎談>

◇伊豆美佐子 宗像市長

◇山田吉彦  東海大学教授

◇清野聡子  九州大学大学院准教授

《山田》日本には半島や中国のゴミが流れてきますが、日本のゴミはハワイ沖水深5000メートルに沈んでいます。そういう意味では、日本はアジアの重要な位置にあり、太平洋に接する最先端にあります。日本と海外との接点は海であり、漂着ゴミは国や国民一人ひとりの問題でもあります。それを宗像で考えることは極めて重要なことです。

海洋環境の保全と開発、人の手が入った環境は手を入れ続けていく必要があります。しかし、玄海灘にはその豊かな環境があります。

宗像の客船を静かな電気推進のアルミ船にしては如何でしょうか。次世代は水素で動く上に、アルミ船はアルミにも戻せます。海の環境に影響を与えない船も今後は必要です。

《伊豆》宗像は沖ノ島を含め、3つの離島を抱えています。その中でも海への畏敬の象徴が沖ノ島です。しかし、その島を守ってきた漁業者たちが現在、苦戦しています。

宗像には公共の場所を綺麗にする団体が291チームあり、ラブアースの活動で800名近くが海岸清掃もしています。海の再生のために市民が出来ることはありますか。

《山田》海に捨てない、流さない。流れ着いたものは、そこが処理するのが原則です。海流は2000年かけて世界中を回ります。

《清野》市民を海の保全に呼び込むには、どうすればいいでしょうか。

《伊豆》日本人は海への感謝が浅い気がします。強い脅威を感謝に変えるのが宗像の使命だと思っています。

《山田》海に触れる、海に入れば目にゴミが映ります。

《清野》宗像の漂着ゴミの半分は日本、その次が韓国、中国です。ペットボトルにはマレーシアなどのものもあり、各国で使い捨て文化が広がっていることがわかります。玄界灘は東シナ海の排水口で、最も人口が集中しているのが福岡です。先ずは、福岡のゴミを減らすことが重要です。

《山田》海に触れて考える。そして、一人ひとりが周りに伝える。静岡に戻ったら、同じ世界遺産の地域として学生たちにも伝え、地域を越えて協力したいと思います。


海と日本の食文化

<対談>

◇鈴木直登 東京會舘和食総料理長

◇辻口博啓 パティシエ

◇葛城奈海 ジャーナリスト【進行】

《辻口》初めての宗像ですが、私の能登の海とよく似ています。宗像で浜焼き選手権や全国の海女サミットを開催すれば、盛り上がるのではないかと考えていました。

《鈴木》昔は灰汁の上澄みで、手や食器を洗っていました。下の方の炭は藁で洗って自然に戻し、上澄みで海藻や山菜を茹でると、鮮やかな色になります。水の洗浄に備長炭を使うのと同じです。

江戸では灰汁を使って、入り江を汚さない工夫がされていました。米の研ぎ汁は富栄養化で赤潮が発生するため、以前は茄子やキュウリ畑にまかれ、70、80年前の東京湾には白魚も泳いでいました。東京會舘では、40、50名くらいだと灰汁を使います。

《辻口》欧州のトップレストランのシェフは、日本料理の奥深さ、海藻や海苔の旨味にも注目しています。灰汁の環境に配慮した文化は、世界に発信するべきです。

働き方改革は環境への配慮、高くても良いものをつくって残さない。コンビニの大量生産、大量廃棄は捨てるべきです。ヨーロッパでは物は切らしますし、個人の時間も守られています。そういう無理のないことが、自然を守ることに繋がっていきます。資源を無駄にせず、命あるものは使い切る。無駄に働く必要もありません。


企業の取り組み

<活動取組>

◇森田隼人 シャボン玉石けん社長

本社は北九州市若松にあり、無添加石けんをつくっています。4回目の参加になりますが、健康な体と綺麗な水を守るというのが企業理念で、環境会議とも共通しています。創業109年ですが、なぜ無添加石けんをつくり続けているのか、100年の歴史を含めてお話します。

合成洗剤は台所だけでなく、シャンプーやボディソープにも入っていて、リンが含まれているため、環境に負荷を与えます。当社では、1 % for Nature プロジェクト、売上の1 %を環境活動に寄付することによって、屋久島や熊本の村、北海道の厚岸町で石けんを使う取組みに協力しています。また、JICAと泥炭火災の石けんを消化剤にしたりしています。

宗像市とは包括連携協定を締結し、環境への取組みをさらに進めたいと考えています。20数年前から宗像市に石けんの作り方を伝授してきましたが、公的施設での利用促進、石けん利用の補助などもできるのではないか。石けんを使用するエリアを分けて、実証をしながら進められると思っています。


第2日目 8月24日(土)

海の鎮守の森構想

<分科会1>

◇エバレット・ケネディ・ブラウン 写真家

◇平澤(阿曇)憲子 志賀海神社権禰宜

◇平野秀樹 青森大学教授

◇林由佳理 宗像海女

◇本田藍  宗像海女

◇長友貞治 宗像大社

◇清野聡子 九州大学大学院准教授【座長】

エバレット・ケネディ・ブラウン 写真家

私は湿板光画という幕末頃の技法で、ガラスに薬品を付けて写真を撮っています。日本の面影、最近は神道と海をテーマにしていますが、宗像は自然との関わり方が魅力的です。

昔の人は自然から情報を入手して、いろんなことを学んでいました。例えば、世界には風の言葉が30種類あり、風の吹き方で明日の天気がわかる。ひと昔前までの農民や漁民にもそういう感覚がありましたが、今では天気予報に頼っています。明治からの日本は大きく変わりましたが、自然との関わり方をどうやって取り戻すか、特に子供たちには大きな課題です。

かつての日本は、どんなに貧しくても暮らしが美しかった。魚を干す時には縄と竹を使ったり、何をやるにも美しく、それが日本人の心でした。これを取り戻せばいい。日本人と海との関わり方は、海を畏れ、海に感謝する。そこには本当の豊かさがある。お金ではありません。

平澤(阿曇)憲子 志賀海神社権禰宜

私は志賀海神社の権禰宜ですが、年間100近い祭りがあり、そこに山誉(やまほめ)種蒔漁猟祭と、11月15日の山誉漁猟祭があります。

海神の神社がなぜ山誉祭をするのか。昔の人たちは、山の栄養が川から海に入り、大漁になることを知っていた。志賀島の漁師は、天竜川で釣りをすると大漁になると言います。山誉祭は山に感謝して豊漁を願う祭りで、歴史も古く、神功皇后の「面白い祭りだから、志賀の浜の波が途絶えるまで伝えよ」との話しまで残っていて、福岡県の無形民俗文化財にも指定されています。

海と人は大昔から繋がっています。月の満ち欠けは29.5日、女性の月経は28日。サンゴが満月の時に産卵するように、女性の体は太古から月と地球との関係を引き継いでいます。人間は生物の一つです。しかし、海水温の上昇は海女業に大きな影響を与え、絶滅職種になっています。

海女は漁期と操業時間が決められ、子孫に繋ぐために環境にも敏感、弱者救済のルールもあって、優しい海女社会ができています。また、どこでも漁ができて、例えば、三重県の紀北町では年間900万円で海女漁が売り買いされています。鐘崎の海女は、これで山口、島根、石川まで北上していました。

《養父》地方創生の一つに地域おこし協力隊という制度があります。若い人たちを地方に呼び、国が3年間、特別交付税で補助するというものです。

宗像は海女発祥の地ですが、3年前に海女がいなくなるということから、全国公募したら8、9人の応募があり、そのうち2人に入って頂きました。彼女たちの任期はあと1年半ですが、何とか鐘崎で海女を続けてもらいたい。ただ、海女漁は年間100~120万円くらいですので、それ以外の組み立てが必要になります。

本田藍 宗像海女

私の前職は高校教師で、生き物が好きで生物を教えていました。鐘崎の海女は全国的には知られていませんが、西日本沿岸のルーツと言われています。

海女漁には安全を祈願するため、アワビを起こす棒に手を合わせ、船のヘリをたたいて、海に入る風習がありましたが、それも廃れて殆どしていません。アワビやサザエには多くの石が必要ですが、漁港の整備で石も砂で埋まっています。鐘崎には海藻がまだ残っていますが、海水温を調べると楽観視できない状況で、海底にはかなりのゴミも沈んでいます。海の環境が厳しいから海女が減少している。逆にいうと、海の環境を良くすれば増えると考えています。

アワビを放流したり、海藻が生えるように海底の石をひっくり返したりしていますが、今は採れないことを受け入れ、環境を守るために小さなゴミを拾ったり、皆で小さなことから一つ一つできたらいいと思っています。

林由佳理 宗像海女

体験プログラムをしたいと考えています。自分でウニを割ってウニ丼をつくったり、ヨガやサーフィンで、沢山の人々に海に触れてもらいたい。海に入るとリラックスできて、アクが抜ける感じが体験できます。足の裏から悪いものが抜ける感じがすごくいい。誰でもできて、誰でも感じられます。

《清野》森林との関係で話をして頂けませんか。

《平野》森林セラピーの拠点を全国に60数ヶ所つくりましたが、やはり難しいです。インストラクターも生計が大変です。モノを加工して売る、サービス提供で収入を得る、この2つが出口だと思います。狭く考えず、エリアで考え、複数の出口を多くの人々と相談する。

タラソテラピー、アロマセラピー、森林セラピーなどを海と複合的に組み合わせ、神社とセラピーを戦略的に宗像で考える。1、2年では無理ですが、市役所やスポンサーが4、5年バックアップして、誰かが中心となって人集め、金集め、アイデア集めをしては如何でしょうか。

長友貞治 宗像大社広報部長

実家は宮崎県の青島神社ですが、青島は周囲1キロの小さな島で、砂や貝殻が堆積してできた島と言われています。宮崎は神話の故郷でもありますが、古事記が712年、その8年後に日本書紀がつくられ、その序文に「稽古照今」とあります。古を考えて、今を照らせという意味です。時代とともに価値観は変わりますが、過去と今を照らし合わせて、最善の道を探れということです。

神道では常若とともに「中今」もよく使われます。今現在に生きる人は、過去を踏まえた上で、次世代に繋げなければならない。常若も昔のことを学んだ上で、新しい道を探すことが大切だと考えます。

日本神話は教育の場では重要視されませんが、そこには自然には神々が宿るとする考え方があります。昔の法律、御成敗式目には、「神は人の敬い、敬によって、威を増す」ともあり、人は神様の徳によって運を添うともあります。つまり、神々に感謝を捧げれば恵みを頂ける。自然は神であるという感覚、そして、我々にはその謙虚さが必要です。

《エバレット》この地域の大きな魅力は日本の玄関口であり、日本文化の原点があります。これをブランディングする。あとはやるだけです。

《平澤》宗像と阿曇は同じ海洋民族ですが争った痕跡がありません。それぞれが海の役割を分担していたようです。海は繋がっています。海の民は互いに助け合って、生きていかなければなりません。

志賀島の神さまは禊の時にお生まれになったため、禊に関しては大変厳しく、私も神職になって毎日水で禊ぎをしています。そうすると気持ちが全然違います。自分に厳しくすることによって、何かを頂いているような気がします。

《本田》漁師に山との繫がりを聞きたいと考えています。今年は若布がよく採れましたが、それは去年の大雨で沢山の土砂が海に流出したからではないか。植物は常に鉄分不足の状態にあり、そこに鉄を足すと吸収します。そんなことも原因にあるのではないかと思っています。

《平澤》森は海の恋人のカキ養殖の畠山さんは、山のフルボ酸鉄が川を伝って流れ、海の栄養になると考え、カキ養殖に成功されています。そのため毎年、山に植林をされています。山誉祭の時に講演をして頂いた時も、フルボ酸鉄の必要性を話されていました。

《会場》私の日鉄エンジニアリングでは、日本製鉄で培った技術を生かして、宗像市ではゴミ処理施設を造らせて頂いている。鉄を溶かす約1800度の温度でゴミを溶かすと、無害のケイ素成分を中心とするスラグと金属成分になります。

それをこの後の竹魚礁づくりの重石、ケイ素の入ったブロックとして提供しています。ケイ素は植物を丈夫にする肥料として使われますが、そこにはカルシウムも入っています。平成21年から実証していますが、海藻の育成に役立つことは確認されています。今回は4回目の提供ですが、今後も協力をさせて頂きたいと思っています。

《吉柳》私たちは宗像の環境グループで、ビーチクリーンロボットプロジェクト(BC-ROBOP)、北九州や宗像のビーチクリーンのための自立走行型ロボットを開発しています。海のために山を育て、いいものを水に流して海を育てる。宗像には釣川という川があり、地域の水は必ずこの川から海に流れます。今から発想を変える必要があります。

《清野》宗像の大地は縄文時代まで海でしたが、将来的には海面が上がって浸水する可能性もあります。そういう意味では、今日の話しのように森を整えて、いいものを海に流すことは大事なことです。宗像で忘れかけられていた記憶を繋ぎとめ、実践をしたり、言葉にすれば、新たな循環ができるのではないかと思います。


宗像地域循環共生圏

分科会2

◇岸本吉生  ものづくり生命文明機構

       常任理事

◇岡野隆宏  環境省企画調査室長

◇高橋博之  日本食べる通信リーグ

       代表理事

◇入戸野真弓 筑邦銀行デジタル戦略担当

◇権田幸祐  宗像鐘崎漁師

◇アン・クレシーニ 北九州市立大学准教授

◇福島光志  農業福島園

◇薄一郎   すすき牧場

◇花堂靖仁  早稲田大学知的資本研究会

       上級顧問【座長】

《花堂》地域経済共生圏では、1つ目は、地域経済を支える「食料」をどのように手に入れるのか。海と山に恵まれた宗像の一次産業との連携を考えます。2つ目は、地域「通貨」がどのような影響を与えるのか。通貨とは同じ価値のものを交換することですがそのことを考えます。3つ目は、結果的にプラス効果をもたらすべき「観光」を日本、世界から考えていきます。

権田幸祐 宗像鐘崎漁師

漁師歴19年ですが、漁師を始めた頃からいろんな問題があり、その時から改善するどころか、悪化しているのが実態です。魚が「捕れない」「売れない」「安い」この3点が漁業を加速的に悪化させています。

一番深刻なのは魚が「捕れない」ですが、環境の悪化が原因にあります。水温が1度上昇すると、海では気温が5度くらい上がった状態になります。海水温度の変化に敏感な海の生物には大変な問題です。もう一つは、海のゴミです。ゴミは最終的には海に流れ着きます。特に最近のゴミの量は年々増え続けています。ボランティアの海岸清掃はありますが、海上のゴミをとる人はいません。さらに、乱獲問題の改善には、環境の改善と資源管理が必要となります。

先ず、海上のゴミを誰が回収するのか。私は漁師が担うべきと考えています。ゴミが流れる場所などを全て知っているのは、船を持っている漁師です。日本海の上流の宗像でゴミを回収すれば、他へ流れることも防げます。漁の時間をゴミ回収の時間に転換すれば、投入量規制、資源管理にも繋がります。

環境や資源を守るには、責任ある漁師の存在が必要です。それを付加価値と捉えてくれる消費者も必要です。海を守る漁師の魚という新たな付加価値がつけば、海を守る漁師も増え、環境問題も改善され、魚の質も上がります。

入戸野真弓 筑邦銀行デジタル戦略担当

ボリビアはボリビア―ノという通貨があり、「財布にお金がない!忘れた!」と言うと、「ボリビア―ノなら大丈夫だよ」と返されます。通貨は信用と価値が認められて成り立っています。そして、それが広く認知されたものが通貨です。

常若通貨は宗像限定と思っている人が多いが、それは考え方一つで大きく変わります。宗像限定にすればそうなるし、多くの人達が使えば広がります。

かつての地域の銀行は、地域のお金は地域で循環させていましたが、それでは規模が縮小するため、他からの通貨の流通がつくられました。ただ、ここで重要な点は、地域が魅力的であるということです。

価格は全国一律ではなく、宗像でしかない価値をつくれば、そこにお金が流れます。ただ、使える場所も考えなければなりません。権田さんが環境のことを考えている漁師だから買うというのは、使える場所を限定して応援する。言い方を変えると、贔屓(ひいき)していいわけです。そういう通貨にして、都会からお金を引っ張ろうと考えています。

岡野隆宏 環境省企画調査室長

地域循環共生圏とは新しい概念のようですが、昔からしていたことを現代風に言い換えたものです。地域の資源にもう一度光をあて、それをどうのように上手く使うかということです。

環境省は、石油エネルギーから地域のエネルギーへの変換。もう一つは、民間消費の流出、大型スーパーが小さな商店を減らしてないかに注目しています。

地域資源から新たなビジネスを生み出すのが昨日のマンダラで、それは江戸時代に戻るのではなく、最新の技術、ソサイエティ5.0も使おうというものです。

都会の一極集中は情報化社会、格差によって成り立っています。しかし、ソサイエティ5.0を使えば、その情報格差がなくなるかもしれない。これからは地域資源がある方が、有利になる可能性があります。

環境省は、環境生命文明社会を目指していますが、エネルギー関係の補助金等もあります。さらに、地域の事業者や金融機関の事業化も大切だと考えています。

薄一郎 すすき牧場

安全な牛肉を20年間つくり続け、当初のエサは輸入でしたが、2001年からはオカラや酒粕を使うことで、地域とも繋がっています。遠方に輸送すると二酸化炭素を多く排出するため、地域の人に食べてもらえれば、その点も改善できます。産業と地域の繋がりは大切なことです。新しい取り組みは「上手く行かない」と言われますが、環境省と世論で叶わない夢や思想が形になると思います。

漁師の権田さんと畜産の関係では、オーストラリアは牛に海藻を食べさせて、メタンガスを減らしているそうです。そもそも地域との繫がりがなければ、何も実現しません。

福島光志 農業福島園

祖父の跡を継いで農業をしています。何故、農業なのかとよく聞かれますが、「全ては循環の中に」という言葉が好きで、その理由は環境の上に人間が立っていないからです。

3万500坪の田んぼを無農薬で栽培しています。除草はジャンボタニシという外来種を使っています。水の管理だけでできるこの農法が広がれば、海へ流れる水も綺麗になり、魚も捕れないようになります。

3年前から宗像日本酒プロジェクトにも取り組んでいて、周りの農家さんにもジャンボタニシ除草を広めています。無農薬の米の副産物を食べた薄さんの牛が無農薬牛になればいいと考えています。

高橋博之 日本食べる通信リーグ代表理事

環境の声を上げているのは農家と漁師が中心で、今のままでは他人事になりかねません。これではきちんと伝わりません。食べ物を売ることは関りを売ることであり、それは繋がりをつくることでもあります。

食べ物をつくる過程は、直ぐお金にはなりません。ただ、続けなければなりません。多くの消費者に、環境は他人事ではない仕組みをつくり、それを続けなければならないと思っていいます。

アン・クレシーニ 北九州市立大学准教授

私は25年間、摂食障害に悩まされていました。しかし、3年程前に親友から日本料理をつくろうと言われ、卵かけご飯の黄身はカロリーが高いので捨てようとしたら、イタダキマスの意味を知らないのかと怒られ、それから私と食べ物の関わりが変りました。東京で初めて海鮮料理を食べた時には泣きそうになりました。

私の23人の学生に、イタダキマスは命を頂くことだと知っているかと尋ねたら、答えられたのは1人だけでした。私はそれが残念だし、何とかしたいと思っています。

私は宗像応援大使として、日本人にとって当たり前の味噌文化とか、外国人だから気づくこと、私の病気を治してくれた日本食を大事にして、発信していきたいと考えています。

岸本吉生 ものづくり生命文明機構常任理事

世界人口が70億人となり、既存の価値観では成り立たないのは明白です。エコロジカルフットプリント(人類が地球環境に与えている負荷の大きさを測る指標)で検討した結果、政府は環境生命文明社会を方針としました。イタダキマスの意識はとても大切であり、命の循環を認識しなければ、人類は地球の資源を上回ってしまいます。

宗像は世界遺産にはなりましたが、将来に向けての活動があるから皆が集まってくるのだと思います。常若とは命の循環、その中に地域循環共生圏も含まれると考えています。

ITの発達によって、家で何でもモノが買えるようになり、地域ごとにも仕事があり、活動がやりやすい環境になっています。観光も少しずつ変わっています。観光には環境という美しさ、ここにしかないという視点も重要です。地域循環共生圏の根本は、地域だけではなく、海、川、山のような縦の関係性も必要なのではないでしょうか。


ソサエティ5.0新たな未来社会

分科会3

◇住田孝之  前内閣府知的財産戦略推進

       事務局長

◇岩元美智彦 日本環境設計取締役会長

◇都築明寿香 都築学園グループ副総長

◇森勇介   大阪大学教授

◇浜崎陽一郎 Fusic取締役副社長

◇福島敏満  宗像環境団体連絡協議会

       事務局長

◇前田雅史  お掃除でつくるやさしい未来

◇岩熊正道  RKB毎日ホールディングス

       取締役【座長】

住田孝之 前内閣府知的財産戦略推進事務局長

ソサエティ5.0は日本でつくられた言葉で、国際的にはまだ浸透していません。ソサエティ4.0と5.0では何が違うのか、一番変わったことは、1990前後の冷戦構造の崩壊によって、世界中の国々が資本主義となり、軍事と経済の両方の競争が全て経済競争になったことです。つまり、かつての東側諸国は経済だけを重視するようになったことです。

20世紀は、モノ不足により新技術でつくれば何でも売れました。21世紀は、需要が減って複雑化し、他社との協力や需要の側のニーズが必要となっています。

GoogleやAmazonは、売れるサービスや商品を組み合わせるデザインをしています。内閣府はこのような変化に対応するため、知的財産戦略ビジョンをつくりました。日本から新しい価値を発信するには、日本の三方よしのようなバランス感覚が必要です。昔はチャートを読み解く人がエリートでしたが、これからは異能みたいな人を育てて、バランスを取り、新たな融合が大切になります。

SDGsによって、ポスト金融資本主義が始まろうとしています。その一つが地球環境です。SDGsは三方よしがいいのではないか、自然との調和をビジネスにすれば、間違いなく共感を得られます。20世紀末の冷戦構造の崩壊以降、欧米の資本主義は株主重視でしたが、今、再び大事なことが見直されようとしています。

岩元美智彦 日本環境設計取締役会長

会社をつくって13年、創業時に経済と環境の両立を考え、衣類のリサイクルを手掛けました。衣料は元素や分子レベルまで分解すれば、半永久的にリサイクルできます。1着分の洋服で1着分の原材料ができる。地上資源を半永久的に活用できます。

環境問題の意識を高めるため、バックトゥザフューチャーのデロリアンを動かしたら、CNN、BBC、NHKが生放送でライブ配信してくれて、世界でも有名な環境にやさしい会社にもなりました。

リサイクルの効率を上げるために、消費者の「買う」「使う」「捨てる」から、リサイクル店で「買う」「使う」の仕組みもつくりました。今は大手の小売店やメーカーにも加わってもらっています。

衣類には「ワンバイ」「ワンリサイクル」「ワンピース」という回収キットがあり、要らないモノをポスティングすると工場に届くようになっています。ほぼ100%の人が参加しています。タグの10の50は、リサイクルが10回、50年前の資源を使っているという意味です。何年も何回も歴史を積み重ねた商品ということです。

日本製鉄の製造インフラを一部改良すると、リサイクルプラントになります。コークス炉で分解して、ベンゼンとポリエチレンを取り除き、その原料がセブン・イレブンのコーヒーカップになっています。このような商品が店頭に並ぶと、Snow Peak、Ships、adidasなどのメーカーが加わるようになりました。

自分たちの便利な生活の裏側にある資源の争奪戦を止めるには、皆がワクワクする参加型の循環型社会をつくるべきです。

前田雅史 お掃除でつくるやさしい未来

社名が長くて難しいですが、掃除の会社ぐらいで覚えて下さい。自分たちの町を安全安心で、子育てしやすい、優しい街にしたいということで、7年前に立ち上げました。

ピンクのジャンパーを着て、車にはステッカーを貼り、子育て中のお母さんの空き時間を利用して掃除しました。最初は3名からのスタートです。

すると評判になり、地域の人たちとの繫がりも広がり、日本中から依頼がくるようになり、全国クラウド活用大賞の総務大臣賞を頂くまでになりました。この時の評価は、クラウドの活用ではなく、九州の田舎で営業所もつくらず、お母さんたちの雇用がつくれる仕組みだと思っています。

東京オリンピックに向けて、首都圏の大手企業はテレワークを検討しています。そうすると田舎でもいいのですが、コミュニケーションが必要になります。田舎の小さな掃除会社で、母子が一緒に町のアパートを綺麗にするだけですが、子供は働くお母さんの姿を見て、楽しさや希望を感じます。私は次世代に希望をもたらすと本気で思っています。一隅を照らすことを皆がやれば国が輝きます。日本中にそういうお母さん方と子供を広げていきたいと思っています。

浜崎陽一郎 Fusic取締役副社長

九州大学の大学院生時代に、友人と二人でIT会社を立ち上げ、16年になります。2003年の会社設立から今日までは、ITの世界では劇的に変化した時代ですが、そのことについてお話したいと思います。

私たちの出発点は、皆さんがよく利用するAmazonの利益の殆どになっているクラウドコンピューティングです。2009年にAmazonのシアトル本社でこの話を聞いたのが始まりで、今思えば、ソサエティ4.0、5.0に繋がる大きな起点でもありました。IoT(Internet of Things)は一言では語れませんが、我々はこの分野でもエコシステムのハブになろうとしています。そしてもう一つは、2017年から人口知能のコンサルティングも始めています。

ソサエティ4.0は人とインターネットが繋がった時代、所有から利用への変化。つまり、既存ビジネスは資産が古くなると買いますが、IT業界は買うことに価値を見出しません。それよりも使う、利用する。共同で購入する形かもしれません。そういう変化でコストが劇的に削減され、失敗とチャレンジのサイクルが気軽になりました。その結果、誰でも受発信できる環境が整います。10年前は放送局が一番得意だったものが、今では、Facebook、Twitter、Instagramなど出来るようになりました。

ビジネスを考えると、人工知能、機械学習、ディープラーニング、予測への期待があります。統計データで少し先を予測する技術は、経営者からの相談もあります。しかし、その期待に応えるためにはデータが圧倒的に足りません。人はデータを発信していますが、モノが発するデータが集められていません。そして、もう一つが量子コンピューターです。やはりスピードを上げたい。新たな計算力の獲得がソサエティ5.0とすれば、複雑な体験の中から最適解を得られる時代が来るかもしれません。

森勇介 大阪大学教授

ソサエティ5.0は一言でいうと半導体です。この技術が進むと集積度が一気に上がります。紫外線の波長の短い光はIoTやAIの部品には必要不可欠で、それがなければソサエティ5.0は実現しません。私は26年前にこの紫外線を出す結晶を発見し、アメリカの半導体メーカーと一緒にビジネスをしています。年間少なくとも1000億円くらい売れていて、半導体市場は今後100倍になるとも言われています。

半導体はエネルギーを必要としますが、太陽光発電でパソコンを動かすには、直流を交流に変えたり、電圧を変えることを4、5回します。そうすると、発電した電気の4分の1が熱に代わりますが、新たな技術でこの熱を減らす半導体も開発しました。ノーベル賞の天野先生とLED用の窒化ガリウムの結晶づくりに成功したのです。10月の東京モーターショーでは、その結晶を積んだ車がお披露目されます。ソサエティ5.0にはイノベーションが必要です。湯川秀樹先生は、『世界の天才』という本で、世界一のイノベーターは弘法大師だと書いています。

弘法大師の生まれ変わりという和尚が神戸にいて、歳を聞かれた際、体の中の電子、陽子、中性子はビッグバンから変わらないので138億歳である。マイクもスクリーンも一緒の歳。その時の経験や知恵は全てビッグデータとして存在していて、それを仏教では仏と呼び、仏は皆の中に存在している。そこにアクセス出来たら全てがわかり、その状態を即身成仏と教えられました。和尚は、ある課題があったら徹底的に考えて整理し、その後は無心無我になって、頭でα波状態の信号を検知する。課題の整理はAIが得意ですが、その後の即身成仏はAIにはできません。

都築明寿香 都築学園グループ副総長

福岡に生まれ、15歳の時に渡米し、高校生の時にビルゲイツの『The Road Ahead』に感銘を受け、日本に戻ることにしました。ビルゲイツは電話が漸くネットに繋がった時代に、今の世界を描いています。アメリカが世界基準をつくり、あとはプレーヤーとして踊らされる。私は日本で何が起こるのかを見たいと思い帰ってきました。

大学ではITを学び、投資活動に生かそうとしましたが、何のためにITを使うのかと聞いても答えられない。しかも上場や名誉だけが目的で継続する人は皆無。昔の日本的な経営は何故、廃れたのかと疑問を感じ、生きたついた結論は、資本主義の枠組みは欧米が決めていて、私たちにはルールを決める権限がないということでした。

資本主義は、株主の利益が最優先され、労働者はコストです。三方よし、八方よしのような日本的な考え方とは全く違う上に、資本主義は人間の欲望が加速度的に開放され、環境破壊や格差社会、精神疾患を副作用として引き起こしています。これからは金融資本主義でなく、人を中心とした資本主義とすべきです。そうでなければ、地球がなくなるまでやり続けます。

そういう中で、日本経済大学では創立50周年で、公益資本主義を唱えている原丈人さん、共感資本主義を唱えている鎌倉投信の新井さんとフォーラムを開催し、日本から提起できる新しい指標を提案頂きました。

もう一つ大切なのは心の教育です。日本はかつて自分の修身、世の治め方という教育がされていました。渋沢栄一先生は心の問題を『論語と算盤』で訴えていて、経済を日本で実際に発展させましたが、日本は戦後の経済活動において自分たちでルールが決められなくなり、GHQの思想統制により徳を積むなどの考え方が学校で教えられなくなりました。

偏差値や売上げは数値化できても、心や徳は数値化できません。新しい社会をつくるには、一人ひとりの心の芯、本質を問うことが必要です。今後、どういう形か分からないですが、心の教育に特化した研究所や学校をつくろうと考えています。

《岩熊》この環境会議では、SDGsや循環型社会を「常若」にして、宗像から日本、世界に広めようとしています。

《中井》日本から発信したいと本気で考えています。SDGsを尊重はしますが、式年遷宮のような20年ごとの循環や共生をどう発信するか知恵を出したい。環境省は、閣議決定で生命文明社会や地域循環共生圏まできています。あとは法律をつくるぐらいです。

日本からどんどん発信しますが、自ずと学ばざるを得ない経済や社会の仕組みを見せたいと思っています。皆さんの意見を聞かせて下さい。

福島敏満 宗像環境団体連絡協議会事務局長

宗像市は昭和36年にベッドタウンの道を選び、田畑を埋めて山を切り開いて団地が造られ、人口が増えました。その後、1982年の河川汚染度の調査では、宗像の釣川の汚染源の80%の原因は合成洗剤でした。東京の多摩川が泡だらけになり、霞ヶ浦がアオコで真緑に染まり、合成洗剤が問題になっていた時代です。

そして、宗像で唯一の飲料水源、全長16kmの小さな釣川が使えない段階まできていたため、宗像の約80団体で釣川を綺麗にしようとなり、ゴミ拾い、土手の草刈り、釣川祭など、自分たちでお金を集めて盆踊りまでしました。その時、食廃油の石けん利用に多大な尽力を頂いたのがシャボン玉石けんの先代社長でした。小型トラックに洗濯機と石けん釜、16ミリフィルムを積んで公民館を片っ端から廻り、誰もいない時も度々ありました。

その後、平成3年に「むなかた水と緑の会」が発足され、宗像市も特別な部署をつくり、釣川ルネッサンス計画がつくられました。下水道整備のハード面は宗像市、ソフト面はむなかた水と緑の会が担うことになりました。市内15の小学校の4年生を対象にした水辺教室は、釣川の源流探訪や水質調査などを行っています。クラス単位で一日、15校で年間27、28回。これを28年ほど続けています。最近は若い学校の先生や父母たちが受けたいと言っています。

釣川の先には大島、そして沖ノ島があります。危機遺産にならない5つのことを提案したいと思います。1つ目は守る。世界遺産としての価値の維持向上。2つ目は整える。自然環境及び1次産業の生活環境の保全。3つ目は伝える。来訪者への適切な情報及びサービスの提供。4つ目は生かす。地域資源の活用と観光ルートへの誘導。5つ目は受け入れる。居住空間及び賑わいの空間をつくる。

むなかた水と緑の会もいろんな貢献ができます。そのためにも細く長く続けていきたいと考えています。

《岩熊》有難うございました。先ずは、宗像基準をつくる。ここにはいろんなノウハウがあります。この環境会議で深く論じて、深く固めて、宗像ルールをつくり、これを日本に広め、そして世界に広めていく。1人ではできないですが、これだけ集まったら世界でもやれます。これだけ意識の高い、能動的な会議は珍しい。海外でもMUNAKATAは環境になるように浸透させましょう。そして、世界の危機遺産の解決策を私たちがつくることによって、それが共感を呼ぶのではないかと思います。


第3日目 8月25日(日)

映像でみる地球環境問題

<映像上映>

水産資源減少の責任は誰に?若手漁師の叫び

松井聡史 RKB制作2部ディレクター

去年、「柴咲コウのサステナブルな旅」を制作し、それまで環境には興味がありませんでしたが、現在、ももち浜で勝手にビーチクリーンをしています。

漂着ゴミには様々なものあり、岩場の間にも落ちていいます。マイクロプラスチックも多く、海藻のついたカサ、紙オムツもあり河原で誰かが捨てたのだと思います。

ゴミは一期一会、そのとき拾わないと、次の日に行ってもなくなっています。ある日、子供がゴミ拾いを手伝ってくれました。小さい頃の綺麗な海に戻そうという深層心理が働いていますが、よくよく考えると、子供に汚れていることを認識させることも重要だと思いました。

RKBは福岡タワーの海の近くにありますので、海の保全活動に積極的に関わっていくべきと考えています。自分たちの会社でプラスチックを減らす活動もすべき。そういう会社にしたい。ESG投資を受ける会社にしたいと思います

人類全体で克服へ!海洋プラスチックごみ問題の現実

臼井賢一郎 KBC報道情報局解説委員長

ここ一年、海洋プラスチックゴミがフォーカスされ、どんな危機が来るのかわからないのがこの問題の核です。世界のプラスチックの生産量は20倍になっていて、このままでは魚の重量を上回ると言われています。G20サミットでは、オーシャンビジョンが採択され、2050年までにプラスチックゴミによる海洋汚染ゼロを目指すことが共有されました。

日本では分別収集は進んでいますが、東南アジアは全世界の30%を廃棄しています。北九州市ではUNEPと連携して、人材育成に取り組んでいます。主婦たちの取組みでは、木綿でタワシをつくってスポンジの代わりにし、プラスチック製品をなるべく使わないようにしています。生ゴミの袋を新聞紙でつくったり、蜜蝋でつくったラップなどを使用したりしています。スターバックスは2020年までにストローを廃止し、ユニクロもショッピングバッグを紙に変えました。

政府のプラスチックの資源循環戦略は、3R+Renewableの原則、リデュース、リユース・リサイクル、再生利用(バイオマスプラスチック)です。課題は複雑ですが、皆さんと取り組んでいきたいと思います。

日本海ルネッサンス 適応と共生

奥田一宏 富山テレビ常務取締役報道制作局長

これまで富山の事象を記録してきました。海は4年前から日本財団の日本海プロジェクトを実施しています。宗像と富山を結ぶ日本海ですが、その流れに変化が起きています。環境省の沿岸漁業の調査では、対馬暖流の勢いが増していることが判明しています。

日本海は世界の5倍のスピードで水温が上昇し、8度上がるのは日本海の中心でカニの漁場でもあります。

ブリは、東シナ海で産卵して、生まれた所から南方へは行かないとされていますが、その産卵場所が徐々に北になっています。若狭湾で生まれたブリは九州には行かない。能登半島で産卵すると富山には来ない。以前、「ブリが消える日、亜熱帯富山」という番組も作成しましたが、現実になっています。

魚は適温適地に渡りますが人は動けません。一人ではなく、仲間と一緒にやっていくことが大事です。毎月8のつく日は、社員総出で社屋近辺や海・川で清掃活動をしています。中々減りませんが、綺麗になればゴミを捨てる人も減るのではないかと活動を続けています。


常若な社会を目指して

パネルディスカッション

◇奥田政行 アル・ケッチャーノ

      オーナーシェフ

◇宮内秀樹 衆議院議員

◇間宮淑夫 前内閣官房内閣審議官

◇高橋政司 ORIGINAL Inc.執行役員

◇西内ひろ フィリピン観光大使

◇葦津敬之 宗像大社宮司

◇葛城奈海 ジャーナリスト【進行】

《葦津》「常若」とは心と技が重なる部分、日本人の自然感と技術を生かすことではないでしょうか。一方、地球環境問題の根底には人類の物欲があり、それは時間を戻せば解決しますが、人々は今の生活を手放したくないという矛盾の上にあります。

あらゆるものにも神々が宿るという神道(日本)の自然観は、自然に対する謙虚さ、抑止力にもなります。物質文明から常若文明に転換するためには、心はモノでは満たされないことを自覚した上で、自然を敬い、自然に逆らわないことではないでしょうか。

《西内》去年、フィリピンの観光大使になり、子供たちの文具や弁当配給のボランティア活動をしています。子供たちは貧困でもキラキラしていて、豊かさとは何かを考えさせられます。

フィリピンは人口1億98万人、平均年齢24歳、インフラは整っておらず、ゴミ拾いをして生きる子供たちが沢山います。スモーキーマウンテン(マニラ市北方のスラム街)は1995年に閉鎖、ボラカイ島は生活排水や観光客のゴミが問題となり、2018年4月から入場禁止。私もボラカイ島の子供たちとゴミ拾いなどをしていますが、漸くホテルのストローが紙になり、排水を直接流さないなど取組みが始まりました。

フィリピンでは日本の教育が参考にされていますので、私も教育を伝える活動をしたいと思っています。

《宮内》世界遺産の際には、当時、外務省の高橋さんにも大変な尽力を頂き、福岡県、宗像市、宗像大社、それぞれに活動をやって頂きました。地域にとっても素晴らしいエネルギーを与えてくれました。現在は、世界遺産に来て頂いた方々に何を伝えるのか、何を楽しんで頂けるかの検討を始めています。

登録時には、宗像の素晴らしさを伝えてきましたが、登録後は訪れた方々に何を持って帰ってもらうかを考える責任があると思っています。

《奥田》食べ物は生きものであり、食べ物に熱を入れたものが料理です。塩を突き詰めれば川になり、川を突き詰めれば森になります。

庄内は7つの土を持つ地域で、四季もはっきりしていて、原産地の土を調べると食べ方がわかります。加えて、何がいるのか、人が入ってきて何が起こったかを勉強していくと、食文化、食習慣がわかります。

アルケッチャーノは、庄内の食の文化財を最も活用しています。庄内の食文化を楽しむツーリズムもプロデュースしていて、魚の供養塔がある龍澤山善寳寺にお賽銭をあげてから旅が始まり、水族館で魚の目利きなども体験してもらっています。

《高橋》宗像の世界遺産は、最も厳しいものでしたが、最も強いチームでもありました。世界登録には問題もあり、その一つが環境問題です。チュニジアのイシュケル国立公園は、淡水と海水のバランスが壊れ、渡り鳥の営巣がなくなり。ベトナムのハロン湾は、海洋ゴミが大量に流れ込み、下水がないため病原菌が蔓延。オーストラリアのグレートバリアリーフは、サンゴ礁の白化が進んで壊滅的。ミクロネシア連邦のナン・マドール遺跡は、波の浸食などで破壊が進んでいます。

世界遺産の危機遺産は改良されなければ除外されますが、現在、53が指定されています。一方、ナン遺跡は日本が強く推し、あえて危機遺産にして世界の力を借りようとしています。

そこで最も厳しい状況を乗り越えた宗像に、環境保全と世界遺産活用に特化したシンクタンク(国際機関)を設立し、国内外の環境保全の調査分析、ネットワークを構築して、宗像から世界へ情報を発信できないかと考えています。

《間宮》ポイントは常若の概念と具体的な取り組みです。一つ目は、民主主義の議論が起こっている今、社会のあり方を考えることは意義があること。2つ目は、IoTによってグローバル化が広がり、異なる価値観の人との付き合いがはじまること。3つ目は、常若はSustainableではなく、オモテナシやモッタイナイのような広がりを持たせること。SDGsは日本人からすると当たり前のことで、その先行者として常若を外国へ発信し、国語辞典だけでなく、英和辞典にも載せるくらいの心意気で取り組んで欲しいと思います。

シンクタンクについては、是非、今日決めて世界に発進し、緩やかでも小さくても継続しながら続けて欲しいです。ダボス会議と同様、地域の規模などは関係なく、続けることが大事だと思います。

《葦津》世界遺産の登録時は、① スピリチュアル、②  アニミズム、③ エコロジーをキーワードにして海外に訴え、ユネスコからも高い評価を得たが、今後もこれを使いながら世界に発信していきます。

《奥田》人にはそれぞれの宿命があり、それが折り合わされて社会ができています。生態系の縮図の料理、人と食を通じて世界を平和にしていきます。

《宮内》防災は環境問題とも直結しています。環境問題を意識しなければ、基本的に解決しません。オリンピックの柱の一つ、環境についても具体的に取り組んでいます。令和は精神性に取り組んでいく時代だと考えています。

《間宮》糞尿の循環利用などは、是非取り組んで欲しい。今日、着物を着てきたのには理由があります。着物は古くなれば、また解いて利用できます。それが常若だと思います。

《高橋》世界が直面している問題を宗像から発信する。登録に賛同した世界中の方々は、宗像のキーワードを理解されていると思います。世界遺産、危機遺産で起こっている事実を共有することが重要です。宗像から世界へ発信できる仕組みをつくっていきたいと思います。

《西内》フィリピンのために出来ることが考えらました。ファッションのリユースなどを切っ掛けにしたいと思います。


第6回 宗像国際環境100人会議 宗像宣言

第6回目となる宗像国際環境100人会議では、「常若」(TOKOWAKA)をテーマに、延べ800人の参加を得て、持続可能な地域社会について3日間議論を重ねた。

「常若」とは、常に若々しとされているが、自然界では物質は絶えず循環し、生まれ変わりつづけることで維持されていることから、循環する時間の象徴でもある。

産業革命以降の人類は、化石燃料により工業化を進め、私たちは物質的な豊かさを手に入れ、大量生産・大量消費・大量廃棄の社会経済システムを築き上げてきたが、今やその社会は地球の限界を遥かに超え、人類の生存基盤そのものを脅かしつつある。中でも海の視点からすると、これらの原因による温暖化や海洋プラスチックの汚染は、今日では私たちの身近な生活まで忍び寄りつつある。

これからの社会は、「循環」と「共生」という自然の摂理に学び、社会経済の仕組みを大きく変えていくことが求められている。そして、その礎は日本で脈々と受け継がれてきた森里川海への感謝と祈り、自然に対する謙虚さにある。

私たちはこの宗像の海で、古代から人々と出会い、新たな時代を拓いてきた先人たちの足跡、叡智に耳を傾け、一刻も早い「地域循環共生圏」の確立が必要との認識を共有した。Society5.0、さらにその先の未来へ向けて、宗像からTOKOWAKAの考え方を発信し、世界の共感を得たいと考えている。

「常若」とは、「Sustainable」(持続可能)の言いかえではなく、持続可能な定義に精神性、地球と人類のあるべき姿の可能性を含んでいる。今後は、国際機関から認定された海の影響による危機遺産とネットワークを構築し、「常若」の国際的な発信を行っていきたい。

私たちは、ここ宗像の地と海で、「常若」な地域社会の実現に向けて、国際的なつながりを深め、行動することを宣言する。

令和元年8月25日

第6回宗像国際環境100人会議 参加者一同

Munakata Declaration of the 6th MUNAKATA Eco – 100 International Symposium

At the 6th MUNAKATA Eco – 100 International Symposium, on the theme of ‘TOKOWAKA’ (a combination of 2 Chinese characters: TOKO meaning ‘perpetual’ and WAKA meaning ‘youth’), a total of 800 people participated, and discussions were held on sustainable communities over a period of 3 days. ‘TOKOWAKA’, although always youthful, in the natural world it is materials constantly circulating, being maintained by being continually reborn, making it also a symbol of circulating time.

Since the Industrial Revolution, humankind has promoted industrialization with fossil fuels, gained material wealth, and built a socio-economic system for mass production, mass consumption and mass disposal, but now that society has gone far beyond the limits of the earth, and this is threatening the basis of human survival itself. Above all, due to these causes and from the sea perspective, global warming and marine plastic pollution are now creeping into our everyday lives.

Future societies are required to learn from the natural providence of ‘circulation’ and ‘symbiosis’, and to significantly change the socio-economic structure. And the foundation for this is humility towards nature, with gratitude and prayers for the forests, villages, rivers and seas that have been handed down to us in Japan.

In this sea of Munakata, through encountering ancient civilizations, from the footprints of ancestors who had pioneered a new era, and through us listening to their wisdom, they have shared with us the recognition that the establishment of a ‘regional circulation symbiotic community’ is necessary as soon as possible. Society5.0 wishes to gain the sympathy of the world for the future ahead by sending out the concept of ‘TOKOWAKA’ from Munakata.

‘TOKOWAKA’ is not a paraphrase for ‘sustainable’, but it includes the possibility of spirituality, and the ideal form of the earth and humanity, in a sustainable definition. In the future, we would like to build a crisis heritage network based on the influence of the sea that has been certified by international organizations, and to disseminate ‘TOKOWAKA’ internationally.

We declare that, here in the land and sea of Munakata, we will deepen international connections and act towards the realization of a ‘TOKOWAKA’ community.

August 25th, 2019

The 6th MUNAKATA Eco – 100 International Symposium, All participants.


第5回 宗像国際環境会議 2018

水と命の循環―自然への感謝と畏怖

平成30年8月24(金)~26(日) ロイヤルホテル宗像他

主催/宗像国際環境会議実行委員会、共催/宗像市、後援/環境省、福岡県

宗像観光協会、宗像漁業協同組合、宗像大社、筑前七浦の会、宗像環境団体連絡協議会、九州のムラ、改革プロジェクト、宗像フェス実行委員会、キリンビール、シャボン玉石けん、新日鐵住金、新日鉄住金エンジニアリング、TOTO、日本航空、トヨタプロダクションエンジニアリング、西日本電信電話、三菱商事、九州大学大学院 工学研究院、福岡県立水産高校、宗像市

【8月24日】開会宣言|小林正勝〔宗像国際環境会議実行委員会会長〕、主催挨拶|伊豆美沙子〔宗像市長〕、来賓挨拶|小川洋〔福岡県知事〕、 過去の取組み|養父信夫〔宗像国際環境会議実行委員会事務局長〕、映像で見る地球環境| 地球の悲鳴が聞こえる~頻発する豪雨と地球温暖化~ 竹島史浩〔RKB毎日放送執行役員報道制作局長〕プラス4℃の世界〜信州温暖化のあした〜 永江淳志〔TSBテレビ信州〕脱プラスチック社会に向かう世界 金城惇平〔KBC九州朝日放送報道局報道部記者〕、基調提言|持続可能な社会へ向けて 澁澤寿一〔共存の森ネットワーク理事長〕、宗像国際環境100人会議|(助言者)黒田玲子〔東京理科大学/宗像国際育成プログラム塾長〕中井徳太郎〔環境省総合環境政策統括官〕石原進〔九州旅客鉄道相談役〕伊豆美沙子〔宗像市長〕小磯真一〔福岡県環境部副理事兼環境政策課長〕(司会者)葛城奈海〔ジャーナリスト〕(発表者)キリンビール、シャボン玉石けん、新日鐵住金、TOTO、日本航空、トヨタプロダクションエンジニアリング、西日本電信電話、三菱商事、宗像環境団体連絡協議会、宗像漁業協同組合、福岡県立水産高校、宗像大社、九州大学大学院工学研究院、九州のムラ、 交流会|オテルグレージュ

【8月25日】宗像大社正式参拝、神宝館特別展拝観、第1分科会|海と地球環境問題(助言者)エバレット・ケネディ・ブラウン〔国際フォトジャーナリスト〕藤原恵洋〔九州大学院教授〕原口浩一〔第一薬科大学教授〕(発表者)実行委員会団体、新聞社、地元漁師、海女さんなど(座長)清野聡子〔九州大学准教授〕、第2分科会|環境と経済の融合|(助言者)筑紫みずえ〔グッドバンカー代表取締役社長〕岩元美智彦〔日本環境設計代表取締役会長〕中井徳太郎〔環境省総合環境政策統括官〕(発表者)実行委員会団体、新聞社、地元漁師など(座長)花堂靖仁〔早稲田大学知的資本研究会上級顧問〕、第3分科会|学生による海の環境セッション、宗像国際育成プログラム特別講義、フィールドワーク1|竹魚礁づくり/鐘崎漁港、フィールドワーク2|漂着ゴミ海岸清掃/さつき松原

【8月26日】宗像国際環境100人会議分科会及び学生プロジェクトのまとめ|清野聡子、花堂靖仁、瓜生信汰朗、映像でみる地球環境|海洋アドベンチャー タラ号の大冒険2ー太平洋横断 サンゴの危機を救え! 堅達京子〔NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー〕、 座談会Ⅰ|水と命の循環 鈴木款〔静岡大学大学院特任教授〕岡田昌治〔九州大学特任教授〕都築明寿香〔都築育英学園理事長〕寺崎正勝〔九電みらいエナジー取締役企画本部長〕浜崎陽一郎〔Fusic取締役副社長〕(座長)養父信夫〔九州のムラ代表理事〕、 座談会Ⅱ|自然への感謝と畏怖 川勝平太〔静岡県知事〕第十四代 中里太郎右衛門〔陶芸家〕小川三夫〔宮大工〕(座長)葦津敬之〔宗像大社宮司〕、宗像宣言採択

第1日目 8月24日(金)

開会宣言 小林正勝氏 実行委員会会長

二十四節気の処暑にあたり、秋の気配も感じるころのはずですが、今年は残念なことにまだ暑さも続きそうである。今回のテーマは「水と命の循環~自然への感謝と畏怖」、いわゆるサステナブルについてだが、先人たちが培ってきた自然観を顧み、私たちが今何を考えなければいけないかを考えていきたい。皆様もぜひ3日間大いに学び、交流してぜひ考えてほしい。

主催者挨拶 伊豆美沙子氏 宗像市長

この酷暑の中、酷暑を吹き飛ばすような熱気を持って、宗像にお越しいただきましたこと感謝申し上げる。この会議は、環境問題に携わっている専門家に加え、中高生、大学生も環境について考える場として2013年から開催している。市民をはじめ、企業、地元団体も実行委員会に協力いただき開催している。

宗像は、日本の原風景ともいえる、自然豊かな環境をもつ地域である。昨年7月には「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界遺産に登録された。古来から、宗像に住む人々が自然を崇拝し、思い深めてきたこと、交流を深めてきたことが、世界の皆さんに世界の資産として評価された。環境問題は一つの国や地域だけで守ることはない。この宗像で環境について考え、世界に発信することは意義がある。3日間、シンポジウムや座談会、フィールドワークなど様々なプログラムが予定され、最終日には宗像宣言も採択される。本会議が有意義なものとなるよう祈念する。

来賓挨拶 小川洋氏 福岡県知事

本日は、宗像国際環境100人会議2018が盛大に開催されることにお喜びを申し上げる。また、ようこそ宗像へ起こしくだり、感謝申し上げる。2013年からの環境会議もますます盛大になっている。関係者の皆様のご尽力に感謝する。

昨年、宗像は神の地として、ユネスコの世界遺産に登録された。信仰と自然への感謝、畏怖が脈々と地域に続いている。福岡県は、地元と一緒になって協議会を立上げ、世界に誇る世界遺産の保全に取り組んでいる。遺産はもとより、自然、環境をしっかり守り、次世代に引き継いでいきたい。

昨年、朝倉にて豪雨災害が発生した。9時間で774ミリの豪雨が発生した。今年も各地で甚大な豪雨災害が発生した。このような豪雨は、温暖化の影響の一つともいわれている。今回の会議で、温暖化、マイクロプラスチック、漂着ゴミなど、身近な環境問題が課題として議論される。地球環境問題に内外で取り組まれている専門家が集まっており、実り多い議論と、活動につながっていくことを期待する。福岡県での滞在が皆さんにとって思い出深いものになるよう祈念する。

メッセージ 柴咲コウ 環境特別広報大使

7月7日に環境省より環境特別広報大使に任命いただいた。環境問題の現状の把握と国内外への情報発信の機会と思っていたが、台風の影響により開会宣言に参加できず、非常に残念である。皆さんんの発信された情報・メッセージを受け取り、自身の活動にも生かし、循環型社会の創造に貢献したい。この3日間が、社会にとって実り多きものとなるようお慶び申し上げる。

宗像国際環境会議過去の取組み

養父信夫 宗像国際環境会議実行委員会事務局長

ようこそ宗像へ。平成26年から開催し、今回5回目を迎える会議について振り返る。鐘崎は海女さんの発祥の地で、日本海の海女さんは鐘崎から発展していった。しかし、高齢化に加えてアワビなども減ったため、女性の海女はいなくなった。何とか、その海を守りたいと会議を始め、年に1回、海の保全や啓発、竹漁礁つくり、子どもたちの育成プログラムを実施している。

第1回目は世界的に活動されている方々もいらっしゃった。第2回は、海と森との共生、宗像の文化・自然・暮らしを未来に繋ぐとういことをテーマに、パネルディスカッションなどを実施した。水産高校の学生主導の竹漁礁を交流会で発表してくださり、これが翌年の活動につながった。第3回目からは、地元中心の実行委員会として小林会長を中心に運営し、小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏などに来ていただいた。フィールドワーク、大島の遥拝所などでゴミ拾いを行った。「大いなる海 生命の循環」がテーマで、海の鎮守の森がキーワードになった。50年前の海を取り戻すことを目標に据えた。

Think global、act locallyを標榜し、様々なプログラムをおこなうと共に、毎年、竹魚礁を10基作成し、沈めて、魚の住処やイカの産卵場所になっている。また、育成プログラムの生徒を連れて、フランスの気候変動良識サミットやユネスコ本部でも取組みを発表した。第4回では、「世界遺産から始まる新たな挑戦!」として、KBCから海のゴミの映像を発表いただいた。中国のゴミなどが日本に流れ着いている。NHKからはPM2.5の話をしていただいたが、そのPM2.5は宗像にも降り注いでいる。今年、第5回目は、宗像で何ができるのか、SDGsとも絡めながら、持続可能性とは何かを議論していきたい。経済も、文化も大事である。世界遺産になった宗像で議論する。積極的に参加いただき、宗像宣言へ貢献していただきたい。今年はブースも設置したので、ぜひご覧いただきたい。

映像で見る世界の環境

地球の悲鳴が聞こえる~頻発する豪雨と地球温暖化~

竹島史浩氏 RKB毎日放送執行役員

個人的にもこの場に立たせていただけることをうれしく思う。有明沿いの漁村で生まれ、実家は漁業を営んでいる。潮風を波の音を聞いて育った。人生のいろいろなものを教えてもらった場所であり、生活の糧を得られる場所であった。このような私がこの場で話させていただくことをうれしく思っている。

難しいテーマをいただいたが、昨年7月朝倉で非常に大きな災害が起こった。一年後、さらに甚大な被害が出た。大分でも大きな被害が出たが、その特集VTRをご覧いただきたい。

<VTR>

1年前と今年の映像である。ずっと継続して取材した。恵みの雨でもあるが、そろそろ止んでほしいという思いもあった。気象庁のデータも紹介したが、気温が上昇傾向であるのは間違いない。千年単位で見た場合、地球における温暖化と大量の雨が関連付けられるかは研究者が調べている。一言で言うのは難しいが、肌感覚で言うと、暑くなると雨も多くなっている。地球が発熱している状態ではないか。体を酷使しすぎて涙、汗を出している状況。止めるには、薬で対応するのではなく、会議で毎年議論されているように、様々な原因を探る試みをして、元に戻す。一つずつよい姿に戻していく活動が欠かせない。地球に住まわせてもらっているという気持ちでいなければならない。

有明海でも魚が減っている。タイラギ貝が減っている。子どものころは、貝柱だけでフライパンに1枚しか入れられないくらいの大きさがあったが、現在は漁そのものができなくなっている。魚の種類も量も減っている。一方、クラゲが増えている。地元ではウロコがある魚がいなくなると海が終わる、といわれていた。昔から言われていたことが本当だったら、と思うと恐ろしい。昔は宝の海といわれていた。何百年も何千年も酷使してきた地球を元に戻すために、次世代に残していくために、私たちの活動そのものを見直していき、それを周りに広げていくしかない。今年も本会議を、身の回りから、宗像に広がり、福岡県に広がり、世界に広がる、という交流の場にし、実践の場にしてほしい。

プラス4度の世界~信州温暖化のあした~

永江淳志氏 TSBテレビ信州ディレクター

これからご覧いただく映像は、NNNドキュメント17で放映した映像のダイジェスト版である。海の会議で発表することに戸惑ったが、海と山はつながっているという主催者の方のお話に、参加させていただくことにした。IPCCの世界平均気温の変化予測によると、100年後に4度も上昇する。涼しい気温を活用した長野県の産業にはすでに様々な影響が出ている。

<VTR>

①リンゴの色つきに変化が起こっており、温暖化の影響といわれている。夜の温度が下がらない影響である。リンゴは寒冷地の食物のため、温暖化を見越して、ハウス内の気温を2度高くし実験をしている。従来のリンゴに比べて、蜜の入り方に大きな差があった。従来のリンゴが作りづらくなったことは確かで、将来の生育敵地予測では、現在の4割が栽培に向かなくなるといわれている。実験でのりんごを食べてみたが、酸味があり、触感もよくない。温暖化が起こっても育てられる品種を改良して今年から出荷した。

②長野県はワイン用のぶどうの出荷が全国一位だが、最近は糖度が上がる前に熟す、酸がはやく落ちてしまうなどの現象が起き、バランスが崩れている。21年前から畑を少しずつ高所へ移動している。突然、冬期間で突然温暖化が始まったと感じている。以前は、マイナス10度以下の日が30~35 日あったが、現在は5日ほどである。寒さで幹が割れた木も出ていたが、最近は無くなり、暑さによる被害が起こる。晩腐病という病原菌が雨で広がりブドウに感染する。今年から雨除けを始めた。温暖化が進むと急な豪雨が増加し、雨による被害を防ぐのが課題である。また、暖かなると花がよく咲き、受粉率が上がるが、ヒト房に粒がつきすぎると日が入らない。栄養も分散され、中身も薄くなる。さらに紫外線が年々強くなっており日焼けする。以前はまれだったが、ここ最近は普通になった。20年前と比べると収穫は1週間~10日間は早い。収穫が9月の秋雨と重なると味が薄くなる。温暖化対策には場所を変えるのが一番で、ゆくゆくは、産地は北海道になるのではないか。

③天然寒天は世界で諏訪湖周辺のみで生産されており、テングサをつかって、氷点下の屋外で乾燥させる。寒い時期が短くなり、生産できる期間が短くなった。凍り始めても、寒さが続かない。期間が短いならば、面積を広げて閑散期の田んぼを使っている。3月にも作る業者も。形を変えても作る。四角でなくても、はねだしでも売れている現状に合せた。

りんご、ワイン用ブドウ、寒天のほか、本来温暖な地域で生産されていたレモン農家が出てきた。また、レタスの生産日本一でもあるが、不結球のレタスが多い。高温と水不足で生産量は例年の4割になり、高騰の可能性がある。温暖化が避けられなければ、適応していくしかない。農家ではその取組みが始まっている。

脱プラスチック社会に向かう世界

金城 惇平氏 KBC九州朝日放送報道局報道部記者

マイクロプラスチックの取組みを取材始めたのが3年前だが、当時はこの言葉も無かった。ペットボトル、肌着、洗顔のスクラブ、コンタクトレンズなどがプラスチックである。それらが海に流れ出し、悪影響を及ぼす。

<VTR>

2年半前、南極海から日本近海にかけて、1万キロにわたりプラスチックの浮遊物を調査した。海に流れ出るプラスチックは世界で800万トンと言われ、プラスチックのスープ状態である。赤道を越えると、プラスチックゴミは目に見えて増え、北半球では急激に増加する。網にかかる9割がマイクロプラスチックである。

世界で初めて南極海で発見され、多い海域では29万個におよぶ。福津市でも漂着ゴミと一緒にマイクロプラスチックが隠れていた。国の調査では、日本の海域1平方キロ辺り平均72万個、世界平均の27倍ものマイクロプラスチックが存在する。一昨年の世界経済フォーラムの報告書によると、プラスチックの生産量は2014年に3億1100万トンに達し、この50年で20倍以上に増加した。このうち、海に流れ出るプラスチックは、少なくとも年間800万トンに上ると言われている。このあおりを受けているのが海で生きる生きものたちである。カメがペットボトルのキャップにはまる、網に絡まって動けなくなったカニ、胃の中にビニール袋が入った鳥などが見つかっている。

東京湾では、サバの胃と腸の中に緑色のマイクロプラスチックがあった。水と一緒に飲み込んでいる。米国では4匹に1匹で見つかった。北極近くで採取されたウミドリは、プラスチックと共にPCBが検出。生き物が有害物質の運び屋になっている。プラスチックに汚染物質が溶け込んでいる可能性があるが、それが人間の中で溶け出したら問題である。今年5月、「2030年までにプラスチック包装の最低55%をリサイクルまたは再使用し、2040年までに100%回収する」とした海洋プラスチック憲章が採択された。日本でも、プラスチックに関する大型プロジェクトを開始した。軽くて丈夫、安価で排除できないが、将来への影響を知ることで、向き合い方を考え、社会を変えることをできる。

何にも無いような、タスマン海では40分、こいのぼりのような網を引くだけで、27万個のプラスチックが発見される。国内では、年間305億枚のレジ袋が消費される。一人につき300枚に上る。世界中のヒトが使ったとしたら恐ろしい。プラスチック製品を規制する国、地域も出てきた。中国はプラスチックゴミを輸入していたが、禁止した。再生して活用していた。日本も15%を中国に売っていたので困っている。ケニアでは、2017年にポリ袋を全面禁止にした。製造、販売、使用も規制している。日本では、何も規制していないが、G20などに向け、変わっていくかもしれない。

スタバ、ガスト(すかいらーくグループ)、台湾でもファーストフード店内や学校でも禁止されることになった。福岡県大木町では、先進的なゴミの分別に取り組んでいる。一般家庭のプラスチックゴミで捨てられる固いプラスチックは一般的には燃やしている。大木町では油にリサイクルする事業を福岡県で初めて着手した。周辺7自治体と契約し、年間約200トンを油に変えて公共施設などで活用している。イチゴ農家のビニールハウスの温室用にも使える。ストローは、プラスチックの1%であまり問題ではないが、取組みを始めることが大事。見えない、環境への影響、人への影響がわからないことが最も怖い。現代は、プラスチックエイジといわれ、プラスチッが鉄に代わって活用されている。次に何の時代になるかをぜひ考えてほしい。

基調提言 持続可能な社会へ向けて

澁澤寿一氏 NPO法人共存の森ネットワーク理事長

最初にショッキングな映像を見て、気持ちが落ち込んでいるが、私の講演は、この3日間での取り組みやSDGsとはなにか、というイメージを持っていただくための話だと思っている。通常は中山間地域で活動しており、山側の人間である。

ハウステンボスを退職後、マングローブの植林を13年ほどやっている。東南アジアはもちろんのこと、かつて、アラビア半島もマングローブに覆われていた。マングローブは生態系を維持する貴重なインフラである。90%以上がすでに港湾になったり、破壊された。マングローブは熱帯の漁礁である。豊かな生態系を持っていた森だが、それを復元するために植林を続けている。

その横では、伐採されてエビの養殖がおこなわれている。砂地のため、切って放置しておけば池になる。地元にとっては、簡単な養殖技術である。それを海外から買い付けに来る。台湾や日本の食糧となる。私たちがマングローブを植樹する横で、エビを育てて日本に輸出する。エビによる現金収入のおかげで、子どもたちを学校に行かせることができる。人間として最低限の生活ができるようになったと言っている。そのエビを買ってくれるのは日本で、感謝していると言われる。

子どものころお客さんが来ると天丼を取っていた。当時1,200円、掛けそばは40円の時代である。今は、天丼500円になり、かけそばは400円、10倍になった。これをウィンウィンといってよいのか?マングローブを切ってエビを育て、現金を得る。悪いことをしている人はいない。しかし、温暖化が進み、生物多様性も壊れていく。どこが問題だったのか?私たち普段の暮らしの中に問題が潜んでいる。

普段、東北地方で暮らしている。川の最上流、最後の林道から走って20分の村の入り口に金比羅山がある。なぜ海の神様がここにいるか?かつて塩の道だった。山はいろいろなものを与えてくれるが、絶対に作れないもの。これが塩。最初の道が塩を運んだ道である。塩を通して、森と海がつながっていた。西暦821年には、太政官符には、“森と川と自分たちの住んでいる在(村)はすべてつながっている、森に降る雨が自分たちの田畑を潤し、川を潤し、そして生活が成り立っている。川の水は海に行き、雲となり、海はまた雨を降らせる”という項目がある。821年に生きた人が、この水の循環を確実意識していた。これは、日本人が持つ信仰に近いということができる。山ノ神であるオオヤマヅミは春に山から下りて、田畑に水を張る。そして里に滞在して米が収穫され、秋のお祭りで山に帰り、狩りのシーズンを守ってくれる。日本の神様は山と里を回っていた。日本人の精神風土である。

鹿児島湾と東京湾はどちらの方が魚が取れるか。実は東京である。川が流れ込んでおり、豊かな生態系が作られている。一匹のサケを育てるのに350kgの動物プランクトン、3500kgの植物性プランクトン、鉄分、珪酸などは森の養分である。地球は宇宙にある一つの星である。外からは太陽エネルギーのみ。その光のエネルギーがどれくらいかというと、地球にあるまだ掘られていない石油を合わせて一瞬で燃やした量の400倍と言われるエネルギーが毎年地球に降り注いでいる。しかし、私たちには太陽エネルギーは食べられないので、植物(光合成)に依存している。それを食べてエネルギーを得ている。サケもまったく同じである。森を作るには海が必要。海を作るには森が必要。

奈良県川上村。250年生のスギがある。学生を連れていくとこんなすばらしい森というが、3~5分すると口を閉じる。江戸時代にはこの森を作れたが、自分たちは作れないということに気づく。今の方がはるかに農学、林学、土壌学、林業機械も進んだが、森を作ることはできない。250年かかるため。7世代繋がなければこの森を作れない。前日に学生と話したが、父親の仕事を継ぐ子はいなかった。どうやったら自分らしく生きられるか、ということがすべての価値である。自分のことを考えるだけの社会ではこの森を作れない。次の世代にどう繋いでいくのか、50年後100年後に何を繋いでいくのか。経済性すべてに優先するというだけではこの時代を作っていくことはできない。

環境問題は心の問題であるといわれる。プリウスに乗っても環境問題は解決しない。もっともっと欲しくなるからである。新潟県村上市奥三面集落。戦前から平家の落人集落として有名で多くの民俗学者が入っている。岩崩から1時間ほど歩いたマタギの集落で、最後の集落である。人工物はガードレールだけである。その中に忽然と42戸のこの集落が現れる。現在はダムに沈んでいる。1970年にダムの建設が決まった。その前に氾濫水害があり、建設が始まった。高度経済成長の中で、日本全国が公共事業によって潤っていた時代だった。反対したのは村の人だけだった。

集落にはかつて平家の伊藤、小池、高橋という氏名を持った人だけが住み、生き続けてきた。村を捨てることができなかったが、1985年、自分たちのエゴのために、数万人が被害を受けるのか、という風潮が強くなり、離村していった。2001年にダムは完成した。ダム建設の際には、集落の下から江戸時代の集落、戦国時代の集落跡、その下から鎌倉時代の集落跡が出てきた。さらにその下には、平安、古墳、弥生時代が出てきた。縄文遺跡も発掘された。2万3千年前に櫻島が噴火したときの火山灰メルクマールが出てきた。その下から、さらに3万年前に膨大な石器が出てきた。持続可能な集落とは何か。私が訪れたのは1990年、すでにダム工事と発掘が進み、離村した跡だった。

2001年は、ミレニアムでみなが浮き足立っていた年だった。その年に3万年続いた村がダムの底に沈んだ。関係者全員でシンポジウムを行った。なぜ、3万年の間、ここに持続可能だったのか。標高400メートルで縄文時代に海に浸かることが無かった。気候の安定性、生物の多様性、安定性、生産性が研究者から発表された。最後に、10月1日、三面川の河岸段丘に縄文遺跡だけが発見された。20戸の住居が円形に並んでいるが、1500年場所が変わっていない。ストーンサークルの一番高いところと大朝日山を結んだときに、夏至に太陽が昇ることが判明した。

水路や墓地は人間が住む世界と境界が明確である。遺跡の床には、細かな石が敷き詰められている。かまどで火をたくと、床暖房の機能を果たした。建築、行動、人類学などあらゆる研究がされたが、既存の常識とは明らかに異なる模様の縄文土器が現れた。口は筒型、取っ手がついていない。60~70センチの高さ。素焼きの土器にはすべて蓋がついていた。何を入れていたのか、分析したところ、哺乳類、おそらく人間が、嬰児が入れられていたのではないかと考えられた。なぜ墓地ではないのか。未開の人類社会ではセックスによって子供が生まれることが知られていない。こどもの再生を願ったのではないかと研究者が発表した。

そのとき、会場にいたおばあちゃんは研究者たには、違う、と発言した。東北地方では、背広の男性に対しそういった発言をすることはありえない。司会をされていたのが浜美枝さんだった。おばあちゃんに、なぜか、と尋ねた。そうすると、おばあちゃんは、自分たちも5歳までに死んだ子は家の門口に埋めてきた、と話した。車道がなかったため、子供が熱を出しても間に合わないことがあった。多くの親が山道を駆けながら、背負った子供が冷たくなっていく経験をしている。そういった子どもは、女性だけで埋葬してきた。なぜ、男性は参加しないか。おばあちゃんのお母さんの代では、42戸以上になったら、この地域は生きていけないといわれてきた。420名以上はこの生態系で生きていけないことが共有され、間引きがなされていた。間引きされた子どもは、母親だけで埋葬してきた。その風習があり、亡くなった子どもは、男性が寝静まった後に、母親が埋葬していた。研究者は何も答えられなくなった。

なぜ、門口に埋葬してきたか。おばあちゃんは答えた。家族の声が聞こえなかったらかわいそうだから。僕はその時、人生が変わるくらいショックを受けた。3万年続く持続可能性をどうやって実現してきたのかに興味があってこの集落に僕は通っていた。だが、おばあちゃんの答えは違った。亡くなった子どもたちを墓地に埋めるのはかわいそうだ。家族の声が聴けるところにいさせてやりたいと思った。明日、ダムの下に沈むにあたって、また、明日をも知れない高齢になって、自分たちの子どもたちが残っていることを伝えておかなければと思った。

持続可能性とは何か。優しさ、愛、慈しみであろう。自分の子どもを自分で埋葬しなければならない母親は自分を責めた。だが、自分を許せないと、次の日から土間に立つことはできない。畑にでなくてはならない。そうしなければ村は生きていけない。それを自分たちの中で受け入れてきた。だから、愛とか許しとか慈しみとか、今まさに私たちが宗教だとか芸術だとか音楽の中に全部投げ込んでいる、そんなことがこの三面では一番重要なことだった。その社会だからこそ3万年続くことができた。

現在、人口90万人と東京のど真ん中の世田谷区の教育委員をしている。父母は一生懸命働き、子どもはスマホゲームをしながら、学校の授業のなかで評価をされていく。ハウステンボスでも20名の役員が、毎週背広を着て、原価率、収益などの話をしていく。そこで愛が語られたことは無かった。子どもたちを学校の成績という手法で見ることで、これからの持続可能な社会をつくることができるのだろうか。たしかに競争社会に勝つ子は作れるかもしれないが、競争社会だけがこれから目指す社会か。経済性、効率性、合理性のほかに尺度は持ち得ないのか。

これが去年の三面の紅葉である。誰もこの湖の下に3万年続いた人の暮らしの持続性があったとは思わない。キノコを採る人がたまにここを通るくらいである。私たちはどこで間違ってしまったのか。経済だけではない価値をつくらなければいけない時期に来ていると私は思う。持続可能な社会とは何か。これから3万年この社会を続けるには何が必要なのか。私は65歳である。豊かな社会、便利な社会にしたいと思い働いてきた。豊かになった。モノのあふれる世界に生きている。モノが豊かであることは重要であるかもしれないが、それだけでよいのか。50年間私が明らかに見落としてきたものがある。人と人との関係、人と自然の関係、そして世代と世代をつなぐものの考え方。すべて関係性という言葉で表される。関係性は費用対効果では図ることができない。お金を払っても得られないからこそ関係性である。それを私たちは捨ててきてしまったのではないか。持続可能な社会には関係性、愛や許しや慈しみが重要である。

精神文化の中心であるここ宗像から、愛や慈しみなど、何がいったい人として大切なのか、考えていかなければならない。君たちはGDPを上げるために生まれてきたわけではない。君たちは幸せになるために生まれてきたはずである。幸せな社会とは何なのか。たぶんモノがあふれていることではない。お金があふれていることではない。そうではないもう一つの価値基準の中にこれからの持続可能な社会である。愛であり、優しさという単純なことである。SDGsは、今後の世界で実現していくことを目指したものである。そこにある精神はまさにその精神である。“世界を皆幸せにしよう”ということ。つまり誰も置き去りにしない、だれか一人が競争社会を勝ち抜いても持続可能な社会は作れない。誰も置き去りにしない社会をどう実現していくか、ぜひこの3日間続くシンポジウムの中でそのヒントを1つでも持ち帰っていただきたい。

宗像国際環境100人会議

《助言者》黒田玲子(東京理科大学・宗像国際育成プログラム塾長)、中井徳太郎(環境省総合環境政策統括官)、石原進(九州旅客鉄道相談役)、伊豆美沙子(宗像市長)、小磯真一(福岡県環境部副理事兼環境政策課長)《司会者》葛城奈海(ジャーナリスト)《発表者》山村宜之(キリンビール)、松永康志(シャボン玉石けん)、平川智久(新日鐵住金)、曾根崎修司(TOTO)、二川直人(日本航空)、間瀬晃(トヨタプロダクションエンジニアリング)、岩井隆典(西日本電信電話)、宇野豊(三菱商事)、福島敏満(宗像環境団体連絡協議会事務局長)、中村忠彦(宗像漁業協同組合組合長)、大山欣丈(福岡県立水産高校アクアライフ課教諭)、清野聡子(九州大学准教授)

中井徳太郎氏 環境省環境政策統括官

深刻な環境の映像、また、澁澤さんからのお話の後、日本の社会はこう変わる、ということをお話したい。「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」についてお話をしてきたが、ここ宗像でお話したことが、環境基本計画にも取り入れられて閣議決定され、政府の方針ともなっている。

世界的な動きとしては、SDGs、パリ協定が2015年に策定された。パリ協定の2050年までに80%の温室効果ガスの排出削減を目指すとした目標は、ハードルが高い。とてつもなく大きな変化で、経済、環境、社会での取組みが重複していく。今回の計画では、大きくパラダイムシフトをし、新たな文明社会を作っていくと政府全体で一致した。

地球環境全体が限界に近づく中で、経済、環境、社会を一致させ、豊かな社会、幸せな社会を作っていく。SDGsは17項目がばらばらではなく、相互に関連している。それぞれの課題、たとえば高齢化、人口減少、森里が荒れて鳥獣被害が出るなども相互に絡んでいる。われわれの地域経済、国際競争力を見ても、2050年に達成できていなければならない。

今回の計画はこのような趣旨で作られており、日本から打って出よう、という意味で、地域循環共生圏という概念を打ち出した。地産地消、エネルギー、祭り、文化、人。無いのではなく、ある。持っているものをボトムアップでみんなが持ち合う。循環と共生ということばにSDGsの意味なども込めている。人間のシステムそのものでもある。地球もそういう状態にある。循環と共生で、地域が自立しつつ、全体としては調和している。腸内フローラのようなイメージ。どこか一つに偏るのではない。SDGsをトータルで考えればみなが幸せになる、ということを日本から発表したい。英語でもRegional Circular and Ecological Sphere。世界は日本を見ている。日本人が言語化できていない。

国が立てた政策の方向性では、地域から見た、経済の循環を変える。国土のあり方を変える。地域とのあり方を変える。等々、重点戦略を策定した。森里川海のプロジェクトも引き続き実施している。その土台としては、地域には資源がある、ということ。意識を変革し、人と自然を近くすることをめざす。

グリーンファイナンスやESG投資が拡大し、世界や日本で流れが大きくなっている。企業自体がこのような流れに乗っていく必要もある。RE100(事業運営に必要なエネルギーを100%、再生可能エネルギーで賄うことを目標とするプロジェクト)に日本企業も方向性を合わせていくこと、グリーンであること自体が戦略的である。世界における企業の流れであり、資金の流れが変わっている。

カーボンプライシングがなくなるわけではないが、新しい経済体系を目指すべきではないか。本気で変わるために、大きな視線を持った取組みを環境省としてやっていきたい。

石原進氏 九州旅客鉄道相談役

鉄道事業では、エネルギーを使う。鉄道などだが、使用量は5割くらい減っている。新幹線の場合は、スピードを上げるとエネルギーを使うが、以前と比べると3~4割は減っている。軽量化、モーター化によって省エネ率は上がる。ブレーキをかけた際に発電する、なども可能になっている。1,000両あるうち、7割は省エネ型に変わっている。

動力エネルギーの省エネに加え、ESGに取り組む。ESGを考えながら以下のような取り組みも進めている。事務的なところでは、クールビズ、定時退社(空調使用量の削減)、紙の使用量削減、回収した切符の再利用(トイレットペーパー)等である。

観光推進機構の会長もしているが、インバウンドが増えている。それは日本がいいところだからである。季節の変化があることが理由の一つ。豊かな自然、気持ちがよく、心が休まる。これが観光にとって大事である。さらには、文化や日本食である。自然は欧州もアジアの人も楽しむ。文化は欧州の方、買い物は中国の方である。

魚獲りなどをする場所は東京ではほぼなくなった。暗渠になりマンションが建った。九州にきて30年だが孫には自然体験をしてほしい。そういう経験させると、自然を元に戻したいと思う。教育は大事である。

山村宜之氏 キリンビール

キリングループ「飲み物を進化させることでみんなの日常を新しくしていく」を掲げ、商品ブランドで新しい価値を作る、社会の課題を解決することによって価値を作っていく(CSV)ことをビジョンとしている。端的には生物資源、水資源をおいしいものにして入れ物に入れてお客様に提供する。温暖化の影響を生み出してしまうのと受けてしまう両方と密接にかかわっている。

水資源については、1999年から水源の森の活動のほか、使用料の削減、使用後きれいにして戻す、ことをしている。水源林保全による地域活性化は、私たちの事業にとってのメリットと捉えている。加えて、水循環(流域)を考えることも大事である。九州・朝倉市に工場があり、上流に森づくりの協定地があるが、豪雨で協定地にも影響があった。気候変動による影響をどう先に延ばすか、起こっているものにどう対応するかを考えなければならない。下流域の街では、容器の散乱、ゴミ防止などが課題である。容器の再生(持続可能性)を高められるよう業界としても進めている。

流域で見ると、水資源、自然保護など問題が複合的で、総合的に対策を進めていく必要があるため、地域と一緒に取り組んでいる。

松永康志氏 シャボン玉石けん

SDGsにかかわる取組みの一部と地域での活動事例を紹介する。当社は、体、衣類、食器などの洗浄剤のほか、病院の消毒剤や消火剤などを製造・販売している。北九州市は環境公害ののち、現在では、SDGsの先進都市としても指定されている。「健康な体ときれいな水を守る」、という環境方針を掲げているが、石けんを使ってもらうだけでなく、消費者の方に健康も提供する。

1960年代には合成洗剤が主力製品だった。70年代に当時の代表が自らの体験から、合成洗剤をやめてすべて石けんに変えた。石けんを使ってみると、悩んでいた肌あれが解消し、無添加製品に切り替えた。また、石けんの方が電車の洗浄の際に錆びにくいとして、国鉄からも依頼された。

何が違うかというと、石けんは生分解性に優れている。水生生物、植物に毒性が低い、人体にやさしいという特徴がある。

SDGsでは、3,12,13,14、15のターゲットに深い関係がある。最も人気の高い「シャボン玉石けん3個入り」の売上の1%を1%for natureプロジェクトとして環境保全団体へ支援している。本会議にも提供しているが、主に化学物質過敏症、柔軟剤の香り等に敏感な方へプロジェクトを支援している。きっかけになったのは、当社の代表に小学生が送ってきた手紙だった。広告にも使わせてもらい、新たな香害を知ってもらう契機とした。海外では、泥炭火災の際に消化する石けん消化剤をJICAと研究している。日本橋の橋洗いの際に、十数年前から、川に流してもよい石けんを使っていただいている。

地域との関わりでは、熊本・あさぎり町の温泉施設で石けんを採用いただいている。町長自らお越しいただいたが、漢方の生薬を地域で生産しており、ツムラの工場がある。屋久島も森里川海が凝縮された島で、ウォーターセーリング大会の支援、ビーチクリーン支援をしている。合成洗剤ではなく、石けんを使って、生物を守ることもできる。牡蠣や昆布等の生産が盛んな北海道厚岸町では、石けんの使用に助成金を出しており、町全体で取り組んでいる。

宗像との関わりは、3年前から本会議に参加しているほか、宗像大社・社務所で石けんを使用いただいている。今年は、新春の福みくじに勾玉型の禊石けんを提供した。豊かな魚介類を誇る宗像でも、多くの人に石けんを使っていただきたい。

平川智久氏 新日鐵住金

以前までは製鉄の際にでる副産物スラグを使った海洋改善の話をさせていただいたが、今日は鉄そのもののお話をする。鉄はヒッタイトの時代から使われている。記者の紹介にもあったように、鉄はプラスチックより軽いものに変わっている。鉄のよさもある。動画を作ったので、ぜひ見ていただきたい。

(動画)「鉄は人と地球とともに」

鉄はたくさんのものに使われている。地球上の金属製品の90%が鉄素材で、地球の3分の1の重さを占める。リサイクルもでき、何度でも使用できる。鉄は捨てられることはない。磁石にくっつくので、リサイクルが簡単。何度でもなんにでも生まれ変われる柔軟な素材だが、現在は鉄より軽いアルミによる炭素繊維に変わりつつある。確かに軽量化は省エネ化につながるが、素材を作るとき、リサイクルまで考えると本当に環境にやさしいか?日本の鉄製造は、世界最高水準の効率製造を誇る。炭素繊維は、回収が難しく燃やせない、取り出せない。車も炭素繊維に変わっているが、リサイクルができない。

ライフサイクルアセスメントと呼ぶが、作る、使う、使い終わる、リサイクルする、というライフサイクル全体では鉄の方が環境にやさしい。リサイクルのチャンピオンである。

新しい鉄も開発している。ハイテンと呼ばれ、使用が広がっている。鉄はその強さをまだ10%しか使っていないといわれている。効率が上げられれば、使用量が減り、軽量化できる。加えて長く、使い続けていくことができる。これを機会に、三種の神器の時代から使い続けている鉄について、ぜひ考え直していただければと思う。

曾根崎修司氏 TOTO

トイレ、キッチン、など水回りの商品の製造・販売を行っている。すべてに言えることは、水を使う商品であること。日本では蛇口をひねれば水が出る。行政等が上水設備を整備されているため、使った水はまたきれいになって循環する。

アフリカでは女性や子供が水汲みに行っている。それもきれいな水ではない。水汲みをやらなければいけないので、子どもは教育を受ける時間が無い。水は豊かさにもつながる。そして生物の豊かさが気候変動につながる。

SDGsは個別にとらえられるが、裏側ではすべてつながっている。企業は社会的責任が最も大事である。事業の中でSDGsを解決していくよう、たとえば、水を削減する、エネルギーをかけずに便座を保温する、など直接的に取り組んでいる。事業だけでは解決できず、地域にも課題が偏在している。それらの課題を一緒に解決していくことも企業の責任と考え、当社では、地域とパートナーシップを組んでいる。たとえば、水環境基金を運営しているが、法人格はなくても基金を受けることはできるので、ぜひ宗像の活動団体にも参加してほしい。

二川直人氏 日本航空

私たちは空の人間である。空を守ることも唯一無二の地球を守ることにつながると考えている。また、CSR活動では将来の世代によりよい社会を繋げることを目指している。

本業の他にも環境保全活動、次世代のための取組みを進めているが、グローバルな新たな取組みとしてSDGsに取り組んでいくことを、昨日、社長会見で発表した。2020年までに3つの目標を設定したが、その一つとしてSDGsの取組みを掲げている。大切にしている3つの分野は、地球との共生、地域社会への貢献、次世代育成である。

地球との共生では、航空機CO2排出量削減の取組みを行っている。2010年にはエコファースト企業に認定された。新型機材の積極的な導入とともにエコ運航方式を取り入れている。機材は新しければ新しいほど省エネである。また、通常は、着陸時にアクセルを踏んだりはずしたりして運航していたが、最近は、あまりアクセルを吹かしすぎずに離陸をする方法、エコ運航方式がある。着陸後は、複数のエンジンを切って排出量を減らしている。グループでは、2020年までに2005年対比で23%削減する。2015年までに15%削減が達成できた。

地球との共生分野では、上空でのCO2観測に協力している。航空会社は、世界のCO2排出量の2%を占める。ここを減らしていくことが使命である。北半球の方が、南半球よりも排出量が上昇していることがわかっているため、CO2を出さない取組みを始めている。

ジェット燃料=化石燃料であり、使うほどCO2を撒き散らしてしまう。そのため、バイオジェット燃料へ国家をあげて取り組んでいる。2009年には植物由来の燃料での飛行に成功した。都市ゴミなどを使った廃棄物系バイオマスから燃料を取り出すことを研究しており、2020年に実用化のメドをたてている。

間瀬晃氏 トヨタプロダクションエンジニアリング

デジタル技術とSDGsというテーマでお話しする。広義でいえば、SDGsすべての分野に関わるが、特にカテゴリー9.産業について話をしたい。当社は、車両製造のプロセスの一部、生産準備に携わっている。平面の設計が初めてモノに変わるフェーズである。そのため、多くのエネルギーを使う。

車は、複数のパーツを溶接して作っている。約300台のロボットを使用しており、その動きの調節、プログラミングをしているが、とてつもない時間がかかるため、コンピューターの中に工場を再現して作り出し、その中で配置や動作プログラミングを予め作りこんでそれを実際の工場で実現させている。海外工場では、現場に何人も赴くことはできないため、こうして、時間とエネルギーを削減している。

フロントバンパーの樹脂形成では、型を作って樹脂を流し込み作っているが、トライ&エラーの繰り返しである。これもコンピューターの中で、あらかじめ物理解析をして加工条件を最適化している。これも一つの省エネにつながる。モノを中心とした検討と、デジタルを活用した検討を比較すると、デジタルではモノを作り直さなくてもよい。図面で課題や不具合を抽出でき、対策ができる。

ものづくりをデジタル化することで環境負荷の低減、省エネへの貢献ができる。究極は、試作をしないでもモノづくりが実現するようデジタル化していきたい。

宗像では、竹魚礁の海中にカメラを持ち込み、VRでその状況を体験できる。明日、ぜひやってみたいと思っているのでぜひ参加してほしい。

岩井隆典氏 西日本電信電話

環境経営マスコットキャラクターとして八千草結を設定した。環境大使的なイメージで、社員から公募した。環境スローガンは「つなぐ、それはECO」である。

SDGsについては、社会の課題解決のためにSDGsへの取組みを通して貢献していくことを掲げている。

ICTでは、社会の環境負荷を削減できる。ICTによって、社会活動、経済活動による環境負荷低減に貢献することができ、仕事や人・物の移動、物の保管など自体を低減することによって、CO2を削減していく。また、ICTによる環境貢献をわかりやすく伝え、取組みを推進するため、「ソリューション環境ラベル」を設定し、2009年度から運用を行っている。

当グループでは、生物多様性保全活動をグループエリア30府県で行っており、のべ1万人が参加した。県内では、糸島市での景観を守る、福井海岸松林保全活動やラブアース・クリーンアップ2018のほか、ICTによる地域の活動支援を行っている。

宇野豊氏 三菱商事

サステナビリティ・世界の潮流とMCの対応について紹介する。当社は、森林保全やサンゴ礁の保全を実施している。主に森はブラジル、サンゴ礁の取組みは、沖縄、オーストラリアなどで展開している。

2015年のSDGsの策定あたりから大きなうねりを感じている。従来の企業活動と社会的活動はトレードオフにあると考えられがちだったが、当社は寄付やCSRをしてきた。しかし、それはサステナブルなのか。

現在では、事業を通じて社会に貢献するということがビジネスチャンスにつながると考えている。経済的価値だけではなく、社会価値、環境価値が同時に達成されなければビジネスはしない。

さらに、具体的な目標に落とし込むため、7つのサステナビリティ重要課題を2年前に設定した。特に力を入れているのが、低炭素社会への移行と自然環境の保全である。仕組みとしては、すべての投資案件を7つの切り口で審議・評価し、ビジネスにこの考え方を組み込んだ。7つの重要課題はSDGsにもひもづいている。

サステナビリティ推進体制、推進部は2年半ほど前にできた。ビジネスを通じた価値創造を行っていく。特徴的なのは海外イギリス、アメリカ、オーストラリアに専門スタッフ置いていることで、最新の情報を常にキャッチして推進している。

また気候変動にも事業活動をとして取り組む。地球環境にマイナスの事業は、投資が逃げていくと思っている。気候変動による影響を回避するためのタスクフォース、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)にも、日本代表として当社から人を送り込んでいるし、発電事業は、2030年までに再生可能エネルギー比率20%超を目指している。

自然環境の保全においては、サンゴ礁の保全プロジェクトを2005年から実施している。この活動は企業としての経済価値ではない。社会的価値、環境価値を通してビジネスを成功させる。そこに勝機がある。

まとめ

黒田玲子氏 東京理科大学教授

企業が事業を通してSDGsを実現されていることをうれしく思う。国連の諮問委員会に参画していたが、369の項目のアドバイザリーをやっていた。どう実現されていくのかを注視する立場にある。投資についても世界的な流れが変わっている。CSRではなく事業の中でやっていくという方向性になりつつある。

SDGsの精神は誰も置き去りにしない、である。インクルージョンである、というということを忘れてないでほしい。

また、LCAの考え方も大切である。リサイクルのために多くのエネルギーを使っては意味が無い。全体、トータルを見た取組みでないと環境問題は解決しない。また一世代ではなく、次世代を見ることも大事である。ストロー、マイはしでは解決しない。封筒がなぜプラスチックになっていくのか、卵パックがなぜ紙ではないのか、いろいろな視点を持ってボトムアップで解決していくことが大事である。

上水も下水もいっしょくたにできる日本は非常に恵まれている。世界の中の日本という視点でみてほしい。また、全体を見ることも大事である。風力発電でも洋上と陸上では、それぞれどれくらい金属を使うのか、ガソリン車とディーゼル車だとどのように銅の使い方が違うかなどを考える。アルミも電気を使ってでできている。

企業も、若い人も、市民もそれぞれが考えてほしい。

福島敏満氏 宗像環境団体連絡協議会事務局長

当協議会は2007年に立ち上がり、現在20の団体が活動している。宗像環境フェスタは今年で13回目になった。夏休みには、親子再生可能エネルギー学習会や、「川の生き物観察会」を行っている。やり始めると大人が夢中になって水遊びをしている。

「水と緑の会」は平成3年に、ふるさとの水と緑を守り、育て、住みよい生活環境をつくることを目的に設置した。会員は現在60名、6つの部会に分かれて活動しており、事務局は宗像市にある。全体事業としては、釣川の清掃を行っており、現在は、3,000名が参加している。ラブアースの活動では、さつき松原の清掃をトヨタプロダクションの社員と実施し、さつき松原では植樹もした。

石けん部会では、リサイクル石けんを作っている。シャボン玉石けんの方にもお世話になっている。

ホタル部会は、ゲンジボタル4,000匹、ヘイケボタル3,000匹の飼育、放流を行っている。

花と緑の部会では、10周年記念として新立山山頂付近にクヌギ200本植樹した。50本ほどが育ち、枝打ちなどを行っている。個人の花壇コンクールなども実施している。

調査研究部会では、教育大学の協力を得て、メダカをはじめ市内の水生生物の調査を行っている。第2次宗像市環境基本計画の基礎資料となる宗像市自然環境調査で、水生生物部門を担当した。

環境教育部会では、水辺教室を実施し、上流地域では源流をたどり、下流域では水質や生物の調査を行う。釣川河口では、川と海のつながりや水の循環を学習し、海岸のゴミを拾っている。シャボン玉石けんさんから、石けんのサンプルを提供いただいており、生徒たちに配布している。

広報部会では、唱歌「釣川」の広報・普及活動をおこなっている。

中村忠彦氏 宗像漁業協同組合組合長

経済が成長してくると、漁船も大きくなり、漁獲量が増え、砂浜を埋め立てて港を作っていった。生活が大事か、環境が大事かといわれると、生活が大事だった。港が変わると潮の流れが変わっていった。そうするとさつき松原の砂も侵食され、減っていった。砂はどこにいったのか?鐘崎漁協の出入り口に堆積しており、頭が痛い問題である。

現在は、県、市の協力もあり、砂に色をつけて砂の流れを調べる調査を行っている。波止場入り口の砂は撤去が必要だが、3,000万円かかるため、漁協の資金ではできず、宗像市が事業として行ってくれている。自然は守らなければならない、生活も守らなければならない。昔に戻るのは無理だが、いかに悪化させないか。みなで力を合せればできると思う。

大山欣丈氏 福岡県立水産高校アクアライフ課教諭

水産高校では、豊かな森と海づくりに取り組んでいる。森に手入れをすることで、養分を海に流し、両方を元気にする。その作業で出た副産物はすべて活用を目指している。活動を始めた際は、生徒たちが、純粋に、海をきれいにしたい、魚のいる海を呼び戻したいという気持ちで始めた。その気持ちを次いで、今日は現役の3名と卒業生の2名が参加している。

原生林の竹を伐採して整備をし、山を正常に戻す。活動から出てきた竹活用して塩づくりやテントづくりを行った。農業の土壌改良にも使っている。竹漁礁にはイカの産卵が見られている。竹も蛸壺代わりになっている。できることを生徒たちと一生懸命やっていくので、ぜひ応援していただきたい。

伊豆美沙子 宗像市長

豊かな海づくり大会が開催された際、各地域で竹漁礁を作っていただき、水産高校の生徒たちに沈めていただいた。山に住む人が海のことを考える、海に住む人は山のことを考える、という取組みを続けてもらいたい。

第2日目 8月25日(土)

第1分科会 海と地球環境問題

《助言者》エバレット・ケネディ・ブラウン(国際フォトジャーナリスト)、藤原恵洋(九州大学院教授)、原口浩一(第一薬科大学教授)《座長》清野聡子(九州大学准教授)《発表者》富村達也(シャボン玉石けん)、三浦剛(新日鐵住金エンジニアリング)、原口丈仁(トヨタプロダクションエンジニアリング)、宇野豊(三菱商事)、長友貞治(宗像大社)、太田信博(筑前七浦の会)、今井知可子(西日本新聞社)、正好慶子(鐘崎海女)、林由佳里(地域おこし協力隊 鐘崎海女)、本田藍(地域おこし協力隊 鐘崎海女)

(午前)

清野氏:この第1分科会は、『海と地球環境問題』と題し、今回のテーマである『水と命の循環~自然への感謝と畏怖』の議論を行う。午前中は、まず精神的な話と文化に関わるところを協議したい。海を中心に、地球との関係、つまり海を通じて、人がどのように地球と対峙してきたか、あるいは共生してきたか。そして、海だけではなくて、山や、川や、さまざまな自然をどのように私たちが一緒に暮らしてきたかというお話をいただく。

午前中は、エバレット・ケネディ・ブラウンさんに、まず発表と投げ掛けをいただく。エバレットさんは、この国際環境会議の最初から参加され、さまざまな重要なご発言をいただいてきた。いつかエバレットさんのお話をきちんと伺いたいと思っていたところ、今年、本を出版されまして、その中から、また、それ以外に積み重ねてきたさまざまな活動や記録の中から、今回のテーマに沿ったお話をいただく。そして、その投げ掛けに対して、文化の話、それも地域のレベルから国際のことまで広く調査され、そして自らも行動されている九州大学の藤原恵洋先生にお話を伺いたい。そして、第一薬科大学教授の原口先生に、海洋汚染のお話を午前中にお願いする予定だったが、話の流れの関係で、発表については午後からにお願いをした。

午後は、午前中の話と少し変え、科学や、技術や、市民の活動や、実際に私たちが現在やっている営みとか、あるいは開発している技術が、この宗像でどういうふうに活用されていくか。あるいは、宗像が抱えてきたさまざまな課題や提案を、どのように受け止めていただけるか、科学者の先生、そして技術者の方々にお話をいただいたり、参加者の方からご提案をいただきたい。

この第2分科会の目標は、明日からでも宗像で、活動が始められるぐらい具体的なことまで、ある程度詰めていくことである。そして、その際に単にプロジェクトをやるのではなく、午前中の精神的な話、文化的な重要なところ、一つの宗像らしさをこの現実的な話に織り込んでいくということで進めたい。

それでは最初に、エバレット・ケネディ・ブラウン様からのお話をいただく。

ブラウン氏:皆さん、こんにちは。午前中に精神的な話、文化的な話を中心にする。今の世の中で、特に経済を中心に考えている人から見たら、ちょっと精神的なものとか、文化的なものはあまり価値がないと思いがちだが、いつからこのような考え方になったか。確かに、バブルの時代からかなり深刻な問題になったが、環境の問題も、やはりバブルの時代から深刻になった。しかし、さかのぼると特に日本の場合は明治時代に入ってから、日本の本来あった精神性が崩れ始めた。例えば、明治初期までの話だが、ここは神社なので、神棚がある。神棚に三つの扉がある。この真ん中の扉に、どの神社の札を入れるか、分かるか。

(参加者)分かります。氏神様と、お伊勢様のお札です。

ブラウン氏:もともとは氏神のお札が、地元の神社のお札が真ん中にあったが、明治に入ってから伊勢神宮のお札が真ん中に入ることになった。これに地元住民が、地元の神、地元の自然、地元の環境、こういう自然とのつながりからちょっと離れてしまった。だから、氏神の役割がちょっと弱くなった。このような話は、本当にいっぱいある。明治に入ったら、日本文化が明治のスタンダードになり、日本の文化的な本流からだいぶゆがんでしまったところが多いので、これについて最近、本に書いた。でも、今日ははその話じゃなくて、明治以前にさかのぼって、これから30分ぐらい、ご一緒にちょっとタイムスリップしようと思っている。

僕は、30年ぐらいずっと写真の仕事をやっており、10年ぐらい前に湿板光画という幕末の頃の写真の技法を中心に使うようになった。多分、あまりなじみのない言葉だと思うが、写真という言葉を使う前に、光画という言葉が一時的に使われた。この湿板は、湿っている板。皆さん、乾板写真、聞いたことあるでしょう。乾板写真が発明した以前に、この湿板という技法が使われた。これで初めてネガができた。なぜ、この湿板光画をやっているのか。これは、幕末の頃の写真の技法で、明治以前の日本はどうだったんだろう、江戸時代は非常にエコ的な時代といわれているので、それはどういう様子だったのか。いろんな明治以前の本を読んでいるが、もっと想像するために、昔はどうだったんだろう、昔の様子をどういうふうに今の時代に取り戻せるのかを考えるために、この写真の技法を今、使っている。どういうものを撮っているかというのを、ちょっと紹介したい。

こういう、幕末の頃のカメラを使って、撮影の現場で携帯暗室のテントを立て、そのテントの中にネガを作る。1枚のネガを作るのに大体20分ぐらいかかるので、被写体は大体、1枚か2枚しか撮れないんです。左側の方が、三河地方の松平家の本家の25代目の当主。今、この古い家の人たちの写真のシリーズを撮っている。なぜかというと、この人たちは昔の日本をすごく身近に感じている。家のことだから。すごく歴史のことを身近に感じているので、彼らから学ぶことが多い。それで、作品になるとこうなる。これが今の日本。過去と、現在と、未来がつながっている。そう感じますか。

公家の世界の代表、近衛家。近衛忠大さん。55代目。今回の本を作る一つのきっかけが近衛さんとの付き合いで、近衛さんに言わせると、今の時代、公家の文化が廃れてしまう可能性がある。非常に危機を感じて、近衛さん自身が何かしようとしている。自分の子どもたち、周りの人たちに、1000年以上の公家の文化をどういうふうに伝えるかを、一生懸命考えている。

こちらは福島の相馬。相馬の若当主、相馬行胤。現代の侍です。彼は、自分の家の800年の歴史を、毎日、身近に感じながら、これからの800年の相馬の歴史を真剣に考えている。こんな人もいるんです。この人は、守矢さんという家。77代目の守矢家の若者。精神的なこと、5年前までは全く興味がなく、どっちかというと音楽とファッションばっかり考えていた、お父さんが亡くなった後、変わった夢を見たりして、自分の家のこと、昔の家族のことも考え始めた。たとえば50年ずっと、ほぼ毎日、夫婦で鍛冶屋の仕事をやっている人もいる。昔と現在をつないでいる人たち。

実は今朝、ここに来るとき、タクシーの中で小川棟梁さんと一緒に話をした。また明日、小川さんの話があるので、ぜひ来てください。こういう人たちは、現在と、過去と、未来をつなぐ人たち。僕たちは普段の生活の中で、今日何を食べるか、今年、どういう仕事の成績を残すのか。非常に時間の軸が狭い。これが、環境問題と非常につながっている。小川さんは、小川棟梁、宮大工。1000年前の職人さんと身近に仕事をしているので、でっかいヒノキの木を加工するときに、その木を植えた人、何世代前に植えている人を感じている。そして、造っている神社、お寺、家。200年、300年後に、その人たちのために家を造っている。こういう時間軸が、どういうふうに僕たちが自分の生活の中に取り戻せるのか。きょうはそれを考えたい。

それを考えるには、この宗像が日本の中で、ひょっとしたら一番いい場所かもしれない。ここは日本の入り口、日本の玄関。世界とつないでいる場所です。僕は、ここに来るたびに非常にインスピレーションを受ける。日本の見方、環境の見方、自分の生き方にすごく刺激を受ける。だから、これからちょっとタイムスリップしたい。

日本人はどこから来たのか。考えたことがあるか。最近、縄文文化がブームになっており、また、昨日、澁澤先生から、田中角栄の時にずっと縄文時代から続いた文化が廃れてしまったというすばらしい話があった。実は、その同じ話を今回の本にも書いたが、半分皮肉で、田中角栄のおかげで、また新しい縄文時代ができた。なぜかというと、1970年代からいろんな工事が始まったので、その中で縄文遺跡がどんどん出て、だから縄文遺跡の調査が1970年代から大きくなった。歴史のいろんな順があるが、これは知っているか。

石器時代の道具。石で、3万年前に日本に住んでいた人たちは、非常に優れた石を削る技術を持っていた。この技術は世界のどこを見ても、それが登場するのは1万年前。要するに、世界の他の所より2万年前に石を削る技術が日本にあった。これが、日本の匠の原点だと思う。これからの環境問題を解決するのは、匠が大きなキーワード。縄文時代にすでにしっかり匠の技術があったので、こんなに薄い、素晴らしい装飾の土器ができた、世界のどこを見てもこの時代にはなかった。どうして日本でこの素晴らしい匠精神ができたのか。この匠の精神によって、環境問題を解決できる。また午後に、そういう話はできると思う。

また、3万年以上前に、海上貿易が日本で行われた。伊豆諸島にある島に、黒曜石がいっぱい出ている。その島から採った黒曜石が、本州のいろんな所で発掘されている。3万年以上前に、海洋技術があった。3万年前の日本は、どういう所だったのか。大陸から渡ってきた人たちは、いろんな喜びがあったと思う。森が豊富で、おいしくて安全な水があって、しかも、温かい水が地面から湧き出た。3万年前からいろんな地球変動があったので、海が深くなったり、浅くなったりしたが、氷の上を大陸から日本まで歩くことができた。3万年以上前からいろんな部族が渡ってきた。その渡ってきた人たちはどういう人たちかというと、長い、10万年以上前からのアフリカからの旅で生き残った人たち。体力があって、運があって、知恵があって、生き残った人たち。いろんな部族が日本に集まってきた。そして、日本にたどり着いたら豊富な自然があった。一昔前までは、これは宗像の情景だと言ってもいいだろう。非常に海が豊富だった。

皆さん、この指輪はご存じですか。沖ノ島で発掘された指輪である。ちょっと面白い話がある。僕の山梨県に住んでいる友達が、20年前にギリシャの国立博物館に行ったときに、ケルトの展示会があった。ケルト文化。その展示している黄金の指輪が非常に魅力的で、博物館のギフトショップにその指輪のコピーが売っていた。これは20年前の話。そして、その黄金の指輪のレプリカを買って、日本に持って帰った。ケルト文化が大好きな方で、そして、九州国立博物館の館長と非常に親しい方だった。宗像の展覧会が国立博物館にあったときに、ちょっといたずらしようと思って、その20年前にギリシャで買った指輪を付けて、国立博物館の館長の所に行った。そして、ちらっと館長に見せた。館長がびっくりした。「ちょっと、その指輪を見せてください」。指輪を出したら、博物館に展示している沖ノ島で発掘された指輪と似ている感じどころじゃなかった、そっくりだった。どういうことでしょう。ちょっと、この辺から話を展開して、藤原先生と話をしたいと思う。

藤原氏:私は、本来はこういう建築物の歴史的評価が専門である。それを文化財にしたり、あるいは世界遺産にしたりするという専門的な仕事をやっており、もっぱら物質文化である。でも、その私の本職を、エバレットさんは全くご存じないのに、私が最も苦手とする精神文化を先ほどから投げ掛けておられるので、これは挑戦的だなあと思って、ちょっとやり合わなくちゃいけないなと思った。大変素晴らしい、プログマティックというか、挑発だと思う。

今、最後にケルト文化の、恐らくケルトやギリシャ文化のある意味精髄とも言える指輪の形と、この沖ノ島から発掘された、発掘というか沖ノ島に置いてあったこの指輪とが本当にそっくりだという話は、大変重要なご示唆である。それからもう一つ、それ以前にお話しになった最大のポイントは、私たちは今回、この環境問題を何とかするために大きな志があったり、あるいは善意の感情があったりして、ここに集われていることと思うが、実はそういう問題も、私たち一人一人がどこから来て、今どうしてここにいて、これからどこに行こうとしているのかを考えることで、実は解決に至る道があるんだということを、早速ご示唆してくださっている。

私はこういう古い建物を評価するとき、あるいはさっき、小川三夫棟梁のお姿も出ましたが、実は今、見ていい、悪い、そんな判断はやらない。私たち人間が営々と築いてきた、特に日本だとこのような木造の家屋を造ってきた、2000年から3000年ぐらいの歴史があるが、常にそのことを想像している。建築は一種の文化の発露だが、なぜこの形になり、なぜこの空間になり、なぜこの材料、なぜこの技術を使ったんだろうかという私の想像力。それから、私の想像力を代弁してくれる、当時のこの空間をつくった大工さん。まさにこの大工さんや左官さんが匠だが、その人たちに乗り移るような形でしか、私たちはこれを評価することはできない。ですから、さっきのお話で出た、私たちはどこから来て、今どこにいて、どこへ行こうとしているのか。それから、匠というものが実は非常に重要である。そこには科学や、技術や、あるいは知恵や、英知が反映されていると思うが、そういったことにこの写真世界を一つの表れとしてお示しいただきながら、次々と私たちに、今考えていく道筋をお示しになっているのではないかなと思った。

私は日頃、九大の授業ではパワーポイントもさほど使いません。映像もさほど投げません。体一つでどこまで授業ができるかということをもっぱらやるが、小さな小道具だけは使う。つまり、今、お話しになってくださった、そのお話のキーワードを次々と書き取りまして、これを逆に学生諸君、今日ですと皆さまにお返ししながら話を進める。落語の三題噺というやり方はご存じか。突然投げつけられた三つの言葉で、物語をすかさず作る。これができると、大体世の中、大出世。あるいは豊かな人生を手に入れることができるというので、私は九大の私の教え子たちを、落語の三題噺が得意になれば、世の中ちゃんと渡っていけるぜという授業をやっているが、本当はそれをここでやりたいところである。つまり、皆さまにこの私が書き示したキーワードを次々と投げ返して、さあ、これで今エバレット・ブラウンさんは、一体、私たちに何を伝えようとしていたんだろうかということを一緒になって考えていただければ、幾つかのその物語というか、私たちへの投げ掛けを私たちがきちんと理解しながら、この後、午後現地へ行くなり、あるいは行動をするなりするときの、大きな私たちの糧にすることができるのではないかなと思って聞いた。

それで、私も一つだけ、ちょっとお話をさせてください。ゴーギャンがゴッホと暮らしたその後に、実は2人は仲たがいをして別れるが、それがちょうど今から130年ほど前の話。フランスの南部、アルルという町での出来事である。2人が同性愛だったかどうかは分からないが、大変仲が良かった2人が幾つかのいさかいを起こしまして、もうおまえさんと一緒に暮らしていけないというので、1888年、日本ですと明治20年の頃なんですけども、2人は別れる。ゴーギャンも、ゴッホも、その後、別れた後、いわゆる私たちが知っているあの画業に走り込みまして、素晴らしい大きな成果を成し遂げる。ですから、意外と失意っていうのは重要かもしれない。

ゴッホはゴッホで、でもゴーギャンはその後、タヒチに渡る。ゴーギャンにとってのタヒチは、まさに沖ノ島みたいな所だった。本当にあふれんばかりの自然の中で、自然の恵みを頂きながら、男女がほとんど裸同然で暮らしている。それを、ヨーロッパから行ったゴーギャンは、あまりにも人間の魂とか、あるいは命のほとばしり方に感動して、次々と絵を描いていく。その中でもゴーギャンが描いた横長の、約4、5メーターある巨大な作品が、ボストン美術館の入ってすぐの右の壁の上にパーマネント展示してあるが、この作品があの有名な『私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか』っていう作品である。

ここには、女性が約7、8名。それから、村の様子。それから、その後ろに幾つものただならぬ自然の様子が描かれて、そこに実は、白い得体の知れない存在が1人だけ、異様に描かれている。このことに、普通、私たちは気付かない。しかし、この女性の絵はオギャーと生まれた赤ん坊から、今まさに死に絶えようとするおばあちゃんまで、ずらっと描いてありまして。つまり、この女性の一生に私たちの人生を託すと同時に、実はこの白い白亜の像が、この人の命をずっと見守っているという意、そういういわく因縁付きの絵ではないかと、私は思う。

ボストンに国際学会なんかで行くたびに、この絵を私は必ず見に行く。この絵を見ながら何を考えるかというと、自分自身のこと、それから自分を生かしめてくれているこの世界のことを、常にそこで考える。私たちはもちろん日本人なので、例えば宗像大社に行って、宗像さんに一心にお祈りする。自分のこともお祈りする。お参りする。それから、世界平和のこととか、あるいは環境、いろんなことを考えることと思うが、私はちょっと変わっていて、もちろん神様も重要なんですけれども、人間がたくさんの道を歩んできたその足跡そのものにも、そういう深い祈りとか、思いがある。例えば1枚の絵にも、そういったものがあり、このゴーギャンの絵のことを思い出しながら、今、エバレット・ブラウンさんのお話を聞いていた。

つまり、私も同じようなことを考えてきた人間なんだなあ、そんな気がしますし、きょうのこのお話で、私たちが今、投げ込まれている一つの問題提起というか、こんなことを皆さん、一緒に考えましょうよというお話も、大変素晴らしい、分かりやすいお話になっている。余計なことまで言いましたけれども、そんなことから何か少しお話しをすることができればいいなと思っている。

ブラウン氏:物語が重要だという話だったので。ちょっと英語で書いたが、History。歴史は、よく見るとHis storyとも読める。歴史は大体、権力者たちが書いた物語。でも、実は他の物語がたくさんあった。でも、それが残ってなかったり、隠れたりしている。僕たちが学校で習っている歴史は、権力者の伝えようとしている歴史だが、認められているかは別として他の歴史もある。歴史はなにか。歴史は昔のことだろう。そうではない。歴史は今である。僕たちが、今の時代の歴史をつくっている。それが僕たちの物語である。

じゃあ、どういう物語をつくろうか。明治以前の日本人は、共同体で物語をつくった。今の時代、みんなばらばらで勝手な物語。ごめんなさい。ちょっと強い言い方だが、自分勝手の、自己満足の人生をしている人たちが今は圧倒的に多い。日本だけじゃない。だから環境問題がある。これをどうするか。どうやってみんな一緒になって、いい歴史、いい物語をつくるのか。まあ、ピンチがチャンスだから、この環境問題がチャンスだと思う。

藤原氏:今、共同体とおっしゃった。共同体って私たちにとってはものすごく懐かしいと同時に、どこかでやはり唾棄すべき、うわあ、共同体ってやだな、うわあ、共同体、あの嫌なおやじのことを思い出すなとか、あれが嫌だから俺、ここへ逃げてきたんだ、みたいなことがないか。つまり、私たちにとって自分が1人でここにいるわけでも何でもない。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、いろんな人々の営みの中で私たちは生まれ、私たちは育ち、ここにある。でも、人間の宿命なのかな。それをどこかで否定したいという気持ちもある。でも、否定するやいなや、さっきおっしゃってくださった、私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのかっていうことに、私たちはきっと答えを出せないと思う。

日本人だけじゃないかもしれないが、例えば私が持っていない道具の一つに、こういう道具があります(携帯電話)。私はこれが怖くて仕方がないので、今ももちろん持っていませんし、これからも使う予定も全くないが、そうなるっていうと、私にどうやって連絡するかって、みんな困っちゃう。今回の事務局長をやっている養父さんも、いつも困っていますよね。私には連絡がつかないというので。泰永さん、どうですか。

泰永氏(事務局):そうです。養父さんは、必ず藤原先生は来てくれるって信じているし、信じるって。

藤原氏:そうですか。それはどうしてかっていうと、これよりももっと重要な、信じるとか、念力っていうのがある。あるいはオーラとか、あるいは『スター・ウォーズ』でいうフォースの力とか。そういったものを、私はむしろ大切にしたいと思っている。でも、いいですか。皆さんがこれを使わない日にはどうなるかっていうと、こうだろう。これ、何センチか分かりますか。15センチですよ。15センチで世界が閉じてしまう。ですよね。

ブラウン氏:そう。いつの間にか、僕たちの視野が非常に狭くなっている。コンピューターの前で仕事をやっている人は、本当に世界が非常に狭くなっている。これは、理性の世界である。感性の世界は、この目の脇にある。物事を感じる力は、この目の脇にある。僕たち人間の本来の視野はものすごく広い。だけど、この環境問題のほとんどの問題を解決するために、身体感覚を取り戻すことがとても重要だと思う。一つの簡単な方法は、まずは目の体操。もっとこの辺の、目の脇の所を感じること。幸せは、ここじゃない。目と、体の神経を緩める所がここにある。そう。ここは、話す所ではなくて、本当は丹田を整えて、視野を広げる所だろう。

藤原氏:さっきの幾つもの作品、湿板光画だが、僕は、これで次々と登場してきた人に、こういう共通項があるということに感動した。つまり、55代目とか、800年とか、私たちがせいぜい生きていた何年というものをはるかに超えた大きな時間の中でたゆたうと生きてきた。その人だけじゃない、そのご先祖様とか、恐らくその人がそこに生きているということは、今度はその子孫の方まで、大繁栄で営々と生きていかれると思う。

ただ、例えば福島の相馬家のあの方と、私も一度、間接的にお会いしたことがあるが、まさか地元の福島第一原発が、自分が生きているときにこんな悲惨な体験を自分たちに与えてくれるとは思ってもみなかったというので、ちょうど1000年来、おやりになってこられたお祭りがありますよね。あの祭りをどうするのかって散々悩んでおられる、そんなお姿を見たことがある。

私たちはやはりどうしても瞬間的に生きてしまっている。さっきエバレット・ブラウンさんがおっしゃった言葉の中で、私がとても大切だと思った、私が気に入ったキーワードを青いカードに書いた。そして、赤の方がちょっと気になる、これってちょっと問題だなっていうキーワードを書いた。このキーワードの中で、私たちを救済してくれるキーワードが幾つも登場してきたが、私が一番、今、私個人として大切にしているのは想像力である。想像力、自分でも何かを考える力が欲しい。でも、それ以上に、私は外の世界を見るときの想像力を、もっともっとたくましくしたい。なかなかそう簡単には自分の中に宿らない。でも、そのときに自分のお父さんや、自分のおじいさんや、あるいは、私は藤原と申しますが、私は阿蘇山の中腹にずっと逃げおおせた、何ていうんでしょうか、もう農民化した藤原氏の末裔でございまして。もう全然かっこよくない。公家文化なんていうのは・・・。

ブラウン氏:でも、同じDNA。

藤原氏:どこにもないが、阿蘇藤原氏の47代目である。でも、本当にただひたすら阿蘇を開墾したっていう側の人間なので、全くかっこ悪い。それでも47代目というのが、小さい頃からどう私にエネルギーを授けてくれたかというと、やっぱりどこかで困ったときに、ここら辺にご先祖様がどんどん出てきまして、「大丈夫、何とかなるよ」みたいな感じで言ってくれる。そのときに自分の想像力を、このご先祖様と一緒になってもう一回ブラッシュアップして、パワーアップして生きてきたような気がする。

昨日は、残念ながらシンポジウムの話を聞くことができませんでした。佐賀県内にある明治時代にできた建物を何とか文化財にしたいということで、たくさんの方々がお集まりになっていたので、私が専門家として、国際救助隊よろしく駆け付けた。皆さんがこうやって建物を見上げているが、実は、建物の神髄はここでは分からない。どこにあるかというと、この天井の裏にある小屋組みという構造体を見るしかない。それで、「ちょっと1時間、いいですか」と言って、「ちょっと私、いなくなりますから」と言って実は天井裏に入り、暑い中天井裏を見て、1時間後に「これは大丈夫です」と説明をした。もう全く大丈夫である。

ところが、私たちが生きとし生けるこの空間の中で、建物のこういう部材というのは必ず年を取っていくので、なかなかここだけを見ていると、ちょっともう駄目かな、みたいなことを素人判断される方が多い。けれども、構造体は実はそんなことはなくて、明治41年から42年の構造体がしっかり残っていたので、「これは、しっかり文化財にしていきましょう」みたいなお話をして、それで夜、この会議に合流するために戻ってきたん。

そんなときに私を支えてくれるのは、私の1人だけの力じゃなくて、匠とか、他から私を支えてくれるさまざまな力。その中で、さっきはご先祖様の話を出したが、匠の力というのがすごく重要である。私がそうやって見えないところを「ほら、見えます」みたいな感じで言うだけで、皆さんはとても信用してくれるし、それで私は今、プロとして食っているようなものである。そこのところをもう少し私たちに、匠というのは具体的にどんなことをもっと私たちに教えてくれるのかしらっていう話を、教えてくださいませんか。

ブラウン氏:この匠精神は、日本人はほとんど持っていると思う。一つの例で言うと、原宿の女子高生。携帯電話をみんな持っている。その携帯にいろんな、なんかビーズを付けている。それは日本人しかやらない。物をただの道具として使うのではなくて、それを何か工夫する。物事をより良くする。

それから、もう一つの話がある。僕の日本人の友達が、中国の北京大学に留学して、中国人の友達3人と大きなアパートを借りた。みんな個室があって、入ったらすごく汚かったので、みんなで掃除して、もうビール飲もうという話になったが、日本人の友達が掃除が終わらない。なぜかというと、ベッドの下の木の枠の裏側が、汚くて。それで中国人の友達が、「いいじゃん。誰も見ないから」。でも、友達は気が済まない。この気が済まないことがポイントである。

藤原氏:本当にすごい。ただ、私の中にもそういう癖とか、こだわりとか、感情はある。でも、そのことと併せて、例えばさっき、私はここら辺を見ながら皆さまにお話をしたが、小川棟梁だったら恐らく同じことをおっしゃると思うが、たくさんの神様が宿っている。ですから、誰も見ていなくても、神様と私の関係では、やっぱりうそはつけない。やっぱりちゃんと、ここのところも掃除したいなという気持ちになる。

小川三夫氏(宮大工):今、藤原先生から小屋組みに入るという話があった。小屋組みというのは、この天井裏。確かに自分たちは、この下は見える。しかし、中は分からない。自分はこういう仕事をしているので、例えば法隆寺の五重塔の中、薬師寺の三重塔の中に入る。入ると、もう昔の人の声が聞こえる、分かる。それはどういうことかというと、初めの頃は分からなかった。最近になって、分かるようになった。それは、それだけの自分になった、技術が身についたから。ですから、法隆寺の五重塔の修理をするんであれば、法隆寺の五重塔を新築できるような人が修理しないと、昔の人の話というか、気持ちまで全部くむことはできない。自分は、昔は憧れて入っていたとは思う。ですから、そういうふうなところを見る。そうすると、昔はここで失敗したんだな、ここで怒られたんだなと。そういうふうに見えるようになるとこれは楽しい。

自分はJAXAの人に、宇宙にはやぶさを飛ばした人とちょっと懇意にしていたので、話をしたことがある。自分は1000年前の生活とか、人間がどういうふうなことをして建てたとか、何となくもう分かるようになった。でも、1000年先は分からない。その先生に、「1000年先は、どうだ?」と聞いた。そしたら、「このままではなくなるな」と言っていた。ですから、それは環境でしょうというような感じがする。それは怖いことだ。ですから、こういうふうにただ建物を見るんでなく、本当は一番は小屋裏に入って見るということが、本当の昔の建てた人の魂というか、そういうのに触れることができるんだと思う。

ブラウン氏:2週間前に、お盆の取材で愛知県の山の奥の村に行った。その村には、見事に神仏習合の世界が残っている。神仏習合、仏教と神道が一緒になったというのは頭の中では分かっていたが、2週間前にやっと心で分かった。明治に入ってから日本人の精神が分裂したが、神仏習合がどういったところにつながっているのか。仏教の世界は、みんな仏様。みんなブッダ。悟っている人は、全ての人類、全てのものと縁を感じる。縁がない人は、自分の心の問題。閉じている。でも、仏教の教えは、みんなつながっている。だけど、このブッダの仏様の思いと、神道の八百万の神のつながりが、日本の精神論だと思う。

どうしたらこれをまた取り戻せるか。分からないが、明治に入ってから、日本の文化がだいぶゆがんでしまった。また、戦後から、さらにゆがんでしまったが、この長い日本の歴史の中を見ると、この何十年、150年は、そんなに長い時間じゃない。だから、また深い文化的な水脈に、今、挑戦しようとしている。

今、素晴らしい日本酒を造っている若者がいる。いろんな若い人たちが、手に職をつけようとしている。お金にならなくてもいいから、取りあえず手に職、気持ちがいい仕事をやりたがっている。だから、これからいろいろ深刻的な問題はあるが、深い文化的な流れがまた日本の本流に戻ってきつつあり、こういうところに注目したい。アサヒスーパドライを飲まずに、地ビール、地元のお酒を飲むと氏神が喜ぶ。

参加者:光岡という所で稲作をしている。今、大工さんのお話があったが「若い頃は昔の人の声が聞こえなかった」とおっしゃっていた。話を聞いていて正直、今、分からない。稲の声とか、稲作をやっていた先祖の声を聞こうとするが、聞こえない。まだ若いのかなって思っているところ。今日、話を聞いて、死ぬ頃には聞こえるようになるのかな、なんて思っている。

ブラウン氏:いやいや。今の若い人たちは、僕が見た感じで、そんなにパワーは持ってないけど、非常に感性がいい。米作りは何年目か。

参加者:11年。

ブラウン氏:じゃあ、そろそろ。僕は18年間、お米を作った。毎年、先輩から聞いた話だと、稲の花が咲く頃に、稲の命を非常に感じるようになる。そして、稲が寝る時間も感じる。ちょっとしたヒントだが、稲の花が咲く頃、稲とよく付き合ってください。特に夕方。ちょっと夜に入ったら、その時間にひょっとしたら、何かが聞こえるかもしれない。

藤原氏:もう一つだけ質問させていただきたいことがある。先ほどのサジェスチョンに幾つも私の心に響いたお話もあったが、実は気になることも幾つか。先ほどのお話の中で、ちらちらっとおっしゃってくださった中に、経済だけを中心に見ている人たちのことを、もっと精神的なものとか、文化的なものを生かしながら高めていこう、みんなで連なると同時に高めていく、良きものにしていこうという話があったが、これは具体的には、どんなことをやっていったらよいか。

ブラウン氏:実は、これが今、日本の一番根本的な問題である。日本の経済力が落ちている。海外で、いろんな事業も失敗している。その原因は、経営者に文化力がない。精神力がない。欧米の経営者、中国、韓国の経営者は、ちゃんと文化を大事にしている。幅広い教育を受けている。本も読んでいる。音楽を聞いている。芸術を買って、それをオフィスに飾っている。これが日本の今、一番根本的な問題だと思う。精神的なことが怪しい。文化的なことをやる時間がない。それは大間違いで、人がわくわくするのは、文化と精神である。

藤原氏:ぜひ、今のエバレット・ブラウンさんのお話に関して、むしろ皆さまも、何かおしゃべりしてみたいのでは。

鈴木款氏(静岡大学創造科学技術大学院):専門は、海のサンゴの研究である。さっきの想像力とか、精神力、英語では特にいつもインテリジェンス・フィーリング、知的な感性が必要だといわれる。なぜかというと、単なる想像力とか精神力じゃなくて、内容とか、物を知ることが必要。先ほどの建物の話で、お蔵を見るというのは、やっぱり知るからこそ想像ができる。なんでこんなに素晴らしいんだろうと分かる。何が今、欠けているかというと、若い人たちを含めて、筋道を立てて物を考えていくこと。事の本質をつかむ力が弱い。それをどう努力して身につけていくか。

私は見えない社会の研究をやっている。バクテリアとか、ウイルスとか、そういうことをやっている。意外に皆さん、海を見ていても海を知らない。海水1ccに100万から1000万のバクテリアがいる。ウイルスは1億。そういうバクテリアやウイルスが、実は全体の生命を非常にうまく支えている、循環させている。ところが、見えない。よくCO2の問題が言われるが、おそらくここでは500PPMのCO2がある。

環境問題の一番怖いところというのは、見えない。見えないが、私たちはそこにどう取り組むかをやらなきゃいけない。そこではやっぱり想像力や感性がすごく大事だが、物の本質をつかまなければいけない。

私は毎年、ハワイ大学に呼ばれて行くが、ハワイ大学の講義ではシチズン・サイエンスの話をします。市民科学もサイエンスに則っていなければならない。精神力はサイエンスと一体となって、初めて本当の意味の精神的な力が出る。なぜ私たちは、これを頑張らなければいけないか。頑張ることの意味をきちんと理解しないでは、単なる想像力しか生まれないというのは、私はいつも感じているので、できるだけそういうふうに、科学というものをもっと理解していただきたい。そのために、私たちは努力しないといけない。

ブラウン氏:僕の大学の先生は、天才的な発想をしたいなら、親指がポイント、親指で考えなさいと言っていた。

一つ、僕がすごく日本で魅力を感じているのは、日本には非常に深い、非常に優れている身体感覚の文化がある。これが、言葉の中にある。僕が初めて日本に来たときに、人が怒ったときに、よく『腹が立つ』と聞いた。最近あまり聞かない。1990年代になったら『頭にくる』が流行になって、それでインターネットの時代から、『キレる』という言葉になった。今の若い人たちは身体感覚が鈍い。これは、学校の教育が大きな原因だと思う。だから、この身体感覚をどういうふうに取り戻せるか、そこに答えはあると思う。そうすると、さっき先生がおっしゃったように、シチズン・サイエンスが重要になる。ただ想像するんじゃなくて、やっぱり下地がないと。

鈴木氏:市民のための科学じゃなくて、市民の科学である。意味が違う。つまり、きちっと科学や物の原理を理解した上で的確に行動できるためには、研究してないいろんな人たちが一丸になった、本当の意味のネットワークの構築が必要である。それは研究者も努力しなければいけないと思う。どんなことでも、物を理解しなければ、決していい想像力は生まれない。

ブラウン氏:さっきの、親指で考えなさいと先生から教わった話だが、昔、日本では丹田が第二の脳だといわれた。今、自然科学のノーベル賞を取っている日本人の研究者が、圧倒的に多い。でも、これからの若い世代のノーベル賞を取る科学者がいるのか、それはちょっと心配だが、この感覚が大事。丹田。第二の脳を整えること。さて、体操しましょう。

清野氏:今、ちょうど図らずして市民の科学という話が出てきたが、今日この場を持ちたかったのは、5年間宗像国際環境会議を実施してくる中で、地元の中でどういうことが展開できるのかという課題に直面したためだ。いろいろと学び、コンセプトもだんだん理解が進んだが、一方で、宗像でずっと水を測り続け、生態系の調査や教育をされてきた方のお話では、そもそもコンセプトはあるのに下が育ちにくいというか、中堅がいないという問題がある。

福島氏(むなかた水と緑の会):今までの話では、感性、あるいは身体感覚などが大事なんだという話だった。私はこの30年ぐらい、水辺教室というのを続けてきた。これは、宗像市内の小学4年生全員を対象にして、釣川の源流から河口まで1日かけて、川と山のつながり、そして空とのつながり。河口では、今度は川と海のつながり、さらに今度は空とのつながり。1日かけて、この地球の水の循環というものを中心に話をしている。

学校をバスで出発して、最初にバスの中で源流に着くまでに話をするが、いわゆるフィールドワークをするときに何が大切かと、三つの話をする。一つは、やはり、けがに遭わないようにする、自分の行動には自分で責任を持ちなさいということがまず第一。二つ目に一番力を入れて話をするのが、五感を使いましょうという話をする。自然の中に出て、いわゆる人間の五つの感覚、それをフルに使って自然を感じてほしいと。ただ、そのためには意識しないと駄目ですよと。ぼうっとしていても、見えているものもなんも見えないよと。聞こえていることも、なんも聞こえない。だから、きょうのフィールドワーク、いわゆる水辺教室では、自分の持っている五つ感覚を総動員して、山の中では山の、いろんな、先ほどから出ている木の声とか、風の音とか、川のせせらぎの音とか。それから、周りの気温。田んぼの中をずっと山道を歩いていって、そして林の中や森の中に入ると、途端に暑さも変わるわけですね。湿度も変わる。風も変わる。そんなものをしっかり感じてほしいと、受け取ってほしいという話。そして、三つ目はそれを忘れないうちにメモしましょうねという。観察ノートっていうのを全員に渡す。

そして、バスを降りて山道をとことこ歩きながら、途中で何カ所か見てもらう。いわゆる川の上流の様子を見てもらう。途中に、今度は三面張りの田んぼの横の水路がありますから、そこではさっきの自然の川と、どこが違うか。まず自分たちに発見してもらって、「じゃあ一人一人が川の中の生き物になったつもりで、どっちに住みたいか、手を挙げてください」と。最近、ここ数年、不思議なことに気が付いたんですけども、以前は圧倒的に自然のまんまの川に住みたいと。いわゆる第1ポイントっていうところで見た所。そこは川の底に、石がごろごろ転がっていて。ところが、ここ2年ぐらい前から、同じ場所で同じ質問をすると、三面張りの川のほうに住みたいということで手を挙げる子どもが増えてきた。

面白いなと、思いながら「宗像の子どもたちも、だんだん都会的になってきたね」と、話をするが。その辺がここのところ、大きく変わってきたところだなという気がしている。

やはり一番大事なのは、いろんな感性を養うこと。これは子どものときの体験、いわゆる自然体験、原体験というのが大きく大人になるまで影響しているのではないか。だから、そのとき一緒に小学校の先生も引率で来られるが、「小学校の3年生ぐらいまでは、学校の教室の中で勉強せんでいいじゃないですか」と言う。せっかく宗像の自然の豊かな、きれいな海があり、川があり、山があり、田園風景がある。もう学校の教室から引っ張り出して、1日、自然の中で勉強させたほうがよっぽどいいんじゃないですかという話をするが、なかなかそうはいかない。文科省の厳しい学習指導要領がある。

だから、もっともっと子どもたちに自然の中で、小さいときに体験を済ませる。川の観察もやっているが、1年に1回は海で、神湊の磯で、親子の磯の生物の観察会をやっている。山田のホタルの里では、子どもたちが川の中に入って、水生生物を使って水質調査もやる。全然違う。目の輝き、動き。それで、面白いことに、親子でやっているので、そうするとやがて若いお父さん、お母さんたちのほうが夢中になられる。一昨日も山田のホタルの里で、親子の夏休みの生物の観察会をやったが、ほとんど付いて来られたお父さん、お母さんたちが一生懸命、子どもをほっぽり出して、川の中でバチャバチャやって、石めくって、生き物探して。海でも、磯でも、石をめくってカニがいたの、何がいたの、夢中になられる。特に今の小学校の親たちというのは、子どもの頃にそういう体験をしてない人たち。だから、その面白さが分からない。だから、そこに火を付けてやると今度は親が、子どもたちを自然の中にもっと引っ張り出す。

今は、キャンプなんていうのもはやっているといいますけども、僕に言わせりゃ、今のキャンプなんていうのはキャンプじゃない。電気炊飯器持っていって、ご飯を炊く。そんな設備の整った所でキャンプをやっても、じゃあそんなもん、家の中でやっときゃいいじゃないと。僕も、自分の子どもが小さい頃はキャンプに連れて行った。九州、中国、四国のキャンプ場はほとんど車で行ったが、そういうキャンプ場には一切泊まらなかった。海岸でテントを張って、流木集めて、火をおこして、ご飯を炊いて食べさせるとか。どこもないときには、郊外のレストランの駐車場にテントを張って、勝手に寝てっていう、そんな生活を子どもには、女の子なんですけども、させて。おかげで、自分で言うのもなんだが、ちゃんと育ったかなと。今、自分で一生懸命、子育てしているが。やっぱりもっともっと子どもたち、小さいときにそういう自然の中での体験をさせる。それにはこの宗像というのは、最適の場所じゃないかと。もっとそれを宗像の小学校辺りは生かして、独自の授業プログラムっていうのを組めないのかなというのが、今考えている。

それと、今ちょっと清野先生が言われた、ただ、私も昔は若かったんですけども随分年を取ってきて、いつまで水辺教室をやれるのかなと。後をどなたかやってくれる人を探さなきゃ、そろそろいけない。市役所の職員も心配しているみたいだが、ところがそれがなかなか、なれないというところがあって、その辺が一番の悩みの種。せっかく宗像に教育大学があるんだから、教育大の学生さんたちがうまくそれに乗っかってくれればいいなあと思いながらも、なかなか大学生も忙しい。一時期、教育大の親しい先生に話したが、「単位出してくださいよ。水辺教室の引率にくっついてきたら」と。ただ、時代も変わったんで、今は多少そういうことをやったら乗ってくる先生もおられるかなと思いつつ。ただ、親しい先生がおられなくなったので、何とかこの100人会議を通じて、教育大学のそういう先生ともコンタクトが取れるようになったら、また宗像の環境、教育も変えていけるかなという気がしている。

清野氏:今の懸案は、ぜひ午後に具体的にご相談したい。今までは先生のような方が、ご自分と仲間でされてきた自然を見守る活動が、ちょうど私ぐらいの世代から下の世代が、川とかにあまり行かなくなってしまった。教員もそういう中で育ってきている。

午前中の話をまとめる。ケルトの話とか海洋文化の話があったが、多分、宗像のここでしかできない議論がある。縁がつながっているとか、海を通じて、何かは分かんないけど世界の人と何かがつながっているもやもやした感じは、ずっと海洋環境の中である。今日も、海に関係する方が随分遠くから駆け付けてくださって、県外からも来てくださっている。

そしてさっき、縁とか、つながりの例。それから、身体性という言葉があったが、私がエバレット・ブラウンさんと藤原先生のお話を聞いてみたかったのは、先生の身体性というか、全然文化に関係ありませんと言いつつ屋根裏に潜って、本当に各地を、実際の建築を見て人に会いながら、という先生ご自身の身体性みたいなのがあって、それが何かにつながっている気がしたためだ。

海や身体性など、キーワードをもやもや、やっと何となく想像力の中から浮き出させてきて、少し結晶めいた言葉が見えてきて、まだつながってない、というのが、今の状況である。

最後になるが、ぜひこの海を通じた壮大な長い時間のつながり。それについて一言ずついただきまして、午前を締めたいと思う。

ブラウン氏:日本のこととか、環境のことを考えるのは、この宗像が一番いい所だと思う。ここが、数万年前から日本の入り口、玄関先だったので、いろんな人、もしかしてケルト人も指輪だけじゃなくて、もしかして下関にケルト人も入ってきているかもしれない。非常に国際的な場所。そういう歴史があるので、いろんな人の流れ、文化の流れ、海流の流れがあり、環境問題をこの海で身近に感じるので、もっとこの会議と宗像を中心に、文化のことと環境のことを考えればよい。

東京に行ったり、京都に行ったり、伊勢に行っても、その場所のエネルギーに僕たちの思想、感覚は影響される。この場所は、非常に気持ちがいい。開いている感じがする。だから、物事を考えるためには非常にいい場所。これは本当に自分の体験、自分の体感。来るたびにインスピレーションを受ける。今回書いた本、海から見た神道、海から見た日本、海の鎮守の森の話も実はここでインスピレーションを受けてまとめた。だから、宗像のそういうイメージをもっと広げればいいと思う。それが僕の提案である。

清野氏:素敵な著書を持ってきていただいたが、いろいろ心が震えるお話があったり、多分それぞれの皆さんにとって、あっと思うようなことが、きっとこの本の中にはあると思う。そして、なぜ私たちが今このような状況になっているのかという点も分かったような気がする。エバレット・ブラウンさんのお話、この本にも詰まっておりますので、ぜひ、またお読みになってください。

ブラウン氏:ちょうど昨年の宗像会議の際にこの本のインスピレーションを受け、この1年間の思いをまとめた。自分の生活を豊かにするとか、日本人としてのもっと健全的なプライドを持つこと。明治以前に来日した外国人が日本人を見て「世界一の幸せな民族だ」と帰ってきた人たちが、圧倒的に多い。今、それを言えるか。その明治以前の日本は、どういう所だったのだろう。それをずっと探っていて、その結果を今回まとめた。

藤原氏:1年前のことだが、しばらくベルリンに住んでいて、そこから近いということもあって、ポーランドのクラクフという町であった41回目のユネスコ世界遺産委員会に、専門家として出席した。日本からは、もちろんこの宗像の案件が昨年審議されたので、葦津宮司はじめ、当時の谷井市長さんとか文化庁長官の宮田先生とか、いろいろ来られて「やあ、久しぶり」なんて。そのユネスコの会議にも参加して、それでこの宗像案件が審議された。登録に至った、その現場にもいた。谷井市長が涙を流して喜ばれたり、あるいは宮田文化庁長官が世界中の人々に感謝するというお話を英語でメッセージを出されたりした。

今年、実は42回目のユネスコ世界遺産委員会が中東のバーレーンという国であった。もちろんそこにも行っていて、今年は『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』が審議され、世界中から非常にお褒めをいただく形で世界遺産に登録された。

実は、その世界遺産の考え方にとても重要な二つのキーワードがある。outstanding universal value、顕著な普遍的価値というのを担保する。担保っていうのはちょっと厄介な日本語ですので、保証するというか、証明するというか。そのために二つのキーワードを散々、議論の場では使う。

もう一つがauthenticityという言葉でして、これは本物か、それは本当のことかっていうことを、ちゃんと、ありとあらゆる証拠を見せながら明らかにしていかなくちゃいけない。これは非常に厄介だが、昨年のこの沖ノ島、宗像の案件に関しては、このauthenticityに関しては非常に世界中の理解が深まった。とても良かったと思っている。

しかし、もう一つある。integrityという言葉でして、これは日本語では、とても紹介しづらい概念である。例えば、さっきおっしゃった大学の先生うんぬんの話があるが、そういう文脈でしゃべると、integrityというのは『高潔な』という意味になる。つまり、他のいろんなものに侵されない独自の価値を維持していることというのが高潔ということで、僕たちはそれを、目指しているかな。ところが、世界遺産の中では実はもう一つの概念、全体がちゃんと物語でつながっていますかという、『完全性』という言葉で訳す必要がある。ところが、この完全性というのはものすごく難しい。つまり、日本における完全性というのは、どういったことを言うのか。

それで、私はさっきからエバレット・ブラウンさんの話を聞きながら、非常に痛い思いで、このお話を聞いた。私たちは神様を感じているか。私たちは一木一草一石に、何か魂を感じているか。私たちはどこから来て、今どこにいて、どこに行こうとしているのか。私たちはお金がなくても、ちゃんと人生を全うできるのか。そういう、私自身の完全性というのが問われる。それが結局、巨大な世界文化遺産の完全性から、個人としての私の完全性まで、ずっとつながってくる。とても厳しい、これは注文である。で、葦津宮司はいろいろお考えになられたと思う。沖ノ島の完全性を守るには、どうしたらいいか。沖ノ島という一つの大きな循環にとって、いてもいなくてもいい存在っていうのは、実は何なのか。そのときに、神職以外の私たち人間が、ちょっとこう、良からぬ存在なんじゃないかみたいなことを、お考えになったかもしれません。沖ノ島をどうやって守っていくかということに関しては、ユネスコから大変厳しい注文が、実は昨年出た。

それは、あまり地元でもまだ理解されていないようだが、今、次々と行われている沖ノ島を守るためのさまざまな知恵は、実はこのintegrityを守っていくための一種の処方箋だと思う。翻って私たち自身が、決してこういう難儀な世界遺産が重要ではなくて、世界遺産というのは、あくまでも私たちの日々の暮らしの表れであるべきで、世界遺産が重要なのではなくて、世界遺産というものを創造してきた私たち人間が重要である。だから、世界遺産だけが独り歩きするのではなく、世界遺産をちゃんと私たちは自分たちで創り出してきたんだと、世界遺産のマネジメントをやってきたんだということを、営々と言えるようにしていく必要があるんじゃないかと、今日あらためて、このお話を聞きながら思った。

清野氏:今日は、エバレット・ブラウンさん、そして藤原恵洋先生、ありがとうございました。また、ご参加いただいた皆さまにも、いろいろなご意見をもうちょっといただきたかったが、お昼になってしまった。午後は、ここの会場で、現代の匠たる皆さまに具体的なお話、ご提案をいただく。宗像で匠の知恵をどう生かすかとか、過去からの匠の知恵をどう継承するかということを議論したい。

(午後)

清野氏:午前中は、精神や文化についてのお話を伺った。その中でもやはり市民科学であるとか、あるいはいろいろな実証的なものに裏付けられた、新しいその環境のための文化というか、そういったものの構築の兆しのような議論もあった。午後は、実際にさまざまな調査研究を海洋分野、あるいはその水分野でされている方、あるいは新しい技術開発を持ってさまざまな環境活動に貢献している方、いろいろな提案をされている方からの話を伺う。

そして、宗像のこの地で、海の仕事をされている、そして始めようとされている海女さんのお三方にも、お話しをいただく。宗像大社も世界遺産になったが、その中でも一番自然と人との関係が厳しい場所である沖の島で、神族の方がずっとお祈りをささげられている。人類は自分しかこの島にいないかもしれないという状況の中で、自然と関係を考えられている、この神族の方にもお話しをいただく。

それでは、まずは最初に海洋汚染の問題、これは私たちが本当にどうやって向き合うか難しい内容となる。それにつきまして第一薬科大学教授の原口先生から、現状とそれから問題提起をいただく。

原口氏:福岡市の南区にあります、第一薬科大学ところから来た。薬学部なので学生に教えているが、将来薬剤師になる学生に、環境も含めて、いろんなことを今、教育している。実際に薬剤師の仕事というのは、薬を適正に使う、それから病気を治す、その他に人の健康というのも非常に重要視して、いかに健康管理をうまくやるかということである。健康管理をうまくやるためには、やはりその回りの自然環境というか、そこの環境がきちっと機能して、正常になっていかないと、うまくいかないこともあるので、特に環境汚染は、現状はどうなのか、それを直すにはどういうふうなことが考えられるのかといったことを、みんなで考えている。

私は、特に食事、食の安全、その食事をして人がいろんな汚染物質を取り込んだときに、実際にどういう影響が出るのか、そのときに環境や環境汚染がどう影響するのかを、研究テーマとしては調べている。今日は海の状態、海の汚染状況という、ちょっと私自身まだ十分把握していないが、できる範囲で、特に人の話を中心に、できるだけ環境あるいは海の汚染との関係で話をしたい。

汚染というと、あまりいい言葉ではないが、この空気、水、そしてあと土壌の汚染があるが、ここでは海洋の水質汚染を扱う。水質汚染と言っても海の汚染、それから、重金属等もあるがここは絞って有機物の汚染を扱う。一番問題なのは、この海が汚染されても生分解する、つまり微生物によって分解されるかしないかという点は非常に大きな問題で、実はこの分解しない、あるいはしにくいような難分解性というのがこの水質汚染を考える上で、キーワードになっていく。

私たちはどういう物質が環境中にあって、特に難分解性がどういう状態であって、そして影響がどうなのか評価するという必要がある。それからもう一つ、どういったサンプルを調べていけば、そういうちゃんとした、例えば食に関して言えば、食の安全というみたいに、これは安全ですねとか、人に対して安全ですねとは言うことはできるか。後で出てくるが、サンプルを見ていけば何らかの予測ができる。

難分解性の物質がある場合、それがどう影響するかは言葉としては生物濃縮、それから食物連鎖という、この二つのキーワードがある。生物濃縮は、例えば海洋汚染だと、タンカーから海上で原油が流れ出すとか、いろんな放射性物質が出てくるとか、あるいは重金属がどこかに流れ出るとか、あるいは今問題になっているプラスチックのゴミ、こういったものが海洋に投棄・流出したときに何が問題かというと、やはり生物濃縮というのが問題になってくる。つまり難分解性であれば、どうしても生体に取り込んでしまい、排出されないという状態が起こる。これが生態系に悪影響を及ぼす。

それ難分解性を小さな生物が取り込むと、それを食べたものではさらに濃縮され、ここで食物連鎖というのが起こる。食物連鎖があると、最終的には人に影響してくる。この生物濃縮と食物連鎖ということを、常にわれわれは考えながら、この難分解性物質がどういう状態にあるのかを考えていいかなければならない。海とか魚介類から人の食事に入ってきて、そして例えば一番影響を受ける、敏感に反応するのは乳児。乳児というのは母親の母乳で育つため、一番敏感なときにその母乳がもし汚れていれば、敏感に乳児に影響が出てくる。そのため、われわれは、サンプルを分析しようとするときは、母乳がどのぐらい汚れているのか、母乳がちゃんと影響ないレベルでしっかり存在しているのかを見る。ですので、今日は母乳のデータしかあまりないが、その母乳を見ていけばどの程度環境が、その回りの人の環境がどう汚れているかという、大まかな評価はできる。さらにその母乳に、例えば一時期何か物質として存在しても、ずっとそのまま残るのか、あるいはいずれはなくなるのかというところも見ていかなきゃいけない。そうすると1年2年じゃちょっと分からない、だから例えば5年10年というスパンで見て、どんどん減っていくのかどうか。もしどんどん増えていくようであれば、これは問題になってくるととらえている。

難分解性物質としては、今、人工的に作られたものが、環境を汚染しているものとしては、医薬品と、また、生活関連物資でいくと、トリクロサン殺菌剤が問題。それから電気製品だとか建物を燃えにくくする臭素系難燃剤が今まで問題になってきた。現在は、だいぶん規制されているがちょっとこの物質を見ていきたい。それからフッ素の配合された界面活性剤があるが、いろんな表面加工で水をはじく、あるいは油をはじく活性剤もある。今世界的に問題になっているのは、3つ目である。今回は、1つ目、2つ目ちょっと紹介する。人工物でなくても、例えば海藻とかも、そういう比較的分解しにくいものを作り出しているというものもがあり、は環境汚染というわけではないが、そこもちょっとだけ述べたい。

最初にいろんな医薬品とか生活関連物質トリクロサンは、せっけんだとか化粧品などに今でも含まれている。これは非常に便利な消毒薬ですのでよく使われる。どこから来るかというと、家庭からも来るし病院からも出てくるし、それから畜産農地から川に流れて、その水環境を汚染する。ここで問題になるのは、例えば抗生物質だとか殺菌剤は、バクテリアが耐性を持つようになることで、生態系には若干影響が出てくる。これが例えば人に入っても、何らかの影響があるのか人のデータをちょっと示したい。

少し複雑だが、棒グラフが三つある。韓国と中国と日本で、人にどのぐらいトリクロサンが含まれているか。左のほうが母乳で右のほうが食事。このデータから見ると、このレベルでは大してその影響が出るレベルではないのかなと評価をしているが、ここで見たいのは3カ国で見ても、地域でそんなに差はないということ。つまり、これはどこの地域でも、トリクロサンというのはどこかから入ってきているのか、あるいは実際に皮膚から吸収しているのかもしれないが、どこでも使われている物質なので、どこでも検出されると思う。

こちらの右の方のグラフは、1990年と2009年ちょっと前のデータだが、10年の間にどれだけ増えているか減っているかというのを見た。若干韓国は違うが、大体このレベルでつまり10年スパンで見てもあまり増えていない。減ってもいないが増えてもいないというデータがある。これから何が分かるかというと、恐らくこのまま使い続けても検出はされない、増えないだろうという予想はつく。もちろん増えないからいいという問題でもないが、少なくとも増えないだろうというような評価をする。つまり食事から入ってきたものは、当然母乳にも蓄積されるので、そういう調査はしていく。ただ問題なのは、やはり生態系の堆積。これはきちんと見ていかなきゃいけない。

それからプラスチックにも、難燃剤が使われている場合がある。その中で今まで使われてきた左の二つがPOPs規制をされてもう使われておらず、環境中にはないはずだが、実際はある。なぜかというと残るから。ずっと残っているため、これが何年何十年経たないと減らないということ。残っていて増えはしないが減りもしないという状況が左の二つ、こちらの方は規制されていないので、これはちょっと調べる必要がある。それから下の方に、新しい、環境にやさしい難燃剤というのも出てきている。そのようなもので代替して、実際に使っているというのが現状である。

一つのデータで母乳を見たが、HBCD(難燃剤ヘキサブロモシクロドデカン)などは規制されているがまだ残留している。しばらくはこの状態が続く。ただ安全基準からすると、このレベルでは非常に低いので、全く影響ないということは言えないが、現状ではあまり問題視されてない。

参加者:母乳に出てくる物質について、それはその女性が子どもの頃からずっと食べてきたものが体の中に溜まっているのか。それとももう少し妊娠してからというような、短い期間の間に溜まったものなのか。

原口氏:短い期間だと考えている。もう一つの物質はフッ素系の界面活性剤、これが先ほど言った、表面を加工するときに水をはじく材料として使われて、いろんなところで利用されている。この上と下のコードの物質は、既に規制されてPOPsになっているが、実はこの種類ではいろんな類似物質が、調べると出てくる。実は問題になっているのは、規制されている方ではなく、原因が分からないが増えている方である

POPsというのは、Persistent Organic Pollutants。POPsというのは毒性がある、それから環境中で長距離移動がある、それから分解しないといったような物質で、そのまま放置しておくと世界中で増え続ける。だから国際条約にPOPs条約があり、各国がそれを禁止しようと規制が始まっている。昔PCBというのがあり、PCB汚染というのがものすごく問題になった。もう30年ぐらい前だが、PCBの禁止から始まって、いろいろな農薬などが世界中で増え続けるようであれば毒性があり問題だということで、禁止しようというのがPOPs規制になる。

これは今、一番左側の物質のCの8って、炭素が8つ付いているが、炭素が8つ付いているカルボン酸と思ってください。それはPOPsで規制されているが、哺乳動物のクジラの中に最も強く蓄積されて、これが今後どうなるかというのを、私たちは見ていく必要がある。人にも蓄積される。

このデータは北海道の人と、北海道に座礁したクジラを使って調べたものである。クジラに蓄積されたフッ素化合物は世界中で調べられていて、日本の近海のこの赤の所が、今、言った炭素が長い炭素が9以上の所が非常に多い。つまり、世界中で見てもこのフッ素化合物が非常に高い、こういうデータが出ており、何らかの対策が必要である。クジラに何かそういう物質が見つかると、恐らくその下位の魚なんかにも、ひょっとしたら入ってくるかもしれない。実際に魚を調べるとそんなに多くなく、安全基準よりずっと下ではあるが、これから増え続けるということであれば、やはり問題である。人を調べると例えばCの8という箇所に規制がかかっていてCは減るが、Cの9やCの10などの炭素が増えると上がっているというデータがある。

このデータは1995から2010年の15年のデータだが、増えている。これも8年前ですから恐らくもっと増えてこういうパターンになると、これはやはり注意して見ていかないといけないという、一つの例である。これは血清のデータだが、とくにこの物質は血清よりは、どちらかというと肝臓に蓄積されやすいので、母乳にはあまり入らないかもしれない。というような点を私たちは見ている。

最後に、海由来の海藻からも類似物質ができる。これは東南アジアの海藻を使ったデータだが検出された。天然から出てくる臭素化合物というのは、ある程度役割はあるだろう。化学防御という言い方をするが、自分を守るために、何か作り出している物質であり、実際には海藻自身が作るのではなく、海藻に共生している微生物が作るのだろうと言われているデータがある。われわれは海藻を食べるが、食べてじゃあ影響出るかというと、それはちょっと分からないが、抗酸化活性があることと抗菌作用が非常に強いということが言える。ですからこれをうまく利用すれば薬になるかもしれない、防腐剤のようなものになるかもしれないというふうに今、思っている。含有性はそれほど強くないので人類にとってはメリットがあるかもしれない。この物質が人にも若干残っているが、どこから来るかというと最終的には魚です。例えばいろんな海藻を取ってわれわれは食べるが、ほとんど入っていない。海藻由来というとやっぱり魚に入っていりので、そのルートというのはちょっと複雑だが、結論としては人にもし食事から入るとしたら、それは魚からだというふうに思っている。私たちは様々な東南アジアの海藻や貝の中に有効成分があるのではないか、といろんなところで共同研究をしている。

サンプルが重要である。人のサンプルの場合はなかなか管理ができない。人のサンプルをランダムに集めて、じゃあ調べて何が分かるかというと、何も分からない。つまりどの年代のどの層のどういった人そういう条件がきちっと分かっているデータを集めないといけない。京都大学にサンプルバンクというのがあり、ここで人の血液、母乳、食事、尿、そういったものを4カ国から20年ぐらい集めている。このサンプルバンクがあるから色々なデータを得ることができる。

また、海洋生物についても集めている大学がある。それが10年、20年集まってくれば、それで初めて年代によってどう違ってくるかの観察ができる。それからクジラに関しては北海道のストランディングネットワークという団体が北海道で座礁したクジラを全て集中管理していて、そのサンプルをまとめて分析すると、これも管理ができているので、いいデータが出てくる。また、海外とも協力しながら、サンプルを集めてどういった所からこういうのが出てくるのか、あるいはそこの汚染はどうなのかというところを見ていく。ですからこのサンプリングというのは非常に重要で、これがなければ何もデータを得られないというのが現状である。

まとめたいと思う。今の環境汚染の問題を考えるときに、今何が非常に問題かというと、実は今の紹介したものは、そんなに問題ではない。むしろ20年前のほうが、環境はものすごく悪かった。特にPCBなどは、今の10倍20倍の濃度だった。そのときは確かに対応が遅かったが、今はだいぶ減ってきた。新たに出てきているのが、例えばこの1番という物質になる。今問題になっているプラスチックのマイクロビーズが取り込まれる際に、汚染物質も一緒に取り込んでくるのではないかというデータが、最近非常に多くの文献で出てきている。そうするとこのような難分解性の汚染問題を考えるとき、今、一番取り組まないといけないのは、やはりプラスチックをどうするかということである。プラスチック自身は人にはあまり害はない。魚はちょっと分からないが害はないかもしれない。でもプラスチックに取り込まれたいろんな汚染物質が、濃縮される可能性はある。今申し上げたような物質は、まだ原因は分からないので、調べる必要がある。どういう環境になっているのか、どこから出てきているかとか、これから増えていくだろうかといったところを調べていくことになる。なかなか一度には解決できないので、このようなことを一つずつやっていかなければならない。できればこういう物質は、廃棄物あるいは大気中に出さない方がいいが、やはり原因は分からない部分がありますので、これは一つずつ押さえる。

それからあとは、モニタリングする場合のサンプル管理をどこかでやってもらって、定期的にチェックをしていくという体制が必要である。20年前のデータがあるから、今どうかというのが分かるわけで、今単発的にパッと分析しでも、実はあまりよく分からない。そういうのもサンプルバンクのようなものができたらいいかなと思う。それから海藻にポリフェノール、臭素ポリフェノールがあるので、これを環境修復に使えないかと少し動いてはいる。つまり微生物を使って何かそういった分析をする。だから日本でも、この中でも海藻をうまく進めていって、それもし修復できるようであればいいのかなという気がする。

参加者:スライドで人半減期という言葉が出てきたが、人半減期とはその人自体の半減期ではなくて、人の体の中にある原因の物質の半減濃度の問題か。

原口氏:両方足したものである。環境中でどれだけ減るかというのと、人の中に入ってきてどれだけ減るのかというのと両方である。二つ一緒にして考える。

清野氏:今のお話も含めまして、今後、この宗像で、環境調査や汚染防止、あるいはデータ収集をどのようにしていくかについて皆さんと話していきたい。それでは次は、宗像大社の長友様の話をご紹介お願いいたします。

長友貞治氏(宗像大社): 神社神道とそして沖の島での奉仕体験というところを中心に、お話しさせていただきたい。まず神社神道、神社っていうのは何だろうか。いろんな宗教がある中で、神道というのは宗教の定義をまずなしておりません。教義経典がある、教祖がいる、そして拝礼施設があるといった面から見ると、拝礼施設ぐらいしかない。ですので、もともと宗教というよりも、古代から生きてきた中で、自然と派生してきた営みであるとも言える。そしてその元々はというと、やはり自然との共生自然崇拝だったと考えられる。そして教義経典がございませんので、意外と日本人らしいというか、神道の特徴でもあるが、決まった考え方がない。8個ぐらい。

その自然崇拝というところでいくと、これだけ災害の多い島なので、古代の日本人が人知を超えた万物に対して霊性を見いだして、それを信仰の対象としてきた。それこそ沖の島で見られるような巨岩、本当に大きな岩であったり、その岩陰であったりというのが、祈りの対象であった。そして自然と共に生きる中で、本当に万物に神が宿るというふうに考えられている。古事記とか日本書紀を読んでいくと、本当にどこまでというか、汚物にまで神が宿るというような神様がおられる。そして宗像の三姫神と申すと、沖津宮の田心姫神、中津宮の湍津姫神、そしてこちら辺津宮の市杵島姫神だが、全てに沖津宮、中津宮、辺津宮と津があり、海辺にある神様である。この読み解き方によると、沖津宮の神様波が、沸き立つような状態で海の霧がかかったような状態を表す性質の神様であるとも読み解かれており、ある意味海の神様でもあると言える。

そしてその自然に対して霊性を乱すと、やはり災害が起こり、どうか鎮まってくださいというような、鎮めの祈りをささげてきたのも、この神道の特徴であるかと思う。そして沖の島にその拝礼施設が入ってくる前が、ここの辺津宮にある高宮祭場露天祭祀である。神籬磐境といい、岩で拝礼施設を囲むよう正位置を作り、岩である座に神様が宿るというような所。今でも家を建てるときとか、拝礼施設がない祭場に行きますと、常緑樹を神と見立てて、榊を用いる。一般的には神の木、木へんに神と書いて榊だが、そういった常々生命力にあふれた常緑樹に神が宿ると考えていた。そして沖の島、そしてこの辺津宮というのが、古代の祈りの形を色濃く残している所で、この三宮それぞれに特徴がある。この辺津宮で見ると、ある程度全国的に見ても一定の規模で展開している組織でございまして、中津宮に行きますとほとんどの方が漁業従事者、やはり板子1枚命を懸けて働いているか方々が中心となっておられ、神主と村が一体になって、祭事を続けていくという特徴がある。

そして沖ノ島に渡ると、それこそ神道の原点であるような場所で、その島の中に神主ただ1人がいる。魚を供えてくださいというような形でたまに漁師さんが見えるのみである。この島の中での生活は、われわれ宗像大社の神職が、10日交替で今は勤務している。常駐して勤務をするようになったのは、江戸の後期あたりとなっており、この土地の有名な考古学者であり、福岡藩に仕えられた青柳種信さんという考古学者の方が、『筑前国続風土記』や『瀛津島防人日記』という本でいろんな記録を残されている。福岡藩の国境警備のために沖ノ島に常駐されて、祭祀を見られたりもされているようで、そのときの禁忌というのも、いろいろ残っている。当時は忌み言葉、あの島の中では使っていい言葉までも制限されていた。まず、沖ノ島に渡る前には、波待ちという状態もあるが、清めを重ねるため、大島に数十日間滞在した。出られるような波の状態になってからも、また吉凶を占うような占いをして、最終的に出発できるようになったら、まず海にお供え物をして、航海の安全を祈ってから、沖ノ島へ向かった。

そして沖ノ島に着くと、今度はそこからすぐ祭祀を営むわけではない。沖ノ島に到着したら、さらに7日間禊ぎを重ねる。そして8日目になってやっと島内に入り、祭祀が許されるというぐらい、恐れまた畏敬を持つ対象であったというふうに記録が残っている。現代においても、一応埋め立て部分の波止場の中央に、我々は寝泊まりをしているが、島内に入っていくときには、毎朝禊ぎをしてから中に入っており、今でも残っている掟の一つである。そして万物に生命神が宿るとされているため、一木一草一石たりとも持ち出しは禁止であるということが、まだ今も残っている。

また青柳種信先生の記録の中には、島内のもう一つの掟、島内で唾を吐いたり、いわゆる用を足したりするのは厳禁であるという記録がある。どうしてもかなわずにしてしまった場合には、その土を全部えぐり取って、海に持っていって海ですすいだ土をまたそこに戻す。これをしないと、狂乱状態に陥った者を何人も見たというような記録もある。そしてやはりこの辺津宮というのは、昔から宗像の神社、日本の形を残しているわけではあるが、やはり沖ノ島という所から見ると、自然が対象であるとかもともと波を祈るというところで考えると、沖ノ島というのは自然を感じざるを得ないような環境である。

あの島の中に1人でおりますと、やはり台風が来ることもある。台風が来ると、恐らく天気予報でやっている風速何メーターというような予報の倍は簡単に吹いていると思う。遮るものが何もないので、すごい風で建物が飛んでいくのではないかという所で、独り奉仕をしている。波止場まで100メーターぐらい離れているが、打った波が社務所まで飛んでくるような状況である。

そして周りに何もないので、夜は満天の星空で、あと鳥獣王国である。オオミズナギドリという、木から落ちる勢いじゃないと飛べない鳥がいるが、渡り鳥で島に何万羽ととんでくる。猫とも赤ちゃんとも取れないようなすごい鳴き声が、ギャーギャーギャーギャーと中じゅうあるような状況なので、あの環境の中に1人でいるということは、本当にわれわれ神社神に仕える者としては、年に2回から3回、原点に戻る機会を、大変貴重な経験をさせていただいている。

そしてその神社の考え方の一つに、われわれの業界でよく使われる言葉だが、人は神を敬うことによって、その徳をいただいて運に沿うというものがある。信仰の対象は宗像三姫神だが、元々はやはり自然や、そういったものの権化である対象として祈っているのであれば、やはりまずは自然に感謝しながら、そして時には災害をもたらす恐れを抱きながら、特に感謝そして敬うことによって、その恵みをいただけるというようなこの言葉は、こういった問題にも通じるのではないかなと思う。

清野氏:今の話を伺って、宗像大社の方々の自然観というのは、本当にそういったフィールドワーク、自然の中に自分しかいないという体験の中から、体で感じてきたものなのだと思った。

次は、西日本新聞社の今井様、ずっとメディアとして、この地域に受け継がれてきたお話を伺いたい。特に海の環境のことについて、ずっと取材をしていただいている。

今井知可子氏(西日本新聞社記者):私はここにもう4年着任しており、着任時からこの会議に参加しているが、世界遺産の登録もあり、また自分自身ここに暮らしていると沖ノ島の存在というのは何だろうかというのを、常に考えることになった。沖ノ島は女人禁制でもあるので、たまにメディア上陸取材をさせていただく機会があっても私は行けない。宗像支局長であるけれども、私は上陸できないので、代わりの記者に行ってもらう。だから私は、その長友さんがおっしゃった、そういう景色を見ることができない。ただ私は、沖ノ島に行けない私にしか書けない記事を書こうというふうに考えた。ちょうどこの環境会議を通じて知り合った方々から、その沖ノ島をその方たちはどんなふうに見てらっしゃるかとか、そういうことを聞く機会が多かった。

その中でも、遥拝という、行くことができない人が遠くから拝礼をするという行為が日本にはあって、沖ノ島の信仰というのはほぼその遥拝、一般の人たちっていうのは遥拝という行為を通じて行われていることを、地域の方たちに聞いた。そして私は、遥拝ができる所を探して回ろうと思い、地域の詳しい人などに、ここから沖ノ島が見えるよというスポットをあちこち案内していただいた。いろんな場所、本当に意外な所から見える。丘の上で、こんな離れた内陸部で、という所からも見える。さらに、今でも沖ノ島を遥拝するという行為を村の集落を挙げてやっている所が、福津の手光という地区にある。

お祭りに伺うと、神職様がドンドコドンドコ太鼓をたたいて、みんなで沖ノ島のほうに向かって手を合わせるという場所だが、そもそもそこは沖ノ島どころか海も見えないような場所だった。じゃあ海も見えない場所に、どうしてその沖ノ島を拝礼するという行為が残っているのかということを考えているうちに、多分そこが沖ノ島の、その普遍的な顕著な価値につながるのかなと。ちょっとうまく言葉にできないのですが、その人が自分たちではどうにもならないような事態に至ったときに、そっと手を合わせて向けるための存在、そういうものとしてやっぱり沖ノ島という象徴がこの宗像にはあるのではないか。沖のノ島が世界遺産登録になったことで、じゃあそれで何かいいことあるのかと読者から聞かれることがあるが、私が最近答えるようにしているのは、その沖ノ島が世界遺産になったことで、“沖ノ島の海を自分たちが守る責任があるのだから、そういう開発はさせません”とか、それを堂々と言える権利を勝ち得たというか、そう言ってしまうとすごく固いが、“沖ノ島があるからそれはしたらいかん”と言えるようになったということが一番大きな意義なのかなと思っている。

清野氏:ものすごく本質的な話をいただいた。午前中に想像力とかイマジネーションの話があって、やっぱり女性のメディアの方が行けないということを感じながら、じゃあ遥拝とは何かという、何か今の話自体を記事に書いてほしいぐらい、私も感動した。まさに午前の話と、きょう皆さんとこれから共有していきたい話の肝のところと思う。

今日は、海女さんのお三方に来ていただいている。自己紹介と経緯をお願いしたい。

正宗慶子氏(鐘崎海女):宗像市鐘崎で、先祖代々海女をしている。現在お父さんと私で潜らせてもらっているが、地元の海女さんというのは、自分と60代の方で、今年から地域おこし協力隊の2人が加わってくれたものの、ほとんど女性がおらず、男性の海士が多い。女性としては、なかなか働きにくいところも現在あるが、その昔から伝わってきているものを、まずその次の世代につなげたいという気持ちがあっても、なかなか海女だけでは食べていけない現実もある。昨日今日と、環境問題についていろいろ聞いて、地元の漁師さんというのが、一番海に対しても環境に対しても問題視をしていなくて、一番海に近い存在でありながら、海を一番汚していると、自分が一緒に潜っていて実感できる部分があった。また、潜ってないときは、海の上からしか海を眺めることがなかったが、海の環境問題だとか、今まで岩場だった所が砂で埋まってしまって、貝だとか海藻だとかが育たないという環境を目の当たりにしているので、今年5年目だが、これからちょっとずつでも、海を汚さないことも含め、これからこういう貴重な体験を一緒にできるように、海女としても、その次の世代につなげていけるように、頑張っていきたい。

本田藍氏(地域おこし協力隊・鐘崎海女):私は、実家が滋賀県だが、今年の4月から海女の見習いとして地域おこし協力隊として、宗像に入っている。なぜ海女さんになろうと思ったのかという質問をよくいただくが、いろいろな理由がある。そもそも海が好きだったというのもあるが、私は京都で学生を6年ぐらいやっており、大学の寮に住んでいた。そこの寮というのが、実は築105年の木造の住宅で、壁はひび割れていて、外が見えるような所だが、そこに住んでいたという経験が非常に大きい。

先日、実はNHKの『ワンダーウォール』というドラマの題材になって取り上げられていたが、その私が前住んでいた吉田寮が今、存続の危機に立っている。私はそこの寮で、ニワトリとかヤギとか、あとエミューとかいろいろ育てて食べていた。畜産が趣味で、有志ばっかり5人ぐらいいたが、当時、自分の手で育てたものを自分で食べるということに興味があり、寮を見学行ったときに、面白い所あるなと思った。帰りに自転車のサドルの所にニワトリが止まっていて、コケコッコーって鳴いたので、ここに住みたいなと思った。

さっきも神職の方から話があったように、歴史があるとその中でいろいろなルールができてくると思うが、いろんなルールが寮にもあった。例えば普段、一般の場合であると、なんやこいつと思われると思うが、目上の人というか、年が違っても必ず敬語じゃなくてため口でしゃべるというルールがあった。理由を聞くと、寮に住んでいる人の年齢層が様々だから。例えば同じ寮に住んでいて、寮に対して私はこうやったら住みやすくなると思うという意見を言うのに、年齢は関係ない。敬語を使った時点で、その相手に対して上下関係というのが必ずできる。 また、大学とは寮を残すため、交渉もしていた。その交渉をする中で、私、始めは非効率だと思ったのがリーダーをつくらないということ。寮として団体で大学に交渉に行くが、リーダーをつくらない。なぜかというと、その人にある意味、権限が全部集中してしまうので、いろんな人の意見が吸いにくい。経済的というと私の中ではイメージは効率的に生活するっていうことなのかなと思っているが、効率化の方面だと切り捨てられるものがたくさんあるというのを、多分恐らく長い歴史の中で、それはやめておこうと実践している寮だったのかなと思う。

環境について考えるときに、効率ばっかり追い求めがちというか、便利な生活したいし、別になくてもいいけど、あったらちょっと楽みたいなものはたくさんある。一方、あったら楽やなみたいなものによって、犠牲にしているものも多分ある。人間に対して悪影響があるか、人間に対してどんなメリットがあるかとよく考えることは、要は経済的な考え方をしていることになると思うが、そうではなくて、3万年からずっと昔から続いてきた話を昨日伺ったが、うまく長いこと続けようと思うと人間も割を食わないといけないところが多少あるのではないかなと思う。

海女漁は、非常に非効率な漁の方法だと思う。目で見つけて採ってきて、網でガサッと採るわけでもない。非常に効率が悪いといったら悪い漁だが、そうしてうまいことこの宗像の中で歴史をつむいできたんだろうなというのは、今海女漁をしていてすごく思う。実際に、全然採れず、小さい課題から大きな課題までいろいろあると思うが、古いものを壊すのは簡単だがつないでいくのが非常に大変。海の多様性を守る、海の環境を守るってことはもちろん大事だが、それだけでは多分残せなくて、いろんな文化、そこに住む人がいて初めてつながるものだと思う。

なので、環境のことを考えるし、この海女の文化とか、いろいろな人々の考え方とかそういうものを、100年後か200年後か分からないが、その先にどうつないでいけるのかを考えていきながら、いろいろできたらなと思っている。

林由佳里氏(地域おこし協力隊・鐘崎海女):今年の4月から宗像市の地域おこし協力隊で入ってきた。私は実家が岐阜県で、高卒から愛知県にいたので、もともと育った所は山だった。全然海のない所で、多分逆に異様に海に憧れていた。愛知に行くって決まったときに、サーフィンをすると決め、毎週海に行っていた。仕事をしながらもっと海の近くに住みたいと思って、海の近くで何か仕事をと思ったときに、20代前半ぐらいに海女さんという仕事をひらめいた。愛知の近くの三重県の海女さんが有名だが、三重という場所があまりピンと来ず、しばらく忘れていたが、たまたまインターネットで、宗像市が海女さんを募集しているのを見て、募集期限が切れていたが応募したところ、こうやって採用していただいて、ご縁を感じている。

潜るのが好きというわけではなく、本当にただ海が好き、漬かっている感覚が好きで来たので、最初は船にも酔って吐いたり、実際全然潜れなくて、無理なんじゃないかと思ったが、皆にそのうち慣れるって言っていただいて、それを信じるしかないって思ってやっていたら、本当にだんだん大丈夫になってきた。

昨日、中村組合長が、波止場の昔の鐘崎の写真を見せてくださって、今この波止場が大きくできて、やっぱり船が着けやすいし、漁師さんの生活は楽になったが、砂がたまってくるというのをお話しされていた。私たちが今、潜っているのは織幡神社という神社の下の所だが、そこは昔海だったのに砂が上がってきている。昔はこんなふうじゃなかったと言われても、うちら4月から来たので、へーっと言うだけだが、そんなイメージがわかないぐらい、砂が上がってきている。波止場の所も、砂はやっぱり取らないと、大きい船が入れないので、お金をかけて砂を取るといったことをしているし、あとは磯の方もやっぱり採れなくなってきているので、投石をしてもらったりしている。それもやっぱりすごくお金がかかるので、国とか市とか予算を頂いているが、その波止場をなくすことはできず、もちろん砂がたまってくるのも現実で、何が大事なのだろうかと今考えている。

素潜りなので、採り過ぎないために時間を制限したりしているが、一方で生活ももちろんしていかないといけないので、3年後を見据えてやっていく上で、本当に大切なのは何なのか考えるがまだわからない。

清野氏:2年程前は、もうここは海女発祥の地だけども、この伝統は終わります、みたいな話をしていた。これは映像記録を残すしかないんじゃないかとか諦めモードだったが、二人海女さんが来られてびっくりした。いいニュースを聞いて、県内のサーファーの方とか、あと会社をされている方とか、自分の夢を託せそうと、一緒に少しずつだが集まってきていおり、何か大きな流れになるような気がしている。

最後に、3社の方々から一言、二言話をいただきたい。技術者としてでも個人としてでも、会社を代表していなくても全く構いませんので、思いやご意見とかを言っていただければと思う。

三浦剛氏(新日鉄住金エンジニアリング):日鉄住金という北九州と大分に製鉄所がある会社のグループ会社で、製鉄分野、エネルギー分野、環境分野、そして建築土木分野などを中心に事業を展開している。宗像市には、ゴミの溶融炉を運営しており、ゴミを処理した後に普通燃え残った灰が出るが、そのスラグを砂と同等の建設資材に生まれ変わらせるということをやっている。その有効利用先をいろいろ検討しているが、それを使って海藻を、藻場を育成するというようなことも研究開発しており、これからフィールドワークをする竹魚礁の重りとして、そのスラグを使ったブロックを3年前から提供させていただいている。

午前中のお話の中で非常に印象的だったのが、やはり明治維新以降時間軸が非常に短くなったということで、それまでは、1000年2000年という時間軸で、建築などを考えていたということ。このような大規模な生産、効率的な生産を行って、廃棄物を処理する時代に入ってからは、まだ50年とか100年にも至ってないんじゃないかと思う。企業としては、そういった中でさまざまな技術開発などを行いながら、解決策を見いだしていこうとしているが、我々は、活に基づくゴミを処理しているので、このような市民の皆さまの意見を聞く機会に、参加させていただいたりですね、皆さまの意見をお聞きしたりすることが、非常にわれわれの勉強になり、今後も参加させていただきたいと思っている。

富村達也氏(シャボン玉石けん):私どもシャボン玉石けんは創業が1910年になるので、創業から108年の会社になる。もともと総合問屋をやっていて、その中の一つとしてせっけんを扱っていた。1960年代に入って、全自動洗濯機の普及と同時に、合成洗剤もいち早く扱うようになった会社である。旧国鉄現JRから機関車をおたくの合成洗剤を使って洗うとさびが出る、無添加のせっけんを作ってくれという依頼があって、それから無添加のせっけんのテストをまず始めた。その際、先代の社長である森田光徳が、試作品で作ったせっけんを家に持ち帰って、洗濯とか体を洗うのに使ったところ、17年ぐらい悩まされていた湿疹が治ったが、その試作品が切れて、もともと使っていた合成洗剤でまた衣服を洗いその衣服を身に着け始めるとまた湿疹が出た。その湿疹の原因が合成洗剤だったのではと、合成洗剤のことをいろいろ調べていくと人の体に影響があったり、環境に影響があったりということが分かってきたので、体に悪いと分かったものを売るわけにはいかないと、その後、1974年に全ての製造を無添加のせっけんに切り替えた。

もともとは月商で8000万ぐらい売り上げていたが、無添加に切り替えると月商78万円、1パーセント以下まで下がってしまったが、人の体にも環境にも非常に悪い影響があるという合成洗剤を、これ以上売るわけにはいかないと、それから17年間の赤字を乗り越えて、今も無添加せっけんを作って販売し続けている。

先日、屋久島で、ビーチクリーン活動を当社とあと日本自然保護協会と協働で行った。そのときに参加をしてくれた一般の方がすごく感謝をされて、理由を聞いてみると、そういう所に企業が入ってこないと、なかなかそういう活動を地元の人だけではやろうとしない。それを聞いたときに思ったのは、環境活動に人を巻き込むということと、それと情報を発信する、それを継続していくこの繰り返しというのが、企業ができることの一つかなということ。なので、この中からでも、そういった活動ができたらなと思っている。また福島先生が行われている水辺教室では、今当社はお土産を配っていただくということしかできていないが、今後その活動を継続していくために、我々だからこそできることがあるのではないかと思った。

原口丈仁氏(トヨタプロダクションエンジニアリング):私たちの会社は、宗像市に本社があるが、実は従業員の8割は愛知県豊田市にいる。私どもの会社のメイン事業は、車づくり、特にデジタル技術で、CAD、CAE、3Dなどのコンピューター上で仕事をすることがメインとなる。

最近はそうしたコンピューターを使った取り組みの中でも、VRですとかCGといったコンピューターグラフィックスとか、そういったものを使って仕事をしている。私もつい2~3年前に知ったが、隣にゼネラルアサヒさんというCGで結構強い会社さんがあったり、福岡市ではゲーム会社がたくさん展開し、地元の企業さんと連携をして新しいビジネスができたり、福岡市は結構パワーがあると感じている。

車造りに関わっているが、そうした技術をもっと他の分野に生かせないか思い、福岡トヨタなどのディーラーさん向けのVRのコンテンツを作ったり、昨日大島交流館さんに収めさせていただいたVRコンテンツを作ったりする取り組みもさせていただいている。

我々にはそういった道具はいっぱいあるため、何かこの宗像国際環境会議でも協力できることないかということで、実際きょう海女さんの皆さんと、海の中の撮影をしようと考えている。多くの方がそうではないかと思うが、実際われわれも私も海がどうなっているのか見えない。まずは、問題をみんなに知ってもらうというところから始めるために、海の中が実際どうなっているのかを、皆さんと一緒に見られたらいいなというふうに思っている。

今後、これを継続的にしていくことで、その海がどういうふうに変化していくのか、良くなっていくのか悪くなっていくのか分からないが、そういった形で記録を残していけるとよい。大した力ではないかもしれませんけど、皆さんと一緒にやっていけたらいいなと思っている。

清野氏:最後に藤原先生にも、分科会の総括をお願いしたいが、ちょっと考えていただいている間に、私のほうから今日の若干の総括をさせていただく。

宗像国際環境会議の中では海の問題を大きく取り上げている。私自身、30年近く海の研究者をやってきている中で、海にフォーカスして結構徹底的に継続的に議論する場は他はあまりないかもしれない。地域の方と共に、本当遠くからもいろんな方が来てくださるというのは、相当珍しい。

以前、海洋問題というと、日本の中で深刻なものを起こした、特に水俣病があった。その世代の考え方が風化し、社会が忘れていく中で、マイクロプラスチックの問題、あるいは抗生物質の問題などが出てきて、現役は一体何をやっているんだと、明日から登場される鈴木先生などの世代の先生も怒っておられ、本当にひしひしと何をどうしたらいいのかなと思っているところである。

今、本当に多くの企業が環境技術を開発し、社会連携を本気でやろうとしていることに感動を覚える。70年代に海洋環境問題が起きたときは、海洋環境学者と行政、産業間も真っ向から対立して、もう出口がない形が続いてきた。それもあって多くの方が参加してくれるということ、そしてそれがきょうの海女さんのお三方が、また海女業を開始してくださり、新たなコンセプトで伝統を見直し、そして体を使ってやってくださるということが、すごく何かもう海洋分野にいる者としては、うれしいなと思うところである。

午後は、海洋環境問題が解決してもお金にならないとか、海洋の好きな人だけの趣味の世界とかいわれている中で、新たな技術と優秀な方が新たな従来の海洋分野ではないところからどんどん入って新しくまぜっかえしてくださると、またこの分野も浮揚してくると思う。

そして、午前中のイマジネーションの話とか積み重ねていくということが大事だというテーマが、技術の方々の話に合った積み重ねの見える化だとか、見えないものを科学の力で見える化して、みんなの意識に取り入れていくという話が、分野が違いながらもキーワードとしてつながっていくような気がしている。そういう点で、宗像のこういった文化的なところというのは、すごく重要なところである。

今この宗像環境会議を始めてくださったときの市長さんがおられるが、一言、いただきたい。今日の宗像の文化、市民性を育てたという点でも、本当多くの貢献をされていて、それがなければ直接市民生活に関係ないところを続けることは、難しかったのではないか。

谷井前市長:今回、初めて3日間参加する。この会議の発端は、沖ノ島関連遺産を世界遺産にするということがあった。古代から宗像海人族が海を恐れ、波を敬い、国際交流をやってきたそのような海をこれからも生きた海として守っている一方、その海は残念ながら環境汚染されている。そういうことをここから発信しようじゃないかと、いろんな有志の方が集まりまして、宗像で重要な話をして来た。この沖ノ島関連遺産の趣旨は、先ほど長友さんからも話があったように、日本のプライドをぜひ大事にしていく、発信していくということ、それから保存をするということである。

それともう一つがさっきも言いましたようにエコロジー、環境を大切に、これからもそういう意味で世界遺産と環境とをセットとしてほしい。私も、最後の行政やってきたことと合わせてこの二つを発信していく、そのためにこの環境会議、ぜひ末永くというか、この小さな都市から世界に向かって、日本と言わずに、世界に向かって発信できるように、頑張っていただきたい。

エバレット氏:まずは先ほど元市長が言ったように、こんなに熱意のある若い人、年寄り、中年の人、女性、男性が、また、いろんな分野の人たちが集まっているのは、すごく力を感じる。やっぱりこれから環境問題や、いろいろな社会のいろいろな問題を解決するために、横のつながりがとても重要だが、それはまさにここでできている。あとはもう淡々と、解決に進むしかない。

藤原氏:私の故郷は、熊本の中腹、長陽村である。今は南阿蘇村と呼ぶが、長陽村の長野は大変な田舎だが、とても豊かな村だと思っていた。ところがこの数年、特に東日本大震災が起こった頃から、いろんなその予期せぬ、自然の脅威にさらされるようになり、大きな雨が降ったり川が氾濫したり、あるいは阿蘇山も少しその怒っているようで、いつ噴火するかともしれない。阿蘇山には、実は京都大学の阿蘇火山研究所というのがあって、私の友人たちがそこで教授をやっているが、そこによく行っていた。ところが2年前に熊本地震があり、さらにその1カ月後に、大きな大雨濁流で、私が小さい頃育った実家が一夜にして全失してしまった。私が父や母のために作ったお墓まで壊れてしまい、それから異常な猛暑酷暑、さらには大雨北部九州大水害と、どうしたんだろうって、もう本当に神様があるいは仏様が、私たちにしっぺ返しをしているんじゃないかと思うぐらいに、ここしばらくこの異常気象や、あるいはもう私たちが自分で、コントロールもマネジメントもできない。何か地球から厳しく叱咤激励されているというか、本当に厳しく指弾されるようなこの気象現象に、私たちは苛まされているわけだが、海に潜られていると、そういったことを直接感じられることもあるんじゃないかと思う。

先ほどは砂浜の話だったが、実は恐らく阿蘇の変化とこの宗像の海の問題は、どこかでつながっているような気がする。しかし、それも、私たちが小さなエリアだけを自分の生存先としていると分かりません。やはり私たちはそういう大きな自然の理念みたいなものに、自分の想像力を働かせて、たとえ山出身の私でも、やっぱり海に対して強い関心を持つ、今度は海の皆さんも、阿蘇とか偉大なるその山々に興味関心を持っていただいて、例えば里山はどうなっているのか、草原はどうなっているのか、そういったことも一緒になって考えるようなことが、必要になってくるんじゃないかなと思う。先ほど清野先生がおっしゃったように、こういう何か本当に身近な自分の問題と、巨大な地球環境の問題を、同時に考えていくことが、私たちを鍛え上げるにはとても重要な場になっているのではないかと改めて思った。皆さまと一緒に、いろんなことをやっていくことができればいいなと思っている。

第2分科会 環境と経済の融合

《助言者》岩元美智彦(日本環境設計代表取締役会長)、中井徳太郎(環境省環境政策統括官)、筑紫みづえ(グッドバンカー代表取締役社長&最高経営責任者)《座長》花堂靖仁(早稲田大学知的資本研究会上級顧問)《発表者》中島信二(キリンビール)、山崎啓之(TOTO)、松本征治(西日本電信電話)、板垣哲郎(日本航空)、松田愛子(NPO法人改革プロジェクト)、安松亮一(森林再生の会)、権田幸祐(鐘崎漁師)

(午前)

花堂氏:第2分科会のテーマは環境と経済の融合だが、今回のシンポジウムのメインテーマはSDGs(持続可能な開発のための2030アジェンダ)をくみしている。昨日の澁澤寿一氏の基調講演「持続可能な社会へ向けて」では、SDGsに関して次のようなことを提案されたと思う。SDGsは2015年に国連総会で、全会一致で採択された。国連憲章に従うと、加盟国はこれに従うことが求められる。従うというと、日本は長い間海の向こうから来たものに従う、followerになるという姿勢が明治以降150年続いている。これはこれで大事である。

一方、今日改めて、中井統括官に参加いただいているが、環境省の役人としての立場だとアジェンダをfollowする義務を負っているが、個人としては別にお考えがあるだろう。昨日のような立場では統括官としての立場で発言された。一方、澁澤さんのメッセージを受け取って中井さん個人ではSDGsをどうとらえているかを伺ってみたい。

SDGsの冒頭にはNo One Behind誰一人取り残さない、と書かれている。これが最も大きなメッセージである。念のため、17のグローバル目標と169のターゲット(達成基準)を配布したが、17の目標は目にしても169のターゲットを読んだことがある方はいらっしゃらないと思うので、時間のある時に目を通していただきたい。

誰一人残さず、ということは、それぞれの立場で社会の中でどう行動していくかということ。企業として、個人としてどう行動するか。またNPOであれば社会のニーズの代弁者として、である。これはNPOがやってくれることだ、役所がやってくれることだ、という姿勢ではだめだというメッセージである。一人ひとりがどうしていくか、という点と昨日の澁澤さんのメッセージをつなぐと、我々はどうSDGsを活かしていくのか、ということである。今日は宗像大社の社の施設を使わせていただいているが、地域に根差した場所で視点を整理して、そこからものを考えていただきたい。

SDGsに戻ると、この17の目標をまとめるポイントがある。普遍性、包摂性、参画性、統合性、透明性の5つのコンセプトに対して17の目標が紐づいている。また次ページ以降には、私なりに国内のSDGsのモデルをまとめている。1つ目は環境省の中井氏がまとめて来られた森里川海プロジェクト。2つ目は伊勢神宮である。内宮と外宮の2つの社から成っている。内宮は皇室の神様で、外宮は伊勢の町の人、日本中の伊勢信仰を持っている方に常に解放されている。神道はうまくサステナブルにできている。神様は地のものしか召し上がらない。果物、野菜、塩、そこで獲れたものを加工していく。また20年に一度式年遷宮をしてわざわざ建て替える。その意義については諸説あるが、少なくとも社会の中で伊勢神宮の考えている社会観・世界観を常にリフレッシュして、サステナブルに、持続可能なものにしていくということではないか。3つ目は、朝日新聞の記事だが、日本人より世界の方が気づいていると思った。発酵技術をとてもうまく使っている例を取り上げたもので日本食に目を向けている。SDGsはそれぞれの立場でできることを考えたときに初めて世の中を変えていくことができるのではないか。

本分科会のテーマである環境とは自然環境とも地球環境とも考えられるが、少し大きな内容でとらえた方がよいだろう。一方、経済とは、20世紀に確率された大量生産・大量消費の仕組みをどうやって生かしながら暮らしていくか、ということ。専門的な言葉では市場経済原理、貨幣経済原理だが、お金を使わないで生きていくことがかつてはできたのではないか。メルカリを介していらない物をお金に換えて必要なものをそれで買うのではなく、お年寄りであれば、そこにお金を介在させずに友達と、またはご近所同士でやっていたのではないか。私の経験から言ってもそうである。東京でも普通だった。現在ではそうはいかない。18歳の孫がいるが、まずはお金を最優先に考えないと彼女の暮らしは成り立たないように感じる。今日の視点は、人の暮らし、衣食住を支える、持続可能にしていくためにはどうすればよいか、私たちの今の暮らし方が5年先、10年先、30年先に続いていくか、ということを考えなければならない。その一番大きな提起がSDGsを考えていくことで成り立つのではないかと思う。

本日の進め方だが、最初に助言者の方にガイダンスを兼ねて発題をいただき、その後会場の方から、質問や専門用語の説明などを受ける。手が挙がらない場合はこちらから指名して、少なくとも参加者全員が発言できるようにしたい。

中井氏:第2回の国際環境会議の時から紹介させていただいているが、環境省では平成26年から「つなげよう、支えよう森里川海プロジェクト」を展開している。環境・経済・社会の課題が非常に入り組んでいてこのままいくと21世紀はどうなるんだ、という問題意識から始まった。地域課題、社会課題、人口減少、高齢化などが差し迫る中、地域経済は今後どうなるのか、日本企業のパフォーマンスは国際社会で勝てるのか、その中で進むIT革命に我々はついて行っているのか、という危機感があった。今年が最も影響が大きいと感じるが、気候変動とそれによる課題、人口集中による地域の一次産業の衰退など、絡まり合っている問題を皆で協力して解決していこうという取組みである。このプロジェクトはやればやるほど正しいという気がしているが、現代は、ITやAIやIoTなど先端技術があることで、皆が社会の根っこの部分を発案でき、変えていける時代で若者のベンチャー企業などもどんどん出てきている。そのような背景の中で、このプロジェクトは、単に自然回帰の運動ではなく、地球に住む我々が健康で豊かな生活をどうしたら送れるか、という根っこのところを考える運動である。

人間も生き物であり、ものを食べて血液が流れ、水分や空気が必要で、一方、体の外には森里川海という自然の恵みの根っこがある。森里川海には、象徴的な水の循環系があり、生きとし生けるもの、私たちもその一部であり、また私たちの中にも循環系がある。そして、体の中には微生物がおり、細胞の中にはミトコンドリアがいて、進化の過程では植物かもしれない、という話になっている。しかし、体の外では森里川海の循環系、都市圏に人口が集中し、そこで生きるために人間は、循環系の発想の外側で、価格というメルクマールだけで中東の化石燃料に頼っていびつになっている。こういうバランスを戻すことが21世紀の社会をつくる根っこではないか。そこに着目して、本来の循環、生きもの、競合企業やいろんな人と折り合いをつけながらやっていこうという知恵、日本的な知恵を出し合い、世の中を変えようというのが森里川海プロジェクトである。国民運動として立ち上がったため、森里川海の恵みを認識して引き出そう、一人一人が自分の立ち位置で関わり、コラボしよう。つなげよう、支えようという言葉にはという言葉にはいろいろな意味が込められており、すべてがつながっているという日本人の見方が詰まっている。

具体的には、地域の再生エネルギー、太陽エネルギーや、例えば今日の湿度も自然の恵みだと見方を変えれば使う知恵がでてくるかもしれない。ここでは、例えば食べ物としてイカや玄界灘の恵みがある。ITを駆使しつつ、森林資源も漁礁にもできるが、バイオマス発電もできる。地域というターゲットで考えると、ここ宗像は森里川海の循環系があり、すばらしいフィールドである。地域のモデルを発信することが大事だが、一方、都会では自然に触れるリアルな機会を増やさなければならない。啓発普及のためには、プロジェクトのアンバサダーやインフルエンサーの方とも組み、常に同じ問題意識を持って議論し、発信している。特に、最近では、広い意味でのオーガニック商品などを共有できる音楽フェスなども開催して多角的な取組みを展開しようとしている。その矢先に、2015年にSDGsの取組みが始まった。

SDGsは世界で取組みが広がっており、自治体や企業、市民の方が興味関心を持ってくださるよいきっかけだと思うが、世界に遅れているから追いかけようというのではない。森里川海プロジェクトすなわち地域循環共生圏が、社会全体に広がれば環境生命文明社会、新しい生命のシステムでいく社会という構想がすでにSDGである。これを第5次環境基本計画に取り入れ、政府全体で取組みを進めていくとして閣議決定した。世界中で取組みが行われているSDGsを皆さんが咀嚼して自分事として進めていくことが、日本としてのSDGsになる。後追いなどではなく、SDGsのコアコンセプトのコアの部分は、日本こそが一番すごい。

現在はインバウンドで注目され、世界の企業が日本の良さを見て学んでいる中で、本家本元が発信しようではないか、というのがSDGsだと僕は解釈している。SDGsを共有しながらもオリジナリティのある日本の概念の根底にあるのはなにか。循環と共生である。自然、生命、生態系、循環、エコシステム、人の体のシステム。一人も取り残さないことが大事だが、それに至るには、現在のそうではない状況を健全な状態に戻す移行のプロセスがある。2030年と言っているが、温暖化でいえば、2050年までにCO2排出量を80%減らすとしており、排出をとめることで21世紀中には温暖化を2度以内に食い止めようという議論をしている。このようなプロセスの中でこのシステムをみんなで理解しくことが必要である。人の問題ではあるが、地球エコシステム、生命生態系、そして微生物の問題であり、すべてがうまく回っていなければならない。

SDGsを自分ごとにするために、地域、企業などがそれぞれ取組み、そして、SDGsという共通言語で、日本の根源的な価値を世界に発信していくことが大事である。みんな日本の取組みに着目している。

宗像は、モデルとしてその発信地になるような地である。大和朝廷より以前、弥生時代から民が自然との折り合いの中で創り出してきたもの、それが積み上がって大和朝廷との関係が構築された。その宗像に敬意を表して、ここで祭りを行い、アジアの起点となってきたことを踏まえながら今に至っていることを考えるとまさに我々の精神性の根っこを持った地域である。

我々もこれからはどんどん発信しようと思っている。来年度は、NYに行って日本版SDGsの取組みを発表し、日本の古くからの循環や共生の取組み、日本人の精神性、日本食、日本の技術の根っこにはそのような精神性があることを伝え、世界中の人達が日本に来て学ばざるを得ない、そういう21世紀にしたい。

参加者:これから森里川海の取組みにあたりチャレンジではないかという部分についてお聞きしたい。川を流れる水がプロジェクトの中核になってくると思うが、長良川河口堰や有明海(諫早)の干拓事業などは生き物が往来するルートを断ってしまい、生態系のサステナビリティに大きな打撃を与えている。川を辿っていくと次から次へとダムが現れる。霞ヶ浦でも琵琶湖でも同じだと思うが、それを取り戻すために自然を元に戻すと、防災や治水の側面との衝突が生まれるのではないか。これをどうやって乗り越えればよいのか。

もう一つは、山の問題である。スギとヒノキに覆われた人工林は、根がすごく浅く、水をものすごい勢いで吸い上げている。スギやヒノキに覆われた山は保水量が少なく、川の水位が下がっていると聞いた。国の施策として植林をしてきたが、本来の豊かな森を取り戻すために、その方向転換をすることはチャレンジではないか。

中井氏:河川系の管理、ダムもついては治水メインでやっていたこともあり、それを否定するわけではないが、議論も変わってきている。魚道がない、循環系が破壊されているの問題意識は国交省河川部自体が抱えている。ただ、必要なダムとそうでないダム、必要な河口堰とそうでない河口堰がすぐ峻別できて、5年以内になんとなかなるかというとそれ以上時間がかかる。一方で、熊本の荒瀬ダムではダムを撤去して水系が戻ることで生き物が戻ったり、別の九州の事例では、うなぎや鮎が上がれる河川改修を国交省が入って行っている。徳島ではハスの田にコウノトリが飛来して住み着いたため、コウノトリが住めるように湿地の改修をしている。

防災の視点が大事だという点は否定しないが、行き過ぎて、断ち切ってしまった循環系を戻すことが大事であり、そこは声をみんなで発信していきたい。また、潮堤を高くすればすむ話ではない。オリンピック後、建築業は何で食べていくのかという議論もしている。これまでは、自然を収奪して構築物をつくることで回している経済だったが現在は違う。まさにSDGsでは、我々のお金が回って循環していく経済活動は何かが問われている。九州でも、自然に配慮した工法、新土木という議論は建設業者、国交省を含め始まっている。動きはあるので、それを全国民的に押していかなければいかない。

山の問題については、おっしゃる通り針葉樹を植えすぎてしまった。すでに伐採期に入っており間伐という次元ではなく、すべて伐採して新たに植えなおさなければならないフェーズに入っている。針葉樹は根が浅いので、間引きもしないまま集中豪雨が来ると災害を引き起こしてしまうことが増えている。木の有効利用は徹底的にやる必要がある。これも国民的課題であり、我々も地域での様々な動きを政策的に反映させている。お上が行っているから、という時代は終わっており、気づいた人がやれる、それがIT社会である。本気であればコラボしながらやっていける。おっしゃる通り課題はあるが、それをなるべく早く社会自体を移行していかなければならない。移行自体にコンセンサスはすでにあるので、皆が食べて子や孫につなげる新しい形で探っていくことが大事である。怖いことは何もない。

花堂氏:宗像でやっていることの意味は、今の中井氏の話で理解される。たとえば、釣川にはなんの問題もないかもしれない。でも昔いた蛍が飛ばないという事実に対して問題意識を持ち、様々な取り組みを地道になさっている。これが大事である。伊勢神宮でも20年に一度、式年遷宮のためにヒノキを植林し森を作っている。しかし、その大半は広葉樹がメインである。そうして灌水機能を維持しながらその間にヒノキを植えて、御柱にするまで200年で胸高直径60センチに育て上げる。ある思いを持って、皆さん一人ひとりがどう努力していくか、ということによって、はじめて問題の解決の糸口が見つかる。そうしてそれを皆さん自身が発信していくことが重要である。

筑紫氏:20年前、1998年7月14日にグッドバンカーを設立した。スイスの銀行で働いていたが、バブル後は、銀行は役に立たない産業ともいわれていた。しかし、あらゆる産業は人間の社会を幸福にするためにあり、金融業も同じだ。それを示したいと思い、SRI(Social Responsibility Investment)の勉強会を作った。今こそ、SRIの考え方を日本に広め、新しい金融があることを提言し、新しい金融商品をつくろうと思った。

SRIは、銀行に預金をする、保険を購入する、株に投資をする、投資信託、債券など、あらゆる金融行動において、社会的な意義を考えて、自分の視点・価値観で投資することである。もとは、キリスト教やイスラム教などの宗教的な概念である。お酒、ギャンブル、ポルノ、19世紀であればプレイボーイなどに教会のお金を流していけないということで始まった。その後、1960年代、ベトナム戦争の際にナパーム弾を作っていたダウ・ケミカル社に投資をしないという運動に発展して、もとは宗教的だったものが市民的な発想を投資に反映させる運動になった。どんどん大きくなり、現在では全世界で30兆ドルと言われている。

この活動を始める主体となったのはすべて子持ちの女性だった。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイスなど。始める際には、男性からは、皆はお金を求めている、経済第一だと言われた。お金をどう動かすかによって社会が変わっていくことに関心を持つ人は誰もいない、と言われた。アメリカではすでに大きなマーケットになっているので、アメリカの例を紹介すると、すぐにマネをするのか、と返される。各国で女性が始めている、というと、女性ほど欲張りな人はいないといわれる。

最初にESG(環境、社会的課題など)に取り組む会社に投資をする、きちんとした経営をしている会社に投資をすることを20年前から実施してきた。銀行も皆さんが預けたお金を使って融資している。その融資している会社が、環境に配慮しているか、社会的課題に取り組んでいるか、ということはチェックしなければならない。保険もそうである。日本では、保険料で何百兆円の準備金がある。保険会社が、緊急事態の支払いのために準備しているお金を株などに投資している。その額は170兆円に上る。年金も同じである。年金は160兆円以上あり、世界最大の公的年金だが、すべてを投資している。20年前、環境、人権、などを考慮すべきではないかと言ったときは、厚生労働省から余計なことを考えるな、と言われた。環境、政治、人権などSDGsなどを考えると、その調査分のコストもかかるのでパフォーマンスが悪くなる、年金の使命はパフォーマンスであり、それ以外はやってはいけない法律でもそう定めてある、ということだった。しかし、現在では、ESGに配慮した会社に投資をした方がパフォーマンスも高く、業績もよい、というコンセンサスが世界中に広がり、それが30兆円に達している。そうして、2017年、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がESGへの取組みを公表し、潮流が変わり始めた。

また、環境、社会的格差、貧困、戦争などをお金の流れを通して解決していくために国連ミレニアム開発目標が策定されたが、その後、2015年に、技術や規制、投資などすべてを総合的に結集させて解決していく、という取組みとしてSDGsが始まった。

私たちにとっては、SDGsのコンセプトはESGと同じであり、国連という形で世界中が一致した。SDGsだからといって変わるわけではない。SDGsのコンセプトは日本人にはわかりやすく、取組みやすい。

お金の面を見ると、ESGもSDGsも女性が主流となって取り組んできたが、日本の女性たちに対する期待が集まっている。それは、日本だけが、奥さんがすべての家計を預かるからである。日本の金融資産額は1800兆円に上り、65歳以上が70%を占める。65歳以上の夫婦で奥さんの言いなりにならない男性は一人もいないし、大変気の毒だが、生命保険会社の調査によると、奥さんが先に亡くなると、ご主人もほぼ3年以内に亡くなっている。

そのため、1800兆円の資産を動かす際には、ESGに取り組む企業の株を買う、投資をすることを配慮し、そういった企業を応援するよう皆が声に出さなければならない。そうすれば、企業はESGに取組みをしていくことがメリットになる。また金融機関にとっても、融資の基準があるか、ESGをどう考えているか、を皆さんが聞くだけで、一日に二人でも三人でもそのことを聞くだけで、窓口の方は必ず上司に相談し、金融機関としても取り組まざるを得なくなる。

SDGsもESGもSRIも女性による金融革命である。そのお金を持っているのは、圧倒的に日本女性であり、その日本女性の価値観こそ21世紀以降の今後を担う金融機会になると思う。

花堂氏:ESGのうち、日本語で置き換わっていない言葉がガバナンスである。それが、現在の日本企業のガバナンス問題である。つまり、個人的にはガバナンスは経営の“規律づけ”だと考えている。この規律づけを自覚していないために他者から評価してもらう。社外取り締まりやくも隔離されており、何かの際の安全パイである。核心には触らせない。逆に触らせるとどうにもならなくなる、という側面もある。それほど、大企業になればなるほど、身を簡単に変えることができなくなっている。その点でも自己規律が重要なのに、経営者の中には、その認識がほぼ欠けている。規律が守られていると言えるのはオーナー系の企業である。パフォーマンスも良くなっている。そういった点も考えていただくとよいだろう。

岩元氏:日本環境設計はまだ12年目のベンチャーで、知らない人もいるが、どんな事業をしているか聞いていただきたい。皆が参加する持続可能性の社会を作りたい、理想形の社会をどうしたら作れるか、と考えながらつくった会社である。資本金26億円ほどで、国内の環境系の企業としては最大の投資をいただいた。ハーバードで講義をしたり、アショカ・フェローに選出された。アショカ・フェローとは地球規模の社会課題を事業で解決していく取組みに対して贈られる賞である。事業が大きくなるほど、地球や社会課題がよくなっていく仕組み。1年間の審査を経て選出されたとワシントンから電話があった。フェローに選出されてから様々な活動をさせてもらっている。その後、日本でも知名度が上がり、次世代をつくる100人の一位に選ばれた。選出後は講演依頼が100倍になった。

私は、環境と経済が両立する持続可能な社会を作れるのか、ということを証明したかった。不可能だといわれているが、どうにかしたいと思い、3つのキーワードを掲げた。

一つ目は、技術である。この世界にごみはないということを証明してたくさんの投資をいただいた。まずは繊維の技術開発をした。なぜ繊維か。日本と欧州の女性に生ごみ以外で捨てなくないものをアンケートした、繊維、衣類がトップだった。消費者が中心となる循環型社会をつくるため、消費者を主語にして、消費者がもっともリサイクルしたいものを技術開発した。繊維は世界中で技術がなかった。綿とポリエステルで、全世界の生産の80%を占めるため、まずはそのリサイクルに取り組んだ。綿をバイオエネルギーに、ポリエステルをポリエステルに変えた。

通常、バイオエネルギーは食べ物からスタートする。トウモロコシ・サトウキビをブドウ糖に変換して作っている。綿もブドウ糖へ分解した。世界初の繊維からバイオエタノールへ変換する工場で補助金が一円も入っていない。それで黒字化したのは、ここだけである。一日で繊維が解けて、一日ですべて糖に変換されるので捨てるものが一つもない。

次に、世界の服の生産の6割を占めるポリエステルの技術開発にも成功した。これまでのポリエステルは石油である。その石油を使わずに変換できる技術がある。この技術はとても優秀で、正確に言うと99.9・・・%だが、ほぼ1着で1着の洋服ができる。この物質は劣化しないため、一生続く。リサイクルは1回と思っているかもしれないが、当社の技術の基準では何回でも使える。10回でも、100回でも、1000回でも、1万回でも、石油を使わずに一生使える。ですので、当社の技術は、水平、半永久、永久。水平というのは、おもちゃ→おもちゃ→おもちゃ→おもちゃ→、文具なら文具→文具→文具→文具→、服なら服→服→服→服→、など同じものをずっと作り続けていくこと。この変換率を1対1にして、半永久に使っていく。これを当社では、地下資源に対して地上資源と呼ぶ。

地上資源を使うと、石油を使わないため、CO2排出量が半分になる。この技術開発ができて、昨年12月に北九州に完全循環の工場を稼働させた。これが繊維の技術である。

次に、携帯電話のリサイクルにも取り組んでいる。この工場は、世界唯一、世界最大の工場で、オリンピックメダル製造の指定工場になっている。

このような取組み広げていくには、石油の価格と同等までリサイクル・マテリアルの価格を下げていく必要がある。2つの方法があり、一つは、工場を大きくしていくこと。今年4月に川崎に世界最大級のケミカルプラントを買収し、改修中である。東京ドーム1.5 個分、世界最大の工場を手に入れた。新技術を入れて稼働に向けていく。

では、他のリサイクル会社と何が他と違うのか?地球は質量保存の法則で、1のため、元素の数は限られており、一定である。その資源が、地上にあるか地下にあるか、燃えるものか燃えないものか、に分かれている。つまり資源は二つしかない。燃えないものを無機物といい、金銀銅などがそれにあたるが、そのリサイクル技術はできており、市場にも乗っている。一方、燃えるものを有機物というが、この技術がなかった。今までのリサイクルは、モノを見る。紙、プラスチック、繊維をものを集めて、洗って、水で何回も洗って使う。なので、使えるものが限られ1回しか使えない。当社の場合は、そのモノが何でできているかに注目する。電子顕微鏡で見ると、C(炭素)とH(水素)とO(酸素)でできている。なので、炭素は一生炭素、水素は一生水素、酸素は一生酸素である。だから劣化しない。分子を一度解いて、原子にしてまたくっつける作業をすると、物質は劣化しない。これをずっと研究開発してきた。服も、おもちゃも、皆さんもCとHとOである。森もレタスも紙もパンも、ビニール袋も生ごみも石油もCとHとOである。結局同じものでできているので、これをどう分解してくっつけるか、ということを考えればよく、この技術開発もある程度見えている。

日本の家庭ごみは、約4,000万トン。この技術を使うと、約1,000万トンからは、石油由来と同じいろいろなプラスチックができる。国内の総使用量は960万トンなので、車もおもちゃも文具も服も、石油は一滴もいらない。企業から出るごみはその10倍ある。

技術の面から見ると、4億5,000万トンの資源を燃やして埋め立てている。そう考えると、これからの資源 大国は、埋蔵量から技術力に変わっていくといわれている。テクノロジーを持つことがとても大事である。

技術があれば循環型社会ができるか。NOである。消費者にアンケートした。どこでリサイクルしたいか?ダントツ一位は買ったお店である。二位は学校、役場など。消費者中心で考えると、皆が参加しやすい場に回収ボックスを置き、消費者行動を変えたかった。「買う→使う→捨てる」から「リサイクルする→お店に行く→買う→使う」に変えるため、共通の回収ボックスをいろいろな店に置いた。メガネのJINS、スタバ、良品計画、学校など、

大企業といわれる企業の160社以上が当社の仕組みを作っている。環境が大事、循環型社会をつくると皆言うが、大企業、地域、市、県、国もばらばらでは意味がない。効率は生まれない。打倒石油で、石油と同じものができる、工場も大きくした。だが、物流が効率的でなかったら意味がないので、すべて同じやり方で統一した。これに7年程かかった。皆で説得して、石油がライバルであり、これを使わない社会をつくっていこうと小売業をまとめていった。

技術があり、循環型社会、消費者参加型のインフラがあれば、循環型社会はできるか?NOである。3つ目は、ハーバードでの講演でとても褒められた。リサイクルに楽しさをプラスした。リサイクルの話は面白くないので、回収ボックスを置いてリサイクルの話をしながらワークショップをした。音楽と環境をつなげた。今年はマクドナルドのハッピーセットを全国版でした。このワークショップの参加条件は、いらない文具やおもちゃ、服を持ってくること。楽しい=環境、環境=楽しいとして子供たちが覚える。いらないハッピーセットを持ってきたら、新しいハッピーセットに生まれ変わる。2か月で125万人のこどもたちが参加した。CMを見て参加したい、と親にねだる子供が多かった。グローバルでもこのやり方は非常に評価された。スポーツと環境、音楽と環境、アニメーションと環境など。その代表格が、バックトゥザフューチャーのデロリアンである。バックトゥザフューチャーのⅠは過去に行く、Ⅱは未来に行く。この未来に行く際の燃料がゴミである。1985年の映画だが、未来に行った日が2015年10月21日である。これをゴミで動かしたいとハリウッドへ提案した。1.地上のゴミを資源に変えて循環型社会を必ずつくる。2.テロや戦争をなくす、3.子どもたちの本当の笑顔を取り戻す、と3つ説明したが、2.が最も受け入れられた。質が劣化しない石油を使う仕組みが日本で開発されており、石油がいらなくなる、そうすると石油をめぐる争いがなくなる。究極の循環型社会をつくると戦争やテロがなるので、子どもたちの本当の笑顔が見られると説明すると、1か月後に承諾の連絡がきた。

レンタルするつもりだったが、結局もめて私が購入し、2015年に北海道から沖縄までキャンペーンをした。世界中から40か国から取材が来て、BBCは20分の番組を作ってくれた。環境のことをやります、といっても誰も来ない。デロリアンはいらない服が必要で、持ってきてくれればデロリアンに乗れる。そうすると1時間でも2時間でも待つ。目的を楽しいことにしたからこそ、環境導線や回収導線ができた。たくさんネットワークができて、いろいろな情報が入るようになった。だからいろいろなことができるようになった。2か月で、17万人が参加してくれた。ユニバーサルは公式イベントにしてくれ、2015年10月21日16時29分をカウントダウンし、未来に行った日をお祝いした。これがBBC、CNN、NHKがライブで紹介してくれ、世界中が知っている会社になった。今

循環型社会をどうしたら作れるかを私なりに考えて実践してきたが、まずは、消費者をつないだ。500万人の人が当社のインフラを使って参加してくれる。年はマクドナルドが加わったので600万人になった。あらゆる企業を同じ仕組みにして一つにした。各社ごとのリサイクルではまゆつばと思われる。収集方法を一つにして効率を高め、消費者目線にした。

次は、技術をつないだ。モノをつくる工程をリサイクルプランと呼んだが、10年前、一緒に開発してくれたのが新日鐵さんだった。工場をつくる際は、1兆5千億くらいかかるためベンチャーは出せない。しかし、プロセスの中にC、H、Oを分解していくという石油と同じプロセスがあり、そこを一緒に研究開発して課題を開発し、パイプラインを入れた。大手のインフラを少しずつ買うことによって、少額投資で品質の高いものを何回も作れるインフラを作り、技術を統一させていった。品質の高い地上資源ができると、メーカーが安心して使える。精密機器も作れるし、赤ちゃんのおもちゃなど口に入れられる容器として唯一認められている再生材ができた。そうすると、この再生材を使ったこの商品が店頭に並び、消費者はそれを買って、また店頭でリサイクルする、モノがたくさん集まると、人・モノ・金が技術に投資され、また地上資源ができ、またたくさんのメーカーが集まるという、地上資源の経済圏を作りたかった。今までは、石油の上に物やサービスがある。これは間違っている。CO2もだし、戦争・テロが起きる。この循環型社会のサイクルだと誰も犠牲にしない。CO2も半分以下になり、戦争・テロがなくなる。そうすると環境と経済が両立する持続可能な社会が形成できる。

現在、このペレットを世界中に出荷し、メーカーに商品を使ってもらっている。来年からこの商品が店頭に並ぶはず。消費者が買えば買うほど、経済が回り、CO2が削減され、テロ・や戦争がなくなる。経済、環境、戦争の三方よしを実現した。そうなると、世界中の様々な展示会場に呼ばれる。

プラスチックのキャップがレゴになっている。それを集めて遊びながら自然とリサイクルできる。日本ハムファイターズでは、集めた衣類で、選手のユニフォームを作る。2日間でいらない服やペットボトルを集め、5万人の子どもが参加して、先週納品した。地域や学校に回収ボックスを作り、みんなで学生服を作るというキャンペーンもしている。こういったキャンペーンを作る。巻き込みシリーズの最大は、オリンピックである。オリンピックは平和の祭典であるのに、なぜ地下資源を使うのか?5年前にプレゼンした際は、担当者は寝ていた。

国内よりも海外の方が、評価が高い。本当の平和のオリンピックは日本から作る。循環型社会の象徴だといわれることができる。携帯電話からメダルも作っているが、選手がもらうたびに、日本人はリサイクルが好きで、テロや戦争がきらいという思いからできたメダルだ、と何十万回も言われる。パリ・オリンピック協会からも連絡があり、仕組みや技術などを教えてほしい、という連絡があった。この日本初の文化が世界をつないでいくと思っている。

当社では製品もTシャツを作っている。商品を買うと、回収袋がついてくる。一つ買ったら一つリサイクルすることで、平和な社会をつくろう。テスト販売をしたところ、購入者は100%戻してくる。昨年10月にニューヨークで開催された環境会議で、H&Mでは2030年までに石油を使わないといった。すべてリサイクルを行うといった。その1.5か月後、コカ・コーラも石油を使わないと公表した。アディダス、ドイツ政府、アップル、ダノン、イケア、など世界のグローバルは、この日本の思想に賛同してくれている。日本の企業と政府はなし、である。ここまで来た。テクノロジーや楽しい参加型仕組みでやってきたおかげである。

やはり、2.が大事である。社会課題は、つながりとマスで解決しなければならない。NPOと企業だけではマスが小さく戦えない。相手は巨大である。石油の上に大量生産・大量消費があり、すごい経済ができている。そこに勝つチームを作りたかった。ようやくできた。循環型社会の上にグローバル企業が10数社参加し、いま戦える。いろいろな話ができる。この構造が作りたかった。世界がこちらを向いてきた。10年かかって、ようやく、戦える大きさを獲得できた。わくわく、ドキドキするみんな参加型循環型社会ができれば、平和なども実現できる。

ゴミ拾いもやっているが、楽しくなければ面白くない。吸い殻アート大会をやると世界中に広がっていった。正しいことをするのではない、正しいを楽しい、にした。

花堂氏:目からウロコとはこのことだろう。仕事柄ベンチャーの育成にもかかわるが、こんなに人を巻き込むことが上手なベンチャーは見たことがない。難しく考えず、地球上の物理的な構造がどこにあるか、ということを10数年かけて解決しながら、あきらめずに追い続ける、ということがベンチャースピリットだと思った。

(午後)

花堂氏:午後は、宗像に足を付けた形でどういう活動をされているかについて企業にお話しいただき、その後、この地で暮らし、活動されている方々から、SDGsにどのように取り組まれているか活動報告をいただく。

中島氏:こんにちは。私は九州統括本部の福岡・佐賀支社にて営業活動の最前線にいる。宗像市では2012年から世界遺産の登録支援活動を開始し、福岡県で生産されるビール大麦は、100%キリンビールが契約させていただいており、宗像市は麦の産地である。

私共は『「飲み物」を進化させることで「みんなの日常」を新しくしていく』とういうブランドの約束を立てている。素材の品質、作り方、お届け方法などでお客様におどろきを届けるようなサービス・商品を目指す意味で「Quality with Surprise」を掲げている。ブランドの基軸としては、「お客様が本当に喜ぶ商品を製造し、提供する」「CSVの実践」である。事業活動を通じて社会課題の解決に貢献したい。かつ、その活動が持続的であり、事業にも貢献するものにしていきたい。

宗像の取組みでの可能性としては、CSVの観点で言うと、キリンビールの強みを生かしながら宗像市の社会課題の解決に貢献していく。結果として、当社の成果も上げられると理想的である。具体的には、流通、スーパー、ドラッグストアなどの小売店、飲食店との接点が多い。地域活性化としては、東日本大震災以降、キリン絆プロジェクトを展開しており、知見がある。こういった点が強みだと整理した場合、宗像では、100人会議でのような環境会議への啓発、環境を考えるきっかけづくりという視点でのお手伝いはできると思う。二つ目は、地域ブランドの活性化支援。環境とは直接関係ないが、豊かな海づくりをしている宗像の海で獲った魚のブランド化推進などはできるのではないか。

環境意識のきっかけづくりでは、水資源の生態系保全を目的として、水源の森活動を行っている。工場が朝倉市にあり、その筑後川水系の水源の森を活動エリアにしている。

宗像市では、すでに様々な活動がなされているほか、水産高校さんの活動もあり、すでに環境について考える基盤ができているのかもしれないが、工場近辺にお住まいの方に参加いただく、などの形もできるのではないかと思っている。

二つ目は、宗像漁協さんのブランド化支援である。飲食企業や量販企業と接点が多いため、ビジネスマッチングのお手伝い、絆プロジェクトでの知見の共有等などを通じて、宗像の魚のPR、売上貢献への可能性もあるのではないか。

大きくはこれら2つだが、2014年からデザイン缶も発売しており、世界遺産登録支援もやってきた。1本1円を寄附する仕組みだが、このような仕組みも、本会議での様々な取組みや、活動の持続可能性のための支援にもなるかと思っており、たとえば、2020年のオリンピックに向けて、このようなデザイン缶を提供することで、この取組みをますます提供することができるのではないか。

権田氏:トラフグについては、確かに漁協のブランドだと思うが、私たちのトラフグ漁は資源管理を重視し、資源を残すことに舵をきって漁をしている。35センチ、45センチ以下のフグでもかなりお金になるが、網にかかってもすべて海に戻している。延縄の延べ縄数で張り数と漁獲量が決まるが、自ら削減したり、漁労日数をピーク時の半分以下に減らしたりして、実費でやっていて、苦しい思いをしながら活動をしている。たしかに効果があるが、苦しいのは、こちらで規制しても、山口県や長崎県では漁獲量が上がったと喜んでいる。私たちは自主規制をしているので指をくわえて見ているだけである。今後、どういう獲り方をされたかという点もブランドとして押し出しても面白いのではないか。現在は、鐘崎という地域で獲れたフグである、ということだけでブランド化されているが、こういった獲り方をされているということも付加価値があると思う。

中島氏:まさにそうなんだろうな、とは思う。もし販路や広報の面で、お手伝いできることがあればぜひ言ってほしい。

安松氏:森づくりについて、人材をどのような形で派遣されているのか。

中島氏:水源の森活動は工場主体でやってきたが、次第に、活動そのものが手入れをあまりする必要がなくなったり、急勾配の場所になったりしていて専門的な知識がある方でなければ作業が出来なくなったため、福岡県については、森林組合の方々に委託をして、プログラムを管理してもらい、社員は30名ほどそこに参加している。

筑紫氏:権田さんがおっしゃったのは、サステナブルな漁業ということだが、キリンビールが支援する際には、そういった点もアピールすると、さすが意識が高い、ということで格付けが上がる。投資家は、キリン、アサヒ、サッポロなど同業者を比較して、環境やサステナビリティの最新の動向にどのように取り組んでいるか、もしくは取り組んでいないかなどを細かく見ていくと、そのような意識が最終的には競争力につながる。こういった意見は非常に大切で、サステナブルな漁業は最新のトピックであり、ぜひ加えていただきたい。

花堂氏:今までのトラフグのイメージには合わないかもしれないが、鐘崎で扱うトラフグについてはSDGsフグなどと命名して、ビール缶に紹介してもらうとよい。こういった機会にぜひ口説いてほしい。

山崎氏:私共のCSR活動とSDGsへのつながり、SDGsの活動がどういった形で宗像に関わってくるかご紹介したい。CSR活動としては、グローバル環境ビジョンを2018~2022年の中期目標を掲げている。その中で様々な目標を定めており、一般的には、「6.安全なトイレと水を世界中に供給する」が最もSDGsに関係すると思われるが、私共はそれだけでなく、他の部分も重要だと考えている。

グローバル環境目標の中には3つの目標がある。「きれいで快適なトイレのグローバル展開」における“快適”には、LGBT対応なども含まれるため、ジェンダー平等などの項目も含まれる。「環境」では、「節水商品の普及」により、水をなるべく使わないようにしたり、CO2を削減する目標を立てることで13.の目標にフォーカスしている。「人とのつながり」では、お客様満足の向上のほか、社員ボランティアを充実させ、NPOとの協働を行うことで、17.パートナーシップで目標を達成する、に貢献することができる。

宗像への関わり方では、「環境」分野に“地域に根付いた社会貢献活動”があるが、当社では水環境基金という基金を通じてNGO・NPO等の活動を支援して活動を活性化させていただいている。この後お話しする、NPO法人改革プロジェクトへも支援している。

人とのつながりという点でもう一つは、環境教育である。節水の大切さを子どもたちに伝える活動をしている。北九州市や東京をメインに活動しているが、小学校から要望があれば、実験などを含めて授業を進めており、子どもたちにも節水の意義が伝わっている。こういった教育の可能性もある。

中井氏:宗像はどのように事業展開と関係があるのか。社員の中でも本会議の認知度を高めていただき、社員と交流できればよい。

山崎氏:水環境基金に出資するだけでなく、社員自体にもボランティアを推奨している。改革プロジェクトさんなどの活動の際には、参加している社員もいる。

中井氏:今後、自分事としてSDGsへの取組みが求められる中で、トップでないので答えにくいかもしれないが、事業体として、事業を通じた地域への貢献など、本気で取り組んでいく戦略があるとよい。

山崎氏:当社では、ちょうど、2018~22年の中期経営計画(TOTO WILL2022)を策定しているが、その推進エンジンとして、グローバル環境ビジョンを掲げ、利益を出すためには推進エンジンが回っていなければ達成できない、という立て付けで社員にも投資家にも伝えている。ESG投資をされる方はその辺りも見られながら、投資をされているのではないかと私は信じている。

筑紫氏:その通りである。SDGsは、そういう意味では、事業の競争力とSDGsを直接的に紐づけることは難しいので、社員の中でSDGsにどうかかわっていくか、事業とどうかかわっているか日常的にディスカッションしていくとよい。そう簡単ではない。

山崎氏:まさにそう思っており、社内報でも私たちの事業がどのようにSDGsと関わっているか、つながっていくかということを認識してもらえるよう広報している。

筑紫氏:まさにそういった点をIRの方がきちんと伝えるとよい。

花堂氏:私の言葉でいうと、SDGsを並べただけでは、SDGs貼り付けゲームになってしまう。貼り付けたから意義がでてくるわけではなく、これが財務数値、キャッシュフローにどうつながるかという筋道は投資家の方は意外とわかっていない。SDGsのような価値創造の取組みでも、最終的には、現在では、お金の流れに結び付けていかなければならず、重要なのは社員がどこまで自分事にできるかである。投資の世界の限界は短期的にしか見ない。しかしSDGsは、1年でできるもものもあれば、5年、10年かかるものもある。ぜひ、時間軸を入れてそういう取組みを検討できるよう、社員にコンテストをしたらよい。

松本氏:ICTを通じて漁業への社会貢献活動ができないかと思い、話をさせていただく。NTT西日本グループでは、SDGsの取組みについて明記された社員一人ひとりにポケットカードを配っている。特に9.と14.について話をしたい。9.では、イノベーションに関連して、光ファイバーを用いて社会インフラを構築している。光ファイバーを用いた社会課題の解決への取組みとしては、マイナンバーをはじめ電子行政の支援、フリーWi-fi構築による観光支援、ICTを使った農業等の支援による産業振興、教育現場への電子黒板の導入などを行っている。

本日は、熊本での取組みを紹介する。カキの養殖にICTを用いて簡易化するトライアルだが、海の中にセンサーを入れ、無線でデータを飛ばし、蓄積していく。養殖においては海水温が大事で、水温が高ければカキを深く下ろし、低ければ引き上げる。これを漁師さんが水温計を用いて自分でしていたが、これを自動化したいと始めた。少し紹介する映像を見ていただきたい。

(映像)

熊本では、後継者が育たないことが問題になっており、農業と水産業では経験が非常に大事かとは思う。ICTを用いて、その課題を解決していく一つの方法をご紹介した。こちらでできるかどうかはわからないが、一つのアイディアとして紹介させていただいた。

花堂氏:ICTを活用する分野はこれからまだまだ出てくる。SDGsでは、“だれも取り残さない”をコンセプトとしているが、そのためには、17番目のパートナーシップの項目がカギであると思う。企業では、HP等で一方的に情報発信することに留まっている。一方、アメリカの大統領は、アメリカで最も高い機能・人員などの広報体制を持つホワイトハウスを使わずに、自身のツイッターで情報を還流させ、選挙民などの反応を一番早く掴もうとしている。SDGsでも実は、企業が働きかけたときに、受益者、地域が言いたいことをくみ取っていく仕組みが大切である。スマホがあればできる。難しいことではなく、音声データがあればそれを分析可能なデータに変えていく技術は驚くほど進んでいるので、新しい世界が開けてくるはずである。むしろ、そういった点を研究所レベルで考えられているだろうと思うが、それをいち早くこの地区で実証していただきたい。

松本氏:おっしゃる通り、AIの技術もかなり進んでおり、音声データを聞き取ってそれを分析して返す、という技術もある。

花堂氏:市がセンターとなり、様々に収集した情報を、NTTさんがこれまでのスキルを使って分析して、その結果を関係者に共有していただく、という形ができると面白い展開になるだろう。双方向性はこれからのカギである。

庄野氏(参加者):温度を管理して適温に移動させる方法は非常に面白いと思った。宗像でも水温が上がっており、磯焼けが問題になっている。カキの養殖だけでなく、海の昆布、河川から流れてくる水の温度、水温の変化による砂浜の変化など、環境に影響する温度の変化などを、天気予報のように、現状の影響を見える化する仕組みを作ってもらえるとよいな、と思った。

花堂氏:かつては、検潮所の仕組みが全国的にできているが、水温がリアルタイムで関係者に伝わる仕組みだけでも随分と変わってくるだろう。これは技術的には問題ないと思うので、コストをどこが負うかといったところは宗像で検討してほしい。

養父氏:関連して、NTTさんにはドローンを飛ばしてもらう予定である。砂浜の浸食状況を定点観測しているが、属人的なやり方であり、データにはなっていない。今後、世界に発信していく際に必要なのはデータだと思う。技術はもうあるが、重要なのはコストをどうするか。地方へのバラマキがあった時代はよかったが、現在はそうではないので、企業もこの地域であれば優先的に関わっていき、コストも折半できるという動きになるとよい。

花堂氏:養父氏の提案は貴重である。本日の企業さん含めて、企業が持つ手金をどう分配していくのか、どこを考えていかなければならない。

板垣氏:日本航空と宗像市では、2017年4月に包括連携協定を締結し、宗像市と日本航空の職員を人材交換している。お互いの事業をよく知る人材の育成が目的で、日本航空であれば、宗像市の環境やその現状をよく知り、対策なども肌で感じられるようになる。一方、宗像市にとってはグローバルな視点を持った人材の育成ができ、相互に社会に貢献していけるのではないかと考えている。

今年3月、宗像国際環境100人会議のロゴが入った機体を3機飛ばしている。これにより、環境の視点をもった取組みを通じて宗像を盛り上げていきたいと思っているが、宗像市とも密接な関わりになってきており、企業としてどのような活動ができるのか常に考えている。

日本航空のCSR活動では、将来の次世代によりよい社会を残していくことを目的に、本業である航空輸送事業を通して社会課題の解決に取り組んでいる。安全・安心を基盤として、日本と世界を結ぶ事業のほかに、環境や次世代育成を重点としている。

グローバルな取組みとしては、SDGsに我が事として取り組んでいるが、ちょうど昨日、東京で「2020年に向けた取り組み施策とその目標」について社長会見を行い、その3つの重点目標の一つとしてSDGsを掲げた。

もともとJALグループの社会貢献活動として、「地球との共生」、「地域社会への貢献」、「次世代育成」を推進しているが、今回は地球との共生についてお話しさせていただく。取組みの一つが、航空機のCO2排出削減で、新型機材の積極的な導入や着陸下降時のエコ操縦の推進などを行っている。またフラッグの開き方一つでも燃料の消費量が違うので、工夫をしている。CO2排出量については、2005年度比23%を目標に設定し、2016年度時点で15%の削減を達成している。残り2年で23%まで削減する予定である。さらに、航空機を使ったCO2の観測に協力している。地球全体でのCO2の排出量のうち約2%は航空会社から排出されているとも言われており、地球温暖化のメカニズムを知るために、観測装置を設置した航空機を飛ばし、東北大学(国内線)、国立環境研究所(国際線)と共に、南北・東西路線にて観測を行っている。

化石燃料からの脱却のため、バイオ燃料の研究も2009年から始めている。植物由来の燃料の試験飛行に協力した。現在では、生ごみなどを加工したバイオ燃料も注目されており、2020年のオリンピックまでに実現できればと取り組んでいる。

松田氏:私たちは、2010年に設立、2013年にNPO法人化した。理事5名で運営している。目標として「子どもや女性、お年寄りが安心して暮らせる社会を実現する」を掲げている。活動の柱は2本あり、一つは、パトラン。パトロールとランニングをかけたもので、もう一つは、清掃活動を中心としたYの字作戦である。

パトランは、ランニングによる新しいスタイルの防犯パトロールで、2013年に宗像で始まった。地域安全、社会貢献、同じ志を持つ仲間づくり、健康維持増進といった一石三鳥の活動で、全国規模で活動を展開し10のチームがある。35の都道府県で活動を展開し、メンバーは1000名以上に達する。現在は、パトランをしながらゴミ拾いや、子どもたちの登下校を見守る子ども見守りパトランなど、活動も進化している。8月は防犯強化月間で、県警とも協力しキャンペーンを実施している。

Yの字作戦は、TOTOの水環境基金を受けて実施しており、今年で4年目になる。Yの字作戦とは、宗像の釣川~玄界灘の大島・地島を結ぶラインがYの字になっていることから名づけられた名称で、宗像の自然環境を守るためのプロジェクトである。下は10代から上は50代まで10名がメインのメンバーとなっている。川の清掃や地島での活動、深浜海岸での漂流物のゴミ拾いなども行っている。年に2回は、TOTO(株)との連携でゴミ拾いのイベントを実施し、一般の方のみならず多くの社員の方にも参加いただいている。ゴミを拾うだけではきつく、楽しくない活動であるため、バーベキューをしたり、カプセルを埋めて宝さがしの要素を入れたりして、子どもたちも楽しく参加できる企画をしている。TOTOの社員の中には、普段パトランに参加しているが、それをきっかけにゴミ拾いにも参加してくださるようになった方もいる。

一昨年からこの会議にも参加しているが、大島の中津宮近くの清掃をしている。波が非常に強く、2トントラックがいっぱいになるほどである。2015年からの3年間でゴミの収集5,200キロ、参加回数25回、参加のべ人数511人に上っている。メディアにも1回取り上げていただいた。これまで回収した漂流物には、ハングル文字もの、細かな発砲スチロール、大きなドラム缶、医薬品のビンなどがある。毎年拾っているが、回収量は増えており、一向に減らない。誰かがやってくれる、自分には関心がない、といった無関心ではなく、関心をもってやっていただきたい。私たちは絶えず海の恵みをいただいており、それを返せるようにしたい。

花堂氏:収集されたゴミの量が減っているということだったが、その内容を分別されているか。

松田氏:発砲スチロールが最も増えている。ペットボトルや缶は減っている気がする。ハングル文字のものや珍しいものも減っている。

花堂氏:その変化はどうして起こったのか。たとえば、韓国で規制があったのか、意識が変わったのか。突き詰めるのは難しいと思うが、いくつか仮設を立てて整理していかなければ、ゴミの量だけ見ていてはわからない。ぜひ工夫して取り組んでほしい。

出す方が分別して出すように、拾う方も分別してデータ化する。データ化すると説得力が違う。

安松氏:現在、11人のスタッフと、森を再生し、海を守ろうと活動している。竹林伐採活動を中心とし、竹伐りから魚礁作成までしている。竹林を伐採し、集めて漁協まで運び、竹魚礁の素材としている。出来上がったものは、漁協によって近海に沈めている。

私たちの最大の目的は、森から里、釣川、海を守るためである。守るためには、森林を再生する必要があると、私たちの活動は始まった。

現在、竹林浸食が問題になっている。住宅の裏手の山が、竹林に侵されており、他の樹木が少しずつなくなっている。白山でも、竹が徐々に広がっている。そのままにしておくと、土砂災害など様々な影響が広がるため、竹林伐採後の用途も考慮しながら、活動をしている。

竹林伐採後は、さまざまな樹種を植林する、公園をつくって青少年の居場所をつくる、チップを作って肥料にするなど、宗像市の取組みともコラボしている。また、タケノコ園をつくって、地域のタケノコ栽培者と連携したり、年に1回タケノコ堀りをしたりするなどにつなげていく。竹林保有者にも申し入れをして、保有者の意向に沿った活動を行っている。

11人のスタッフで様々な企画を作りながら活動しているが、我々の力だけではできないので、携わっていただける方々を募集している。企業の方にもぜひ力添えいただきたいし、提案があればぜひいただきたい。私は生涯、竹林伐採に関わっていきたいとは思っているので、活動の主旨に賛同される方がいらっしゃったら、ぜひご協力いただきたい。

花堂氏:様々な活動を地域でやっていらっしゃることをHPで拝見した。それらの活動がつながっていくと面白いと思う。また、竹炭はつくっていらっしゃるか。最近、竹炭の効能が言われなくなったが、畑を活性化するための最も安価な材料でもあるので、ぜひ今後研究していただきたい。

安松氏:おっしゃっていただいたように、炭や飲料など、様々な竹の活用方法を検討している。先進事例を視察しながら進めているので、ぜひまた機会があれば紹介し、自然環境を改善していくための力を皆さんからいただければと思う。

権田氏:私たちが今置かれている現状、水産の現状を知ってもらいたい。SDGsの話が出ていたが、その目標を達成して世界に発信するためには、14番目の項目が大事だと思っている。が、同時に最も難しい。世界の中で、日本の水産の現状は最も遅れていると感じている。

私は、誇りと同時に強い責任感を持ってこの仕事に従事している。3000年前から続いた関係も今、終止符が打たれようとしている。どう海と付き合うのか、重要な決断をしなければならない。燃油の高騰、資源の枯渇、魚価の低迷、温暖化による海の生態系の変化は、漁師を始めた18年前にすでに警鐘が鳴らされていたが、これといった対策がなされぬままである。燃油高騰や魚価低迷はさらなる資源枯渇を呼び、石油依存を高め、温暖化を悪化させている。このような負の連鎖だけが加速しており、日本における人間と海の共存も終わりを迎えるのではないか。

日本全体の水揚げ量は、1984年の1,282万トンをピークに下降を続け、昨年は430万トンと約3分の1まで減少した。所属する鐘崎漁協も同様で、乗組員を募集して行う中小規模漁協、大中まき網やシイラ巻き網は特に厳しく壊滅状況である。延え縄やアナゴかご漁など他魚種への転換をしてなんとか持っているが、それでも右肩下がりは止めることができていない。漁獲量を維持するために、さらに沖合へと漁場を広げている。

著しい資源の枯渇の原因として、地球温暖化や生態系の変化が取り上げられることが多いが、資源量を越えての漁獲、つまり獲り過ぎが原因であると言える。その根拠として、科学的根拠に基づき漁獲量を決定するABC(生物学的許容漁獲量:Allowable Biological Catch)を各漁船に割り当てるIQ制度を導入した地域は、次々に資源を回復している。世界的にもそういった動きが加速し、資源量が回復しているにもかかわらず、日本だけ海洋資源が減少しているのは、温暖化のせいではないと考えられる。

「我が国における資源保護の重要性が叫ばれている」というフレーズは、1970年以前から使われ続けており、資源保護の重要性と乱獲防止策の指針は示されているにも関わらず、全世界で日本だけが取り組めていない。いろいろな地域で取組みが行われているが、有効な対策にはなっておらず、なんともできなくなる臨界点もすぐそこまで来ている。このままでは日本が経験したことのない水産恐慌が訪れる。わかっていながらなぜ対策が出来なかったのか。誰かが悪者である、とか右に舵を取るか左に取るか、といった議論ばかりがなされてきた結果で、そこを今問うべきである。

どの地域にも歴史があり、暮らしがある。一人ひとりが一生懸命、家族や暮らしのために海と対峙している。昔も今も変わらない。日本の水産現状における特効薬は既にあり、それをどう摂取していくかが大事である。大規模な休漁をすれば確実に魚は増える。科学的根拠に基づき、数値化することも可能である。しかし、その間、漁師は生きていけなくなる。どう折り合いをつけるのか、根気のいる、慎重な判断が必要である。具体的に、どの魚種を、どの順番で先行投資を行うのか、増えた資源をどう分かち合っていくのか。何を残し、何を優先するのか、漁業者だけでなく、より多くの方々と議論していきたい。

花堂氏:権田氏が取り組んでいる具体的な取組みをご紹介いただくことが、今の訴えを実現化していくためには必要だが、残念ながら時間がない。いずれ、機会を見て現場の話をしていただくとよい。ネットでも取組みを知ることができるので、今の訴えに対してどう我々が取り組むことができるか考えたい。

第3分科会 学生環境セッション

ながさき海援隊、山陽女子中学校・高等学校地歴部、九州工業大学BC-ROBOPビーチクリーンプロジェクト、福岡県立水産高等学校アクアライフ科豊かな海づくりProjectT、鹿児島大学水産学部、九州大学大学院工学研究院 環境社会部門生態工学研究室

ながさき海援隊

はじめに、ながさき海援隊は「海の魅力を満喫しながら漂着ゴミ問題をはじめとする環境問題の解決を目指す学生団体」として位置づけている。2014年度に長崎大学全学サークル(文化系)に登録された。設立当初は6名だった部員も現在では、24名に増加している。大学のみならず、市民活動センターや漂着物学会とう様々な機関へ団体登録を行っている。メンバーの内訳は男子16名、女性8名の計24名となる。環境科学部や水産学部以外にも工学・医学・教育・薬学と多岐にわたる学部・院生が所属していることが当団体の大きな特徴である。それぞれの専門分野の知識を活かした活動も行うことができる。

当団体は、主として①海浜清掃をする、②ゴミ調査をする、③現状を把握してもらう、の3つの活動を行っている。

①海浜清掃をする

月に1回程度、当団体主催の海浜清掃を行っている。主に長崎市内の海岸の清掃を行い、ボランティア清掃用のゴミ袋を使用し、処理は各自治体に依頼している。当団体設立より通算52回の活動を行い、今もなお継続している。そのほかに、大学周辺を流れる浦上川の清掃活動にも参加している。

②ゴミ調査する

ICC調査を行っている。ICC調査は世界共通の調査法であり、日本では一般社団法人JEANがとりまとめている。ゴミの種類ごとに細かく項目が分かれている。漂着ゴミの個数を数えることで発生状況を把握することができる。収集データは、ワークショップや啓発活動の際に使用する。今後は、定点観測へシフトしていきたいと考えている。

③現状を把握してもらう

多くの人が漂着ゴミ問題について関心を持てるよう、啓発活動にも重きを置いている。啓発活動の1つとして、清掃後にワークショップを行っている。様々な原因で漂着したゴミについて、どのように減らせるのか等を考えてもらう。ワークショップの最後には、全体での意見の共有をおこなう。また、小学生を対象とした環境教育も実施しており、総合的な学習の時間や出前講座にて漂着ゴミ問題について考えるきっかけを提供している。

以上が、ながさき海援隊の活動である。

山陽女子高等学校 地歴部

地歴部は2008年より行っている海底ごみ問題に対する取り組みに加え、数年前より始動した島嶼部での漂着ごみ問題に対する取り組みについて報告した。

まず、海底ごみ問題について。この問題に取り組んで今年で11年目であり、代々、先輩から受け継ぎ行っているものである。年に5回以上を目安に、岡山県浅口市寄島にて地元の漁師協力のもと漁船に乗り、底引き網を用いて海底ごみを回収している。回収したごみは一旦船上で大まかに選別し、陸に帰って細かな分別やデータの集計を行う。データはごみの種類、数、重さに加え、時間経過の指標となる空き缶の賞味期限を記録している。このデータはより効果的な啓発活動や学会等での発表に活用している。回収活動だけでは海底ごみ問題の解決は難しいと考え展開している啓発活動では、問題の原因を根元から絶つことを目指し、ごみの発生抑制を呼びかける。そして近年取り組んでいる、海底ごみの『見える化プロジェクト』と『つながる化プロジェクト』では、普段の生活からは見えない海底ごみを可視化し、また海底ごみ問題を沿岸部特有の問題とせず陸域全体で考えることを促している。

そして、島嶼部での漂着ごみ問題については、普段海底ごみを回収している海域の対岸に位置する香川県の手島で調査を行っている。瀬戸内海に浮かぶこの島は、かつて採石業が盛んであったが、現在は島民も約20人となり過疎高齢化が進んでいる。島にはごみが多く漂着しており、海上からも目視で確認出来るほどである。実際に島に上陸してみると海岸だけではなく、風の影響か植生の中までごみが堆積していることに気づく。漂着しているごみに目を向けてみる。ペットボトル、プラスチック製品、発泡スチロールなど軽く浮遊しやすいものが多く、それらは原型を留めているものが多い。また回収調査では3日前に本土で製造されたお弁当の容器を確認したことから、手元を離れてから漂着するまでの期間の短さが伺える。さらに、漂着ごみは状態の復元力も強い。3年間に渡り調査を続けているが、1度回収を行い再び島を訪れてみると、海岸は漂着ごみが散乱し元通りの状態になってしまっている。このことから、島外起因のごみが継続的に漂着していることが分かる。

島嶼部の漂着ごみ問題は自然的要因と社会的要因から深刻化している。テレビで取り上げられるような島おこしの行われる島はほんの一部であり、島の多くは生活の島である。そこで、問題解決に向けて『協働』を大切にした取り組みを試みている。島への上陸や回収したごみの運搬など、島民と協働し、連携・協力・分担をすることによりスムーズな活動が実現できている。そして島外に島嶼部での現状を伝え、ごみ発生をその根元から原因を絶つべく、ごみ問題の起因地である本島での啓発活動に力を入れている。具体的には出前授業や巡回展を行い、認知を促しそして行動へと移してもらえるよう取り組んでいる。またメディアにも複数取り上げていただき、広範囲への情報発信も行っている。島嶼部での漂着ごみ問題解決は困難であるが、島内でできることと島外でできることを区別し、そして島民や行政、メディアや専門家のNPOにもご協力いただき、それぞれの強みを生かすことで効果的な活動が可能になっていると考える。この活動は島民の生活の舞台である一般的な島での実施であり、手島での実践をひとつのモデルとして他の島でも検証に取り組んでいる。また全ての島において全く同じ取り組みをするのではなく、島それぞれの個性を生かすことが大切であると考える。

現在、地歴部では国連のSDGsの観点から17の項目のうち、10番 本島から島嶼部へ目を向けて、12番 廃棄者に責任を自覚してもらい、14番 海の生物多様性の保全に向けて、17番 協働による問題解決を実現できるよう日々取り組んでいる。今後も広い視野をもって活動に励んでいきたい。

九州工業大学 BC-ROBOP ビーチクリーンプロジェクト

(要旨) 私たちビーチクリーンロボットは,海岸清掃に対し自走式運搬ロボットを導入することで,作業の効率化と青少年に海岸環境における認識を高めることを目的に活動を行っている。本学生文科会では,活動目的および内容・開発したロボットの概要とこれまでのフィールド試験について報告を行った。詳細を本報告書にまとめる。

①活動目的および内容

本活動は,海岸漂着ゴミの清掃活動に自走式運搬ロボットを導入し,海岸清掃の効率化および漂着ゴミに対する青少年の認識を高めることを目的としている。ロボット開発は,九州工業大学情報工学部の林英治研究室が行い,現在宗像市を中心に各清掃イベントへ参加し,ロボットを稼働させている。

本ロボットの後方にはソリ(荷台)を取り付ける。人が収集したゴミを荷台に入れてもらい,自走で引っ張り集積所までの運搬を行う。ゴミが十分に蓄積されるまでは,海岸を往復しボランティアと共働する。

②活動を始めるに至った背景

数十m~数百mの長さを有する海岸では,ボランティアによるごみ収拾によってその清潔さが保たれている。しかしながら,収拾したごみは集積場所へ集めなければならず,長距離・砂地の往復は体力の必要な作業である。加えて,夏場の猛暑または冬場の寒冷な環境化では,作業時の熱中症などに対する安全性も問題である。

そこで,工学特にロボティクス技術の導入することで,作業環境を改善する。九州工業大学が開発したフィールドロボットは,屋外活動を想定して開発されており,GPSなどの各種センサから得られる情報に基づいて障害物の回避と移動経路の追従を可能とする。本システムを応用することにより,海岸清掃時における大きな負担となっているゴミの運搬作業に関して省力化が達成されると考えている。

ロボット単体による海岸清掃の完全自動化と高効率化を目指した場合,次にあげる機能をシステムが持たなければならない。砂上の安全かつ安定した移動・画像処理および学習によるゴミの認識と発見・ゴミへの接近・ロボットアーム等によるゴミの拾い上げ・集積所までのナビゲーション。各タスクを達成するための機構・ソフトウェアの設計開発が必要となるが,これら全ての機能を実現するシステムの開発は容易ではない。特に,画像処理と学習による適確なゴミの検出においては,そもそも大量のデータを用意したうえで,学習アルゴリズムを適用し,ゴミとはどのような色・形状・特徴を持つのかを認識させる必要がある。しかしながら,学習を介しても基本的にシステムが発見できるゴミは,事前に用意されたデータに類似するものでしかなく,対してゴミの種類はほぼ無限である。加えて,さまざまな種類のごみ(ブイ・ペットボトル・網・流木など)を拾いあげるためには,アーム先端の把持機構が高い汎用性を有する必要がある。さらに,水分を含み砂が付着した重いゴミを拾うためには,大きな力を発生させる動力源が必要であり,現在の技術では大きく重力のあるアームになってしまう。結果として,ロボティックシステムの複雑化,動作の不安定さ,開発期間の長期化が引き起こされる。

それに対して,ロボット単体での完全な自動化を達成するのではなく,人とロボットの間で作業の担当を決め,人と共に人に寄り添って作業をおこなうロボットの導入を進めているのが九州工業大学社会ロボット具現化センターである。人は複雑で難しい作業を容易にこなすことができ,ロボットが得意とするのは単純・単調・繰り返しを必要とする作業である。海岸清掃において“複雑な作業”とは,ゴミの発見⇒ゴミへ接近⇒ゴミの把持と回収である。一方で,”単調な作業”とは設定された地点間の往復であり,GPSを用いて十分に実現可能である。そこで本ロボットがまず達成すべき作業内容をゴミの運搬に絞り,砂上の安全かつ安定した移動・集積所までのナビゲーションの機能を開発し,実現場での検証を行っている。

③開発したロボットの概要

本ロボットは,屋外かつ未舗装な山林・海岸・砂地などの各地形に対応し,汎用的な利用を目指してプラットフォームに全地形型車両(All-Terrain Vehicle: ATV)を用いた。これは一般的にバギーと呼ばれ,不整地走行向けに設計されたものである。ATVの90ccエンジン駆動はそのままに,各種センサ・アクチュエータ・コンピュータを取り付けている。

④自走システム

システムは,視覚系(深度カメラおよびCCDカメラ)から得られる外部状況(三次元点群情報と色情報)を入力とする。

〔深度カメラ〕・ロボット前方の地形および物体の三次元形状を取得する。コンピュータが得るデータは点(x, y, z座標値)の集合(点群)である。・点群を俯瞰視点から見た座標系に変換する。・点群密度に基づき,ロボットにとって衝突の可能性がある物体の位置・大きさ・個数が認識される。

〔CCDカメラ〕・深度カメラでは得られない,色情報を取得する。・色情報に基づき,人物・服装等の検出が行われる。

移動におけるモードは二つ用意した。

〔人物追従モード〕CCDカメラ画像内から追従対象の人物を検出し,その人物との距離を一定に保つ。検出は事前に設定済みの色範囲を画像内から抽出し服装の特徴を捉える。主として,自律移動における足回りの検証を目的に使用する。

〔GPSによるナビゲーションモード〕海岸上で複数の地点情報を取得しておく(緯度,経度)。登録された地点間の往復を行う。移動中は障害物を検出,回避または緊急停止を判断・実行する。最終的にはこのモードにて運搬作業の自動化がなされる。

⑤フィールド試験結果

フィールド試験は以下の日程・内容で行われた。

2017.6.4「ラブアースクリーンアップ2017」@さつき松原

開発済みのロボットにて砂上での自走実験を兼ねたデモンストレーション。人物追従モードにて,清掃イベント中のゴミ運搬作業を行った。人物追従において,赤色の服を着用した人を追従させた。

2017.8.25「宗像国際環境100人会議2017」@さつき松原

同上。イベント中ではないが,GPSによるナビゲーションモードにより,二点間の往復移動を実験。追従アルゴリズムの設計が悪く蛇行する様子が見られた。蛇行を修正しないと,波打際まで接近する可能性がある。

2018.2.25「われら海岸探偵団」@岩屋海岸

システムは人物追従モード。砂の水分量が少なくタイヤが埋まる。タイヤ回転速度の再設計を必要とすると結論。

2018.6.21「ラブアース・クリーンアップ2018」@さつき松原

新しく製作した二代目ロボットの初出動。前日の強風により,これまでにないほどに砂が柔らかくなっており,常にタイヤが埋まる状況に。タイヤ回転速度の調整を試みたが対応不可であった。タイヤが出力するトルクをより大きくする必要があると結論づける。

⑥今後の課題と展望

1.地形に対して計測業務を行う。計測対象は水分含有量とタイヤに加わる転がり抵抗である。計測機器類は購入予定がある。測定結果に対して,必要トルクがおおよそ見積もれる。

2. GPSナビゲーションモードによるイベント中のゴミ運搬作業をおこなう。経路追従アルゴリズムは変更済み,事前に海岸での動作テストと評価を行う必要がある。

3.ユーザビリティの向上。現場で,だれでも簡単に安全・安心に使えるシステムとしなければならない。具体的には起動方法の改良および,人との協働を目指した回避・停止行動の実現を目指す。

福岡県立水産高等学校 アクアライフ科 豊かな海づくり ProjectT

現在の本校周辺の津屋崎海岸は魚の餌場や隠れ家となる海藻がほとんどありません。このように海藻が極端に減少している現象を磯焼けといいます。

そこで私達は、魚がたくさんいる海を作りたい!豊かな資源を呼び戻したい!ということを目標に『豊かな海づくり』に取り組んでいます。

私たちの活動のキーワードは『山を豊かにすることは、海を豊かにすること』です。海と山は一見正反対に見えますが実は深い繋がりがあります。山で作られた栄養は、雨によって海へと運ばれ、海藻が成長し、豊かな海を育みます。その海藻が育つための栄養は広葉樹林の落ち葉から作られる腐葉土から作られ雨によって海へと流れます。

しかし、本校周辺の大峰山では竹が広葉樹林を侵食し広葉樹が育たない状態です。竹は広葉樹に比べて成長スピードが速く、広葉樹が育つために必要な日光が届かず、広葉樹が成長できなくなっています。

そこで水産高校では大峰山を活動場とし竹林の整備を行い広葉樹林を作ることで山から海へと豊富な栄養分を供給できるように取り組んでいます。竹を切る高さは地面から約1メートルで統一します。休眠期である冬場に1メートルの高さで切ることで竹は切られたことに気づかないまま翌年の春に活動を再開したときに、土から水分を吸い上げ根から竹が枯れるので、効率よく竹林整備を行えるからです。そうして伐採した竹を豊かな海を作るために有効活用しています。

その活用法の一つとして、竹の魚礁を作り魚たちの隠れ家となるように海に設置しています。この竹魚礁は、自然由来の材料で作っているので自然環境に悪影響を与えません。竹魚礁には、ドーム型やトンネル型などの様々な形があります。そして竹魚礁を固定する重りには「新日鉄住金エンジニアリング」様から提供していただいた溶融スラグのブロックを使用しています。

また、この竹魚礁は台風により海が荒れていても壊れたり流されたりせずに魚の隠れ家としての役割を果たしていました。設置した竹魚礁には、シロメバル、カワハギなど他にも様々な魚が集まっていました。そのほかにもアオリイカやコウイカが魚礁に産卵した所が確認できます。竹魚礁は二年ほどで朽ちてしまいますが朽ちた後も魚礁としての役割をしっかりと果たしていました。

また、水産高校では、竹の有効活用として他にも竹の枝部分を何層にも組み上げ、そこへ海水を流すことで水分を蒸発させ、海水の塩分濃度を上げ、効率的に塩の生産を行うことができます。

このプロジェクトは、「豊かな海につながる大切な活動だ!!」という必要性をコツコツとPRして、地域の方々から徐々に活動の輪広げていくことが大切であり、このような活動を次の世代へとつなげていく必要があると強く考えています。そのために、私たちは自分たちのできる活動を微力ながら継続し、広報・啓蒙活動にさらに力を入れています。わたしたちは、これらのイベントで自分たちの活動をもっとよく知ってもらうための工夫として竹で作成した短冊に来場者の方々に願い事を書いていただき、作成した竹魚礁に竹短冊を取り付けてもらう取り組みも行っています。

そして私たちは、今年で9年目となるこの活動を絶やすことがないように続けていくことで、私たちや、皆さんの手で多くの海が豊かになっていくことを目標に活動を続けていきたいです。

※中学生などたくさんの方にこの活動に興味を持ってもらうために竹魚礁に集まる魚を一部、映像とともに解説を加えて紹介する工夫も行った。

鹿児島大学水産学部

鹿児島県にある内湾「鹿児島湾」は、全国的にも類を見ない特徴的な地形があり、そこには全国有数の多様性を持つ生物が数多くいる。そんな海域で起こっている環境問題(ごみ問題)を紹介する。

まず、ゴミ問題を考える前に海ゴミが環境にもたらす悪影響はどんなものがあるのか。それは主に以下の3つがあげられる。①海底に沈んだり粉になったりしてゴミの回収が限りなく困難になる②漁網に入ってしまうと漁獲物を傷つけてしまう③生物がゴミを誤飲してしまい死亡する原因となる。では何故ゴミ問題が解決しにくいのか。それは人々が持つ環境問題への認識が薄いことが要因であると考える。この要因はごみ問題以外でも様々な環境問題で共通している。実際、釣り人のごみのポイ捨てが問題になったり、自然と接する遊びをする人が減ったりしている。日本財団の意識調査によると、11,600人のうち10~20代の若年層の42.5%が海との親しみを感じないと回答している。

では、鹿児島の海で起こっているゴミ問題にはどんな特徴があるのか。それは湾内で発生した「発泡スチロールゴミ」が湾内のゴミの大半を占めるといったものである。また、発泡スチロールは粉々になりやすく、ゴミとしては小さなものになってしまいやすい。海ゴミ問題についての資料を扱っている団体JEANによると、ごみ全体の29.5%が破片。また、鹿児島大学 藤枝繁氏らによって行われた調査では、80,655個のゴミのうち全体の92.5%が発泡スチロールの破片ゴミであったという記録がある。

これらの発泡スチロールゴミはどこから出ているのか。その主な原因は発泡スチロールを使用した生け簀用のフロートや防舷材などである。鹿児島湾では養殖業が盛んであり、海面には生け簀が多く浮かんでいる。これらの生け簀では以前発泡スチロールを裸で使用している光景が見られた。発泡スチロールは裸で使用すると波や船とに摩擦、フジツボ等の生物によって粉化しやすい。そこで現在は、発泡スチロールを硬質プラスチック等でカバーしたものを使用したり、そもそも発泡スチロールを使わないフロートや防舷材が使用されている。また、以前国による発泡スチロールの回収事業が行われたことがある。発泡スチロールは95%が空気となっている。その空気を専用の圧縮機を使って抜き、発泡スチロールを小さくすることで大量の発砲スチロールを一気に運搬できる。これにより発泡スチロールのゴミは減っていったが、これはあくまでも漁協のように国の監視が行き届く範囲でしか行われていない。つまり、漁業にそこまで関与しないプレジャーボート等の防舷材は今でも裸の発泡スチロールを防舷材として使用しているケースが多い。これに対し、鹿児島市は注意喚起ポスターを作ったりして発泡スチロールを裸で使った際の環境への影響等を啓発しているが、なかなか改善できない。

その理由が「環境問題の意識の低さ」なのである。発泡スチロールは比較的低価格で、さらに言うと小さな防舷材等なら拾った発泡スチロールを自分で網に包むなどすれば簡単に使用できるようになる。この手軽さが環境問題への認識より勝ってしまうためなかなか問題解決につながらない。ではどのようにすれば環境問題の深刻さを知ってもらうことができるのか。それは実際に目で見て体験してもらうことが最も重要なのではないだろうか。発表会のように言葉だけで問題の深刻さを伝えても実際の環境問題を明確に想像するのは難しい。そこで、活動を行っている我々から環境問題を体感してもらうきっかけを提供することで、ゴミ問題等への認識を深めてもらうことが今後必要であると考える。実際に100人会議で行われているフィールドワークが1番わかりやすい例かもしれない。また、鹿児島大学では親子を対象とした深海生物調査体験を実習船「南星丸」を用いて行っている。これによりまずは海に関心を持ってもらうことで環境問題について考えるための第1歩の手助けをできるといった効果もある。

以上のような活動が、今後の環境活動を発展させるためのカギの1つになると考える。

〔参考文献〕鹿児島県の海岸における発泡プラスチック破片の漂着状況 藤枝繁,池田治郎,牧野文洋(鹿児島大学水産学部)、一般社会法人JEAN、Marine Debris Issue and Prevention Practices of Discarded Expanded Polystyrene (EPS) Floats in Japan  Shigeru Fujieda、鹿児島大学水産学部HP、公益社会法人鹿児島成年会議所JCI、鹿児島湾における海底堆積ごみの分布と実態 藤枝繁,大富潤,東政能,幅野明正 (鹿児島大学水産学部)、「海と日本」に関する意識調査 記者発表 「海と日本」に関する意識調査の結果について

フィールドワーク

フィールドワーク1 竹漁礁づくり(鐘崎漁港)、フィールドワーク2 漂着ゴミ海岸清掃(さつき松原)


第3日目 8月26日(日)

宗像国際環境100人会議 各分科会のまとめ

第1分科会 海と地球環境問題 清野聡子氏

テーマを「海と地球環境問題」として、午前中は、文化、精神に注目し、エバレット・ブラウン氏に話を伺った。湿版写真家として初回から参加し、出版もされた。海の問題を精神文化から取り上げた。九州大学の藤原恵洋先生も初回から参加されている。お二人は初対面だったが、昔からの知り合いのように話が弾んだ。

沖ノ島で発掘された指輪、ケルトの指輪が類似している。時空を越える指輪のなぞ。古代の欧州と沖ノ島を誰が結んできたのか。また、建物の本質を見るには天井裏が大事として、宮大工の方にも話をうかがった。水の学びとして福島先生もお聞きした。

午後は、海洋汚染のデータを測り続ける原口先生のお話を伺った。生き物の体から禁止されたはずの汚染物質がまだ検出される。これ以上、汚染を広げないために、自分たちで止めていく必要がある。市民科学として、情報を受け取るだけでなく、自分たち自身で測って判断していく力が必要である。宗像では、釣川の上流から下流までデータを取りながら、活動している。

海女さんにもお話をいただいた。受け継ぐことで現代的、新たな意味を見出す。海女の発祥地として、消え行く文化として将来は無いかもしれない、最後の一人かも知れないが、地域おこし協力隊が入って、状況が変化した。海に新しい輝きをもたらしている。女性として、どう海にかかわるかについて、西日本新聞・記者から伺う。想像力、見えないものを感じていく力、考えていく力から“遥拝”ということばが浮かび上がった。遥拝によって深い境地に入ることができる。宗像大社の神職の方のお話も聞いた。沖ノ島での祈りは、自然観察、海洋観察でもある。サバイバルに近い。星を見て、生きもののさざめきを感じる。企業の方にもお話をいただいた。現代の匠たちが海の中を見える化する。観測していく。想像力は、世界遺産の際もキーワードになった。匠の力としての技術者だけでなく、普段市民の生活の中で、視えないものを見ていくことが大事になる。

第2分科会 環境と経済の融合 花堂靖仁氏

環境、経済、融合はどういうことか?文字の表だけでは環境と経済が対立していることを暗に示唆している。どのような対立か?環境は従で、経済が主だった。私たちの生活の基本形式は、もっぱら創り手(企業)の反対側に消費者がいる。作る専門家と消費する専門家が20世紀に出来上がった。それが貨幣経済でもある。お金でものとやり取りする社会。貨幣経済の中で役割分担ができた結果、この3日間で、両親、祖父母が生産したものを食べたり、生活の中の何か生産した中学生がいるか?まったくいない。これが経済の現実である。

企業は、最終的に利益を稼がないと生きていけない。利益の追求に先進する。一方、自然環境の破壊問題が報道される中で、大気汚染、中国の汚染の影響を受けることは皆さんもわかっているはず。おかしいぞと感じているはず。おかしいと思った企業の中から、わが身を正す企業も出てきている。それがCSRである。利益を社会・環境の両立に活かす。しかし、まだ対立構造が残っている。環境問題は誰が原因かわからない現象もある。地球温暖化も影響を与えたことは実感できないが、その結果として現象は起こる。台風、高温、豪雨など。逆走台風など経験したことの無い現象が今年は発生した。

対立をどう解消していくか?そのためにCSRやESG投資などが生まれた。環境破壊に対しては批判の声が大きいが経済を修正するには、暮らしを変えていくしかない。

午前中は助言者に話を伺った。環境省・中井氏の話では、SDGsで今までの社会を作り直す。すでにSDGs以前に環境省では「つなげよう、支えよう、森里川海」プロジェクトが施策の中に織り込まれていた。宗像もプロジェクトに選ばれている。自然の一つの流れの中に人を置き、自然環境を破壊しない、地域とつながりあいながらどうしていくか。

グッドバンカー社の筑紫氏みづえ氏は企業のESG経営を促進していく仕組みづくりをされている。社会的にあるお金を運用して投資をして将来に備える。ありていに言うと、男性ではなく女性の感性でなければできないとESG投資をやってこられた。新しい投資のスタイルを作っていく仕組みになった。

日本環境設計の岩元氏は、融合の新しいスタイルを示した。地上資源、携帯電話のレアメタルを使って、メダルに作り直している。大きな動きとしては、衣類から、綿やポリエステルを分解して作り直す仕事をしている。衣類の量販店に行くとリサイクルのポストがある。そのポストに入れると、新しい衣類がもらえる。化学工場を建てて、分解したポリエステルから新しいポリエステルを作っている。無限に循環していく作り方を開発した。

こういったことをできる方は限られている。ではどうして行くか?午後ではその点を話した。企業にSDGsの取組みを話してもらった。率直に座長として感想を言うと、当てはめゲームはできているが、実際にどうしていくかといった点はまだこれからである。17の目標に即して、できることとできないことがある。企業は自分のことしか考えていない。最後に企業はお客様だけでは成り立たない。地域、若者も重要である。スマホは双方向で同時に通信ができる、優れたコミュニケーションツールである。NTTの西日本には、そここそがあなた方の生きる道という言い方をした。

地域の方にお願いしたいこと。この宗像では、新しい、岩元さんのような行動を取れる人は一握りである。彼一人ぐらいである。だから世界で受け入れられる。それでは社会は変わらない。一人ひとりができることを考えていくことが大事。考える場所、考える雰囲気、場を提供していくのに宗像はよい条件を兼ね備えている。私の知る限り、国内でも数少ない場所である。若者が、おばあちゃんおじいちゃんがつくっていたものを不要というのではなく、どう次の社会の活かしていくのかを考えることが環境と経済の融合であると私は思う。

第3分科会 学生セッション 瓜生信汰朗氏

この分科会では、多くの環境問題を若者から見すえ、若者にできることは何か、という点を考えた。若者の可能性。竹漁礁も製造する水産高校、九州工業大学、九州大学、長崎大学、鹿児島大学水産学部、山陽女子中学・高等学校、国際育成プログラムの60名が参加した。この分科会は、企画から当日の運営まで学生が実施。実行委員会が作成し、学生宣言を作成した。

<学生宣言>

「海を耕せ」長崎大学名誉教授の中田英明氏が私たち学生に宛てたメッセージである。海を耕すというとイメージはわきにくいが、地球表面の7割を占める豊かな海を次世代へ残していくことが、これからの世の中を生きていく若人の使命であると教えてくれた。

現在の便利で豊かな生活の裏側には、必ず、影響を被る自然がある。そのことに対して、私たち人間はあまりにも無関心ではないだろうか。海の生き物も同じ地球に生きる仲間。その輪の中で生かされているのは私たち人間のほう。あのカギ括弧に込められた生命への問いかけにどうすれば応えられるだろうか。

海からの視点で私たちの暮らしを考え直す必要がある。私たち学生一同は、豊かな海を次世代へつなげていくために、現在行われている漁礁設置や海岸ゴミの回収を継続する。また調査を行って出た結果を積極的に公開するほか、学校での体験型の環境教育を行うことで、海の環境問題への関心を広げ、活動の場を広げていくことで次世代へ引き継ぐことができる持続可能な環境活動を行うことをここに宣言する。平成30年8月26日 第5回宗像国際環境会議 学生分科会参加者一同

映像でみる地球環境

海洋アドベンチャー タラ号の大冒険2~太平洋横断 珊瑚の危機を救え!

NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー 堅達京子氏

この2日間歴史ある宗像の地で、すばらしい体験をし、刺激を受けている。2017年、18年の海の日に放映した番組を紹介する。(VTR)

タラ号は、世界中でサンゴ礁の研究に協力している。フランス生まれの海洋探査船タラ号。10年以上、調査を続けており、2017年、神戸港に寄稿した。9月、フランスから、3万5千キロを航海。調査の目的は温暖化が海洋に与えている影響であるが、世界共通の方法で調査し、世界中から専門家が結集している。

最初の調査ポイントは勝浦沖。東京湾にサンゴ礁はあるか?水深10メートル、エダミドリイシが生息していた。約20平方メートルに生息。日本は世界のサンゴの分布の北限だが、ヒミツは黒潮にある。サンゴは平均水温14度以下では生きていけない。サンゴの幼生は冬の寒さでは生きていけないが、海水温が上昇している。また、CO2が海に溶け込み、酸性化がおこる。排出したCO2の3分の1は海が吸収しており、年々PHは上昇している。骨格は炭酸カルシウムでできているので、PHのわずかな減少で、骨格が作れなくなる。

伊豆大島で調査を実施した。2013年、CO2が噴出する場所を発見していた。他は8.2だが、噴出する場所は、6.5にも上り、500倍酸性化が進んでいる。ここでは魚はまったく見つからない。バブルポイントから500メートル離れたところでは、7.1.このまま温暖化が進んだ100年後の海と同じ状況である。見つけたホラガイは真っ白になり傷ついている。内臓が丸出しになり、穴が開く。PHが低く溶け出してしまう。炭酸カルシウムでできた貝が溶け出すと、将来食べられなくなってしまう可能性がある。サンゴ礁だけではなく、貝や魚など、食べているものも減ってしまう。今、CO2削減に取り組まなければ、生き物が減少してしまう。

もう一つはサンゴ礁の白化である。広い範囲で水温上昇が起こる。白いのは瀕死の状況。サンゴの適温25~26度だが、2013年は、2ヶ月に渡り30度以上が続いた。褐虫藻もサンゴから抜け出してしまった。水温が戻れば、再び戻る可能性はある。高い水温が続けば戻らずサンゴは死んでしまう。

沖縄県の瀬底島を調査した。薄汚れて藻が生えたサンゴが発見された。白化して死んでしまったサンゴである。一方、元気なサンゴもある。白化しなかったか、回復したと考えられる。科学者たちは、その違いにサンゴの絶滅を食い止めるカギがあると考えている。

同県の読谷村のサンゴの養殖所へ向かう。去年、サンゴの危機を救うかもしれない発見があった。高い水温でも白化しないサンゴがある。養殖の第一人者である金城浩二さんは20年前から移植事業に取り組む。31.5度の水温で45日間白化しなかった珊瑚を見つけた。もとはウスエダミドリイシだった。子どもたちにサンゴを見てもらおうと深いところから浅いところへ移したところ、紫外線でほとんどが白化してしまったが、生き残ったサンゴを時間をかけて紫外線に慣らして、移植したところ、高い水温に耐えられるようになった。そのメカニズムは何が違うのか?白化しないサンゴにだけ、あるバクテリアが多いことが判明したが、なぞは解明されていない。豊かな海を守るために科学者たちは叡知を結集しようとしている。海のことを考えることが必要。心配する人が減ったのは事実である。里海を考える人たちを増やさなければいけない。日本の貴重な調査データが収集された。タラ号は、10万キロを航海していく。この海の世界を次世代に受け継いでいく。

溶けてしまった貝をみたことがあるがショッキングだった。タラ号は、ファッションデザイナー、アニエス・ベーの船である。家族もみな海が好きで、社会貢献として、実施している。マイクロプラスチックなど、世界中の研究者を集めて行っている。 日本ではない社会貢献の仕方である。8室あるが、その1室には、かならずアーティストを乗せ、研究の体験をアートとして発信していく。寄航した際には、そこで子どもたちへの教育を実施している。福岡でも実施した。

財団を作っているが、なぜ一企業がここまでやるのだろうか?海の現状について強い危機感を持っているためである。白化したサンゴは美しく見えてしまうが、このままでは死んでしまう。オーストラリアのバリアリーフなども水温上昇、排水による汚染で絶滅の危機に瀕している。

CO2が増えれば、気温がさらに上がり続けてしまう。排出量と正比例の関係にある。日本でも猛暑だったが、欧州では42度、米国では50度を記録し、このままではサンゴは生きていけない。2050年までの温度上昇を2度以内に抑える必要がある。サンゴは最も温度変化に弱い。ポツダム研究所の研究によると、パリ協定を達成してもサンゴは死滅してしまうかもしれない。今、ティッピングポイントにいる。炭鉱のカナリアとサンゴも同じ役割を担っている。清野先生がおっしゃっていた“見えないものを想像する”と同じ。海の中は見えないが想像する必要がある。

もう後戻りはできない。っ世界の平均気温は、80万年間で最も高い。300万円~500万年前にしかそういった現象はなかった。山火事であれば、大変なことが起きているとわかるが、海の中で激変が起きていてもわからない。だからこそ、科学者やメディアが伝えていかなければならない。これ以上のことが起きてくれば、海の恩恵を受けて暮らしていた暮らしが、変わってしまう。物理の法則で、雨の降り方も変わってくる。今日のテーマでもあるが、こういった現象に対して畏れを持たなければならない。今できることは、CO2を出さないという総力戦に変えていく。パリ協定もあり、ビジネスを変えていく。サッカーのゲームもピッチ自体があったてのもの。ビジネスもその場が無ければできない。

西日本豪雨などの状況になれば、ビジネスどころではない。お金には換算できない。科学者たちが懸念のは、南極や北極の氷が溶け出すと元に戻らないことである。宗像の世界遺産でさえ、水の中に沈んでしまうかもしれない。脱炭素革命という番組を作って、訴えかけたが、一人ひとりが考え、取り組んでいく必要がある。

マイクロプラスチックがサンゴに影響を与えている、という論文も出た。タラ号の結果も今後数年かけて論文にしていくが、行動は今すぐしていかなければならない。さつき松原の美しさも感じるが、プラスチックを拾うと、本当にできることからやっていかなければいけない。私自身も今日からまたできることを考えていきたい。

座談会1 水と命の循環

岡田昌治(九州大学特任教授)、鈴木款(静岡大学創造科学技術大学院特任教授)、都築明寿香(学校法人都築育英学園理事長)、寺崎正勝(九電みらいエナジー取締役企画本部長)、浜崎陽一郎(Fusic取締役副社長)《座長》養父信夫氏(一般社団法人九州のムラ代表理事)

養父氏:宗像で生まれ育ち、九州のムラの雑誌をつくった。父は宮司だったが、跡をつかずに、リクルートに入った。地域の活性化をメディアを通して支援してきたが、50歳を機に宗像での活動を開始した。これまで、企業に支援していただいているが、この座談会では、これを次のステップにするためのアイディアをいただきたい。企業の技術を結集すればできることは多い。また、地域の人も重要で、今回の学生の宿泊先も私自身の同級生を中心にした漁師民泊である。海女さんもいるが、海女漁だけではやっていけない。これまでの枠組みだけではやっていけなくなる。

宗像では、ソーラーパネルの景観被害や漁業の問題などがあり、それを解決していくためには、日本が古くから持ち続けてきた価値観を打ち出していく必要がある。世界遺産になって1年。ぜひ皆さんの知恵をお借りしたい。

鈴木氏:海洋化学が専門である。サンゴの白化のメカニズムと救う方法はあることをお伝えしたい。海洋調査とボランティアを三菱商事と2005年に始めた。ボランティアに参加していただくが、海の中で起こっていることを感じること、見ることが難しい。できるだけ、研究に参加していただくことが大事である。見えない世界が見える世界を支える。海の中のプランクトンや微生物が魚に供給している。ミクロの世界の生物がだめになれば、そこにすむ生き物にも影響がある。多様なネットワーク、とう考え方をする必要がある。海さえ育てればよい、というのではなく、全体を理解する。三菱商事とは、研究支援ではなく、一緒に14年かけて行っている、ということが大事で、他のプロジェクトとは異なる。本プロジェクトの特徴は、研究支援だけでなく、一般市民、NGOとも連携しながら実施していることである。

サンゴ礁の割合は減っているが、原因は白化と病気である。サンゴもガンにかかる。石西礁湖でも見つかっている。原因はバクテリアとカビ。流れ込んできてサンゴに取り付いていく。もう一つは、海の生態系。海水の吸収率は年々減っている。どこまでキャパシティがあるか、役割を果たしているかをきちんとみなければいけない。国際サンゴ礁保全プロジェクト開始当初は、白化の原因もわからなかった。褐虫藻が白くなる、といったことは本当か?すべての論文、研究結果を調べ上げ、サンゴの体内の褐虫藻と体外へ放出された褐虫藻の細胞数を数えることにした。研究を進めた結果、従来は、サンゴと共生する褐虫藻が高水温化によって逃げ出し、白化すると考えられていたが、実際は、サンゴの内部の褐虫藻の光合成能力が低下して縮小・透明化が進み、サンゴに消化されて色素を失い、白化することが判明した。

褐虫藻が作る有機物をサンゴはエネルギー源として80%ほど使っている。褐虫藻が生息してくれれば、サンゴはあまり活動しなくて住む。複合的な仕組みを持っている。バクテリアなどがサンゴの命を支えている。その複合共生システムが大事である。

一平方メートルのサンゴ礁に、50万の褐虫藻がいる。水温が32度になると褐虫藻の細胞数が60%減った。サンゴ礁は褐虫藻からエネルギーを得ており、60%がなくなれば、餓死状態になってしまう。そうなると、死んだ褐虫藻を食べてしまう。白化のメカニズムは、褐虫藻が出てしまうことではない。99.9%内部で起こっている現象である。水温に強い褐虫藻が30%ほど正常に残る。2~3日で分裂して増える。戻ってくるのではなく、中にいるものが増える。

サンゴは生き残り戦略を持っている。サンゴは自分自身で免疫システム、防御システムを持っていることがわかる。サンゴ自身のシステムをどのように私たちが支えていくかを考えることが必要である。

寺崎氏:海と再生エネと地域をテーマに活動している。北九州市の響灘の洋上風力の下では、豊かな海になっている。これまでは砂地だったが、4年後、海藻などが生えてきた。再生エネはトレンドになっているが、日本でも開発は山場になっている。国土が狭く、騒音や広さなど様々な制約がある。陸より海は広い。世界第6位の海洋面積を持つ。使わない手はない。海を利用して、どう活かしていくか、共存していくかが重要である。

日本では洋上風力は20台運用されている。響灘では洋上風力を設立するため、調査を進めていく。4エリアできると、小倉北区のすべての住居の電力をまかなうことができる。五島列島では、潮流発電の実証事業を行っている。騒音もなく、潮流が早いところは漁もできない箇所なので、発電によいのではないか。

コンセプトとしては、エネルギー共有により温室効果ガスを削減すること。また、漁業と共存し産業が生み出せるのではないかと思っている。特に漁業、海との共存を図っていきたい。海洋調査の結果(気象、地質、海洋生物等の調査)は漁師にも情報を提供している。漁場は知っているが、海の中はあまり知らない。海の中が見えないと次の行動が取れない。見える化をして、関係者と共有することが大事である。

その後、資源保護、磯やけ再生などの対策を考える。漁業資源の育成、活性化などを行っている。オークニー諸島(英国)は海が荒いく、潮流が早かったが、EUが目をつけて欧州海洋エネルギーセンターを設立した。潮力、火力、風力を設置すると、500万キロワットの可能性があるのではないかと考えられている。研究者が様々な実験を実施した。最初は地元も反対したが、海中をくまなく調査し、理解を得ていった。現在では、住民が使う電力の120%を得られるようになり、EVなど電気自動車なども普及させた。産業が起こることにより、地元で仕事が生まれた。漁師だったが、アドバイスをしているうちに自分の会社を作ってしまった住民もいる。資源量も増え、漁師の収入も増えてきた。

自然環境の保護、エネルギー確保、暮らしの振興を進める一つの手段として、再生可能エネルギーを考えてはどうか。

都築氏:2000年から、インキュベーションセンターを開設し、現在まで30社ほどに支援を実施してきた。IT企業を中心に、再生可能エネルギーのレノバさん、ユーグレナなど。今日ご紹介するのは、林業のTobimushi である。トビムシは、国内で初めて林業ビジネスを再生させた企業で森は海の恋人として、竹本吉輝氏が創設した。トビムシは土壌の中で重要な役割を果たしている生物のことである。

日本は、国土の7割が森林だが木材の自給率は3割程度である。林業が盛んだったが、輸入材に押されて材の価格が下落し、衰退した。トビムシは、林業再生を通じて、地域を活性化する事業を展開している。西粟倉村では、50年前に植林したが、スギの値段が下がり、手入れがなされていなかった。個々の山主が分散していたのを、町が管理を集約し、1300haにして、効率的な施行管理を実施、共有の森ファンドを作って、森林管理を行うことにした。個人投資家が出資し、10年間は、村のファンになっていただく。2009年には、西粟倉・森の学校を設立(2次産業)し、2011年には、ユカハリ・タイルの販売を開始した(3次産業)。ベンチャー支援の仕組みも作った。林業の一次、二次、三次の再構築をした。資金をどう得るか、作ったものをどう出していくか、どう事業家していくか(インキュベーション)を考えた。キーとなる人がやっていく必要がある。

トビムシはサポート役である。地域との特性に特化したバリューチェーンの構築ができる。八女市でも実施しているが、同じことをやるのではない。地域のよいところを考えていく。二次、三次産業化をすることによって、外から呼び込む。ファイナンス、マーケティング、地域が苦手な分野のインキュベーションを、コミュニティのデザインからおこなう。移住者が130名も増えたが移住者が地域に住むことをイメージできることが大事である。

宗像市への提案だが、多くの天然資源が眠っている。観光ツーリズムとつなげていくことができる。行き過ぎた資本主義が社会課題をトリガーしている。学長として多くの国を見ると、格差を大きく感じる。貧富の格差が拡大している。加えて高齢化社会など様々な課題を抱えている。何をやるべきか。世界に新しい資本主義を示していく必要がある。今後、日本経済大学、ハッチャリーとしてやっていきたいのは、ソーシャルベンチャーの支援、ソーシャルインパクトやリターンの形成、新しい経済や幸福感の指標を構築し、日本から世界に示していくことである。日本のプレゼンスの向上にもつながる。

岡田氏:朝の振り返りで想像力、環境と経済の融合、環境活動の持続とあり、すばらしいと思った。がそれをどう実現していくか。博多生まれで、NTT入社に入社後、海外に10年赴任した。アメリカでは、弁護士資格、MBAも取り、ビルゲイツなどとも直接交渉した。こういう経験から思ったのが、ビジネスは金がすべてであるということ。そう気づくと福岡に戻りたくなり、結果として九大にひきこまれた。

その頃、ムハマド・ユヌス氏と出会った。バングラデシュ出身で2008年にグラミン銀行の功績でノーベル賞を受賞した。アジア文化賞も受賞している。2008年以来、毎年お招きして、日本の大企業、皇室、とも一緒にお会いしている。最近は、ローマ法王にも謁見した。

SDGsにもユヌスさんは参画している。17の目標はメニューに過ぎず、自分ごととして取り組んでいくことが大事である。沖ノ島で何が起こっているか。サンゴの問題も起こっているが、貧困・飢餓で多くの子どもたちが死んでいる。世界で最も富んだ8人財産の合計が35億人の財産とイコールである。ただの大金持ちでなく、国を動かせる、戦争も起こせる。この状況が、現在の資本主義である。自然環境の破壊が広がっている。ペットボトルで新しい大陸が生まれている。プラスチックを食べた魚を我々は食べている。なぜ、この会議でペットボトルを使うのか。サントリーがペットボトルを使うのか。ビンにしないのか。金のためである。

タラ号は、本当は何万艘も地球上になければならない。アニエス・ベーはそれに気付いている。それに気付いたユヌスさんは、ソーシャル・ビジネスを始めた。ソーシャル・ビジネスとは、NPOでも、寄付でも、コミュニティ・ビジネスでもない。ただのビジネス。無私のためにやるのが、ソーシャル・ビジネス。社会的問題を解決する。財務的・経済的自立と持続が重要で、株主への出資額以上の返還はない。金は金を生まない。環境に配慮する。環境を壊すペットボトルは売らない。社員を大事にする。お金が余ったら他のソーシャル・ビジネスへ貢献する。楽しみながら。これを会社の方針に入れれば、すべてソーシャル・ビジネスである。それをやっていたのが、近江商人である。三方よし。二宮金次郎も道徳無き経済は犯罪である。経済なき道徳は寝言である。といっている。欧州でいうとびっくりする。チャリティや寄付に頼るNPOではない。ソーシャル・ビジネスの遺伝子=クール・ジャパン。ぼくがやったことはこれである。

「黄金の奴隷になってはいない」と出光佐三さんは言った。大学でもソーシャル・ビジネスのコンテストを実施している。若者、女性に期待している。ユヌス氏がダボス会議で言ったことは“サイエンスフィクション”ということである。人類は月を見て、行けたらいいなと科学技術を発展させた。ソーシャルフィクション、環境を守る宗像、失業者のいない宗像、貧困の無い宗像、女性と男性が平等な宗像、独居老人の孤独死のない宗像を想像する。想像力だけでなく、創造力を持っているはず。その力をもってソーシャル・ビジネスを立ち上げてもらいたい。

浜崎氏:IT会社を経営している。学生時代にIT会社を立上げ、現在16年目になる。天神、東京で事業を展開し、関連会社として山口銀行と会社を作ったりしている。

人工知能の会社をしており、環境に活用していきたいと相談を受ける。しかし、AIを使いたいと思っていてはAIは使えない。あらゆるものからデータを収集することに対する意識は、他の産業分野に比べて、環境分野は著しく低い。海洋は特に陸上に比べて難しい。今を知って、それを活用していくには、そもそも日々のリアルタイムのデータがほぼ取られていない。圧倒的に取られていないと今回参加していて思った。

食品関連メーカーでは、食品ロスをなくすために気象状況を活用して需要を把握し、生産管理を行う。

海の情報をリアルタイムで採る、ということに対するアクションを我々IT企業と一緒にやっていく提案したい。私も今回初めて、初めて環境に対する課題を知った。データ収集が簡単な状況ではないことはわかっているが、ぜひ、宗像の海に関する情報は逐一皆さんがわかっている、というような状況を作りたい。

座談会2 自然への感謝と畏怖

川勝平太(静岡県知事)、第十四代中里太郎右衛門(陶芸家)、小川三夫(宮大工・鵤工舎創設者)《座長》葦津敬之(宗像大社宮司)

葦津氏:この3日間、いろんな議論がなされてきた。温暖化についてはいまだに賛否両論あるが、皆さん肌で感じておられるように、近年の異常気象、特に夏の猛暑については、人々の暮らしだとか、仕事だとか、そういうものに既に影響を及ぼしている。特に自然環境の影響を直接に受ける第1次産業、中でもこの宗像の漁業については、今日にあっては予測不能な状況にある。また、さらに近年の大規模自然災害、激甚災害、過去5年の国のデータを見ると、これだけの激甚災害指定が起こっている。その都度、災害への対応が問われているが、そのたびに各地で復旧・復興の工事がされている。ただ、その復旧・復興の工事を見ても、何となく近視眼的なように私には見える。

私は神主を長いことやっているが、東日本大震災では大きな学びがあった。ここに『神社は警告する』という本を紹介しているが、東日本の大震災の際に、実は古い1000年以上の古い神社は一社も崩壊しなかった。さらに、その後津波マップというものが示される、津波マップの際に気持ち悪いぐらいに鳥居マークがあるということである。従って、この座談会Ⅱは過去から学ぶとことが大きな役割になっている。古くから存在する、私の立場で言えば神社には、いろんな記憶が埋め込まれている。そういった中で、今日はそれぞれのお三方から、そういう記憶を呼び戻していただいて、実は未来に向けてのヒントは、先人たちが経験してきたものからいろんなものが学べるのではないかということで、この話を進めてまいりたい。

本日の座談会Ⅱのテーマは、『自然への感謝と畏怖』ということで非常に大きなテーマになっているう。そのテーマを絞り込むために、まず最初に川勝平太静岡県知事より、先人たちが育んできた歴史や文化から今何を学ぶべきかについて問題提起を受けて、話を伺いたい。川勝知事は長い間、皆さんご承知のように研究者としてご活躍をされまして、その知識人としての影響力というのは、かなり広範囲に及ぶ。さらに本日は、静岡県は富士山という世界遺産もお持ちでございますので、そういうことも含めて、最初に問題提起としまして、歴史や文化から今われわれが何を学ぶべきかについてお話を賜りたい。

川勝氏:現在のことも大切で、未来はもっと大切だが、仮に私が今ここで記憶喪失になったら、何をしていいか分からないので、現在も未来もない。なので、過去というものは極めて大切であると思う。日本の歴史、3万8000年ぐらい前にこの列島にホモサピエンスが上陸をし、歴史が誕生した。例えば縄文、弥生、それから、古墳とか飛鳥時代とか、奈良、平安、鎌倉ときたが、通常、平安時代400年とか、江戸時代は250~260年といいますけれども、一番長いのは縄文時代である。その次が弥生時代。ただ、この時代は無文字の社会。しかし日本人は、間違いなくここに生きていた。そうした記憶がどのようなものになっているかというのは、最初の記録である古事記や日本書紀、万葉集に書きとどめられていて、そうしたところから想像できるわけだが、富士山にしろ、宗像大社にしろ、これは地球の歴史あるいは神話の世界と深く関わっている。

富士山というものから、この歴史文化、何をすべきかというと、日本の自然観がある。恐らく縄文時代から培われてきた自然観ではないか。富士山について最初に表現されたものとして残っているのが万葉集である。そこに、山部赤人という歌人と高橋虫麻呂という歌人の歌が載っている。山部赤人の歌は『田子の浦ゆ うち出てみれば ま白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける』が有名だが、実はこの短歌の前に長い長歌が置かれている。これが最初の、富士山についての表現であり。『天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 降りさけ見れば 渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず 白雲も い去きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ往かむ 富士の高嶺は』こういうふうに歌っている。興味深いのは最初である。『天地の分れし時ゆ神さびて高く貴き』こういうふうに歌い始めている。天地と分かれたときから神さびて。すなわち神のごとく尊く高くというふうに、これを表現している。

高橋虫麻呂という人は、この人も長歌を残されているが、『なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と 国々のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 日の本の 大和の国の鎮めとも、います神かも 宝ともなれる山かも』。こういう長歌を、今、一部を紹介したが、そのように歌っていいる。すなわち富士山というのは、これはもう、何回か噴火を繰り返して今日の姿になっており、それを神として、和歌で五七五七五七の、この調べで歌っている。ここに、富士に象徴される日本の国土、あるいは自然に対する日本の自然観が表れている。言い換えると、自然というものに畏敬の念と、そして芸術を見ているということになるかと思う。

そして、富士山が世界文化遺産になった。世界文化遺産は、当初は富士山として届けでたが、平成25年6月22日、カンボジアのプノンペンにおける会議で、向こうのほうからタイトルを変えなさいと言われた。富士山だけでは分からない。どういうふうに変えるのか。『Sacred place and sources of artistic inspiration』これを付け加えろということです。『Sacred place』、何かというと聖地である。そして『sources of artistic inspiration』というのは芸術の源泉。芸術的な霊感の源泉。これをイスラム宗教と仏教徒、キリスト教徒、無宗教の人、いろんな人、全ての人から提案されて、日本の代表はそれをイエスといった。それで今、『信仰の対象と芸術の源泉』とうたっている。

それからこの宗像は、神の宿る島ということで、これは天照大御神と、皆さまご承知のとおりスサノオが誓をし、そのときに天照大御神様が、このいまし三神を置いていきなさい。そして天孫を助け祭る。そしてまた、天孫によって祭られようといわれている。その天孫、これは現代では天皇陛下であられる。これは、国の形を考えるということをわれわれに求めているのではないかと思う。

ちなみに、明治から昭和にかけまして、明治の初めに明治天皇が『五箇条の御誓文』というのを16歳のときに出された。これは『廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ』とか、『上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フベシ』、こうきまして『旧来ノ陋習ヲ破リ,天地ノ公道ニ基クベシ』と第四条までうたった後、第五条に『智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ』と。皇基というのは、国の形である。これを天皇の下にと書いている。実はこれ、そのときだけうたわれているのかというと、そうではない。敗戦、昭和20年に大きな敗戦を強いられ、そして昭和21年、昭和天皇が詔を発せられる。これは、後に『人間宣言』といわれる詔ではあるが、この詔を初めから読むと、『明治大帝は五箇条の御誓文を発せられた』と始まり、先ほどの『廣ク會議ヲ興シ』という文から『智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ』と。それを朗々とのたまわれた。それが今の日本国憲法で第1章、第1条から第8条までである。その第1章第1条は、『天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。この地位は、主権の存する国民の総意に基づく』というふうにうたっている。私は憲法9条の話しかやっていないが、実は一番の第1章の第1条は、そこから始まっている。

この国の形を宗像が考えさせる。しかも、この富士山も、この宗像も、日本の宝ではなくて世界の宝にもなっている。従って、これよりは、この日本人の芸術と信仰が一体になった自然観というものと、それから天皇を擁しているという、この国の形。これが、いわば世界共通の認識になっているので、これを改めて考えるということが、この歴史と文化から富士山、宗像大社を通して、われわれが今要請されている課題ではないか思う。

葦津氏:どうもありがとうございました。ここで宗像の話をしようかなと思っていたが、川勝知事に言っていただいた。次に、宮大工の小川さんよりお話を伺いたい。小川三夫さんは、最後の宮大工といわれた、法隆寺を再建されました西岡常一棟梁の一番弟子であり、最後の弟子というところで、現在、宮大工の世界におきましては最高峰のお立場にある。私は、小川さんとの出会いは恐らく20数年前になると思うが、東京の神社本庁という所にいて、当時、まだ私は若かったが、そのとき若手の勉強会に来ていただいた。その際に、非常にいまだに印象的なお言葉をいただいた。立派な1000年のヒノキというものを自分らで使うが、そういうヒノキというのは、実は少し白っぽくて風格がある。で、大体、劣悪な環境の中に育っていることが多いと言われた。一方、恵まれた環境に育っている1000年のヒノキというのは青々して、見た目はきれいだが、実際に割ってみると中に空洞、ウロがあって使えない。このように言われて、何か自分を見透かされているような、そんな感じがして、その言葉がいまだに印象的である。以来、一方的に私は師匠のようにあがめている。

ご承知のように、宮大工の世界というのは、小川さんの有名な共著『木のいのち木のこころ』にもあるように、建材となる木々は人間よりもはるかに長く生きたものを使うために、非常に心構えが深い上に、自然との向き合い方がいい意味で普通でないということである。本日は、そのような環境の中で心と技を究められました小川さんより、今日までの経験談をもとに、自然への感謝と畏怖についてお話を賜りたい。

小川氏:私は奈良で仕事をしているが、栃木にも工場がある。栃木県に行って分かったのは、栃木県という所は、本当に自然災害のない所である。そういう所に住んでいると、今度は、自然災害がないから恐れもない。そうすると今度、自然に対する感謝の念も少ない。ですから、本当に栃木県は、山あり川ありで、農作物は大変おいしいが、それは当然としてというか、やはり気付かないというのもちょっと怖い。鬼怒川という川があるが、大雨降ったときに氾濫するのは、隣の茨城県で氾濫して、栃木県では氾濫しない。平成11年の頃、これからの日本の川をどうするかという建設庁の会議があって、私はその委員を1年間やった。その頃は、3面張りの川はもう要らぬと。これからは金網に石を詰めて、それを川に置いて堤防にして、そして柳でも植えて、そういう情緒のある川を作ろうとしていた。2、3年それをやったが、ちょうどその頃から雨の勢いが全く違う様子になった。今までみたいな雨の勢いじゃない。

自然の川は自然に流れる。道を探すということをする。そして、走る。その自然の流れを無理に変えたり、真っすぐにならそうとするから、壊れたり氾濫を起こす。ですから、自分が思うには、自然に対しては無理をしないということが大切だ。無理をしない。自然に対立するのではなく、本当に駄目なときには負けてしまうぐらいの人間でいいんじゃないかなと今は思う。それから自分たちは木を扱っているので、本当に1000年の時を見る、そういうこともあった。1000年の木を板にして扉に取ってきたが、その扉の板を真ん中から切ってくれと言っても、1人は3日間かかっても切れなかった。1人は簡単にそれを切った。その3日間かかって切れなかった人は、その1000年の命が分かったわけだ。そのような仕事をしているが、あまりにも裕福というか、幸せなときに切ってしまうと、本当に自然の恐怖とか畏れとか、感謝とかっていうのは、ちょっと感じることが少なくなったような気がする。

葦津氏:自然と、しかもその長い時空の自然と向き合える小川さんのほうから、まずはその一端をお話しいただいた。

次に、第14代中里太郎右衛門さんよりお話を伺いたい。中里さんとの出会いは、まさに5年前、この宗像環境国際会議が立ち上がった第1回目の折にIPCC、気候変動政府間パネルの議長をされておりましたパチャウリさんにかなりお世話になったが、そのときに御礼の品をお渡ししようということで唐津を訪ねた。それ以来だが、会った瞬間に、中里さんの謙虚な人柄と真摯な取り組みに感銘を受け、陶器に関しては全くの無学であるが、伝統を引き継ぐという、その先人を探る姿がとても素晴らしく、私ども神主としても見習うべきことが多く、私の尊敬する方でもある。

中里さんは、実は2年間の歳月をかけられまして、宗像の沖ノ島国宝の奈良三彩というものを復元されている。その過程については、中里さんは多く語られないが、見事な復元をなされている。沖ノ島から出土した国宝は8万点に及ぶが、中里さんがこのたび、こういう形で復元をしてくれた視点というのは、今後、沖ノ島から出てきた8万点の解明にも大いに役に立つのではないかと確信している。本日はそのように、先人たちの声を聞きながら伝統文化をつないでいただいている中で、自然への感謝と畏怖について、まずはお話を賜りたい。

中里氏:今、言われた自然への感謝と畏怖というテーマは、ものすごく深いテーマだと感じる。宗像大社さんでの会議という視点でお話しすると、自然への感謝と畏怖は一言で言うと神だと思う。まさに神、神様。これがテーマである。

実は私、日々神様を信じて生きている。もう数十年そういう生活をしている。やはり日々感謝、またいろんなことがあると、それを逆に感謝に変える。そういう心持ちで日々の生活をしている。焼き物というのは器、見えるものです。芸術作品というのはものに見える。もちろん焼き物も実際、目に見えるが、私が感じるのは目に見えるのではなく、目に見えない世界。その目に見えない世界というのは感じ取る、第六感とかで感じ取る世界観。芸術品に関して言えば、素晴らしいものを見れば人がそれにいいなと思うが、心で感じ取る。だから私は、日々の作陶の中で一番、心を込めるということを大事にする。心を込めてものを作ると、それが見た人の心を動かす。もちろん目を媒体にするが、それを媒体にする人の心を動かす。だから、そこに芸術の価値がある。焼き物に限らない。音楽でも料理でも全て。全てのものは、人の心が大切である。

そういう意味で自然、感謝というテーマだが、実は私、ずっと昔から感じていることがある。今回の環境会議においても、いろんな環境問題が取りざたされている。台風が近年ものすごく来る。大きな台風。また異常気象や猛暑。ひいてはCO2の温暖化。サンゴ礁が枯れるというお話だったが、このような現象の原因はどこにあるのか。その奥の奥はどこにあるのか。私が思うのは、それは人間にあると思う。この環境がこれだけ、自然の環境が狂ってきている理由は、人間の心にある。人間の心があって、また、言葉があって、それを行動する。それが自然に反した在り方だから、私は自然の摂理として、こういうことが起きてきていると思う。だから私は、根本はそこにあると思う。逆に、人類の精神的な精神性などが良くなってくると、この災害というのが少なくなってくる。だから、そういう意味で私は、こういうのは天災でなく人災だと考えている。

ちょっと話が変わるが、つい先ほど山口県で、2歳児がいなくなった事件があった。そのときに尾畠さんですかね、スーパーボランティアの尾畠さんが助けた。もちろんテレビで見て、ものすごく感動した。それはもちろん2歳児が見つかったことにも、本当に良かったなと思ったが、そのスーパーボランティアの尾畠さんが言われたこと。これにものすごく感動した。その方は、見返りを求めないボランティア。こういうことをしたら、こういうことがあるだろうと、そういう全然見返りを求めなくて、ただ単純に人を助けたい。お母さんに喜んでもらいたい。ただその一心であの子を救い出された。それには非常に感動した。私は、そういうふうな人間の心の在り方を持つ人がどんどんと増えてくることを望む。CO2の問題も結局は人間にある、それをするのは人間だから。だから人間の考え方とか行動、言葉とか、こういうことが良くなれば、おのずと環境が良くなってくる。

私は宗像大社さんに、今後の期待と言うか、やはり神社さんは見えない世界、神様をお祭りされている。だから、こちらで手を合わせ、見えないものを信じる。神様イコール大自然だと思っているので、大自然を大切に思われる人が増えてくれば、そう環境問題も、究極は解決していくんじゃなかろうかと思う。そういう意味では、この宗像大社さんの使命というか、天命というか、それは非常に大事なものがあると思うので、今後そういう神社を繁栄して、見えない神様にお祈りして、心を豊かにしていくことが大事ではないか。

葦津氏:どうもありがとうございました。川勝知事、それから小川さん、中里さん。私以上に神主らしいお言葉ではないかなと思う。

私はよく講演に行くが、その際に時間があれば、最後にアインシュタイン博士が日本に来られたときの、日本における印象というのをよく紹介する。もう少し現実に目を向けるために、少し長いが朗読をさせていただきたい。『日本では、自然と人間は一体化しているように見えます。この国に由来する全てのものは愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与えられたものと密接に結び付いています。日本人は西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来持っていた、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらの全てを純粋に保って、忘れずにいてほしいものです』と。このようなことを大正11年、今から96年前になるが、博士が日本に来た際に、日本にはまだ自然と一体化した芸術的な姿があった、けれどもこれからどうなるかという、こういう警告をしている。

非常に無理難題を言うが、大きく変化を遂げたといわれる近年の、日本の100年の歩みと変遷について、川勝知事のほうよりお話しをいただければと思う。

川勝知事:100年と言われたが、今年は1868年、明治元年から数えて150年目の節目に当たる。時代区分が難しいと言われたが、これは東京時代と言っていいと思う。東京時代というのは、国を挙げて欧米の文物をフルセットで入れ、そして入れ終わったといえる時代。いろんな時代区分もあるが、なぜ東京時代といえるかといえば、それ以前の時代が江戸時代、その前が安土桃山、その前が室町、その前が鎌倉、その前が平安京、その前が奈良、平城京。そして飛鳥。これ、お気付きのように全部地名である。そして、地名で時代区分をしているのは、恐らく世界で、タイのスコタイ王朝、アユタヤ王朝などを除くと日本だけである。

そして、いわば、所変われば品変わると言うが、所を変えて品を変えていったのが日本だというふうに言えると思う。このすぐ近くで、663年の白村江の戦いに1万人以上の人たちが救援に向かって、結果的に百済の人たちが日本に逃げて来られて、奈良という国を造るわけですね。奈良というのは韓国語で国ですから。そういう、日本で初めて律令制とか、あるいは登用制度とか、あるいは天皇語とか国語としての日本語といったものが皆、この百済の知識人に拠っているといわれている。その後、平安京に移るが、平安京での百済の影響は皆無と言っていい。むしろ唐の影響が大きい。大体、国風化が12世紀末に終わり、鎌倉に移るが、鎌倉に非常に典型的なのは、いわゆる鎌倉五山、鶴岡八幡宮などである。五山は、言わば、中国の黄河の流域ではなく、南の長江の流域に中国の都が移ったときがある。その南宋から五山の制が鎌倉に入った。禅とか朱子学と、特に禅の文化である。これが鎌倉に新しい文化を入れた。

これを京都がうらやましがり、室町京都の時代に改めて、京都の町の周辺に東福寺だとか南禅寺だとか、相国寺だとか、そうしたものを京都五山として作った。そして、ほぼ室町時代に入れ切る。中国の黄河流域の文明の華である唐の文化。そしてまた、中国の南の長江文明の華である南宋文化。これを鎌倉経由で京都に入れ終わりまして、そして安土桃山を経て江戸時代になる。江戸時代、この近くにも小倉城がある。日本に一国一城を入れた家康が300幾つかの藩に城下町を作らせるが、城下町に中国の文化はない。言い換えると、日本は江戸時代に中国、韓国と中心にした東洋の文明から自立をした時期を迎えた。そして明治維新で陛下も江戸城に入られ、全てが欧米風に染まるということを決意して今日に至った。

今、私はこのように日本が首都機能を変えてきたという点から、もう既に1990年、今から30年ほど前に首都機能を変えるための国会等移転審議会が設けられ、20世紀の末に首都を移そうと、移し先もう挙がっていた。それが、小川さんのいらっしゃるすぐ近くで、今、話を聞けば栃木県と福島県の県境、栃木県側の那須野が原という所に移るという報告書が出て、それを国会に答申したが、他の先生方は、答申案を3年間議論したものの決められないことを決めて、今日に至っている。

過去150年ないし過去100年の富国強兵の時代、特に20世紀に入りましてからは中国革命、ロシア革命、さらに第1次大戦、第2次大戦ということで、戦争と革命をやってきて、さらに、環境破壊をしてきた。それのいわば、日本における拠点が東京ということだったため、これからはポスト東京時代に入るべきだと思う。今、その那須野が原に移すべきと言われているのは、人口で30万。多くても60万。今は1200万ですから、20分の1以下移せばいい。言い換えますと、国がつかさどっている内政に関わるものは、それぞれの地域に委ねよということになろうかと思う。大きく分ければ、ここはいわば九州、海に面しており、海の国である。東の方はどちらかというと山国ということになろうかと思う。そういう海の州、山の州というものに分けつつ、日本の国の形を変えていくという、そういう時代に入ったという認識を私は持っている。

ちなみに、もう少し具体的に言えば、日本で言えば都道府県というのは、1200万の東京都から60万を切ってしまっている所もあるため、やはり、そこに国の権限や財源や人材を移すには小さ過ぎる。従って州道、道州ともいえ、中心になるのは東京都だと思うが、山の州も、北海道、東北はあまり高い山がないため、あるいは森の州にするとよい。関東は山のない平野ですから、そこは平野の州。中部地方は富士山、日本アルプスがございますので、山の州。近畿は琵琶湖がございますから、水の州。中国、四国、九州というのは、関西のうちということで海の州と。こういうふうに分けると、環境を基準にして地域が分けられる。プラス、大体東京と匹敵する経済力を持つということになり、今、東京都で司っている国の役人の方々は、東京都にかなり匹敵する国力を持てますから、国の経営ができる。そういう時代を拓いていく前夜にいるのではないかという時代認識を持っている。

葦津氏:ありがとうございました。確かに、歴史区分の中にいろんな地名が付いているというのは世界でも日本だけだという、こういう区分をすればいいなという、大変勉強になった。これから価値観を転換して大きく変えていくためには、首都を変えたほうがいいというふうにも聞こえたし、いずれにしても、みんなが心を一つにして何かリセットをする、何かのアクションが必要なのではないかと思った。

それでは次に、私も含めまして小川さん、中里さん両氏ともに、伝統や文化をつないでいくという仕事にあるが、私も50半ばとなり、年を重ねていく中でようやく、先人たちのいろんな苦労、痕跡なども何となく分かってくる年になった。私どものような伝統文化の世界にいる人間というのは、恐らく知らないかたがたは、同じことを繰り返せば築けるだろうというふうに思っておられると思うが、実は、それでは伝統文化はほとんど絶えてしまう。恐らく、お二方ともその認識はおありだと思うが、神社もよく見ていくと、その時代の人々が苦労をして、大英断をしている。お二方に、伝統文化の継承について、中里さん、小川さんの順でそれぞれお話を賜りたい。

中里氏:初代が1596年に、唐津ではなくて、伊万里を使って釜を焼いていた記録がある。初代が中里又七という。2代目から中里太郎右衛門。それから3代とずっと来て、私で14代目。伝統を継承していくのは、やっぱり、常に時代に合ったものを作り続けていくということではないか。特に、先ほども話したように、自然の体系というか、自然の中で作っていくものなので、特に木と水と土と火が一緒になってこそ、この焼き物の芸術は生み出される。

代々続いてきているが、400数十年前の唐津焼は最先端の焼き物だった。朝鮮半島から陶工たちが渡ってきて、日本にいた陶工と一緒になって完成形できる。当初はやはり、それが最先端の技術を駆使して作られたもの。それが代々伝わってきて現代に至る。現代の陶芸家はいかんせん、古いものを模範としようとする人が多い。私、よく若い陶芸家たちに話すのは、古いものをもちろん勉強のためにするのはいいけども、それを生涯のテーマにしてやっていくと、どうしても昔のものには負けてしまう。どうしても巧妙なコピーにしかならない。というのは、やはり最初に作った陶工たちは、思いを込めていい焼き物を作ろうというものが唐津焼だった。今の時代にそれを復元しようといっても、どうしてもコピーにすぎない。じゃあ、どうするかというと、やっぱり各代、各代がその時代に合わせて、物を作っていく。それがやはり新しい唐津焼であり、伝統という意味ではなかろうか。

そういうことを思って、日々、私も作陶している。でも、先ほど申しましたように、もちろん技術が大事だが、最終的にはやっぱり作るときの気持ち。体調も含めて。やっぱりいい気持ちという思いで作ったら、素晴らしいものができるような気がする。具合が悪かったり、体調が悪かったらいいものができていない。だから、自分の気持ち、体調も含め、自然と一体化した物の考え方、または作陶への姿勢、それを時代と合わせる。今後、未来につなげていく。これが伝統ではないか。

小川氏:自分は神社仏閣を造っているので、形として現れる。ですから、今思えることを精いっぱいやっておくということが大切だと思う。下手は下手なりに精いっぱいやらなければならない。なぜ精いっぱいやらなければいけないかというと、次の世代の人のためにうそ偽りのあるものを残してはいけない。うそ偽りのないものを、自分に言い聞かせて精いっぱいやっておけば、この建物を解体したときに平成の大工さんは、こういう思い、こういう考えで造った。それを読み取ってくれる人が現れる。ですから、読み取ってくれるようなものを造っておかなければいけない。法隆寺の昭和大修理のときに西岡棟梁をはじめ、そして現場の職人たちが1300年前の工人たちと会話をすることができたから、飛鳥建築が今、よみがえって、昭和によみがえって、自分たちにこれが飛鳥建築ですよと見せていただいている。

ですから、本物を造っておきさえすれば、技術というものはよみがえるものだ。そして、本物はいつの世でも変わることなく心打つものだと思う。自分が西岡棟梁から仕事を教わった、自分がその弟子に教えた、それを伝統とか引き継ぎとか言う人もいるが、そんなの何でもない。西岡棟梁と自分との間に薬師寺さん、法隆寺さんを造った。自分と弟子の間にもたくさんの建物を造っておいる。それをただ精いっぱい、うそ偽りのないことを一生懸命やっておきたい。それがいいんだと思う。

葦津氏:どうも、ありがとうございます。神主として勉強させられる内容で、本当にありがたい限りだが、時間が迫ってまいりますので、次に進めていきたい。

昨日、第2分科会において『環境と経済の融合』などが論じられた。恐らく、今日、お見えの方々も同じではないかと思うが、近年、仮想通貨とか、いよいよ実体経済との乖離が進んでいくのではないかと危惧する人たちも出てきた。お金という貨幣については、物の売り買いの平等性を保つためには便利なものではあるが、今後貨幣というものが、果たして価値を維持できるのか。であれば、新たな物々交換、かつてのような循環型社会ができないか。環境問題を追及していくと、いずれこのような問題に直面していくと考えられるが、かつての江戸時代の町というのは貨幣と物、年貢等々で経済を循環させて、世界最大の人口密度の大都市を形成し、さらに独自の多様な文化を育み、芸術を育んできた。しかも、循環型システムも既に構築されていたといわれている。

そういう中で、今日はITの話もあった。近年の技術革新というものは産業構造を大きく変えるとも言われている。ただし人間が生きていくための衣食住、その根底となる第一次産業というのはどのようになっていくのか等々、不安は尽きないが、近年のトレンドを含めまして、技術革新の行く末について、川勝知事より少しご指導いただきたい。

川勝知事:第1次産業が衰退した国は必ず亡びるという確信がある。通常、科学・技術、なかんずく科学というのは普遍性というものを特出しているように思うが、しかし、そうかなと。科学・技術、西洋起源とあるが、これは地域色というか、個性を持っているというふうに思う。科学は真理を追求するが、その真理という、そういうコンセプトは神の指示と一体のものであろう。その神というのは、天地創造でこの世界を造って、6日目に人間を自らの姿に似せてお造りになって、この世界はおまえたちのためにあるのだから、産めよ、増やせよ、地に満てよ、と父は言った。同じように、科学的指示をベースにいたしまして、技術をそれに形を変えまして、この人間中心の技術を、世界をつくってきたことが、今日の問題に関わってくる。

一方、日本技術につきまして、例えば明治以降にようやく技術が来たように思われる節があるが、実際は『バテレンの世紀』という本を九州の方がお書きになっており、戦国時代に確かに来ている。そのときに、面白いことが二つある。機械時計と、それから鉄砲。鉄砲はあっという間に、日本人はそれをコピーして、長篠の戦いにも3000丁の鉄砲を使った。いわゆる三段射法で、連続射法で、世界で最もたくさん鉄砲を使った、最も最先端の戦法であったといわれている。要するに軍事大国だった。しかしながら、江戸時代は鉄砲を使わない。赤穂の討ち入りは鉄砲ではない。槍と刀です。そのように、刀に戻ったが、刀も活人、殺人剣から活人剣に、人を生かす剣、いわば武士の魂に変わった。だから、鉄砲の発達が止まった。そういうことをした、恐らく世界で唯一の民族じゃないかと思う。

それから、機械時計。これはザビエルが持ってきたもの。機械時計というのは24時間、24等分して、一日を等間隔でやる。日本に来た機械時計がどうなったと思うか。これは、放置されたままである。そして今、最も古い時計の一つが久能山の東照宮に、スペインのフェリペ3世からもらったものがあるが、使わないので、そのときのまま残っている。そのときのヨーロッパの技術が分かるということで、国宝になる可能性がある。それはともかくとしまして、なぜ使わなかったのかというと、自然は、夏は日中が長い、夜は短い。逆に冬は日中が短く夜が長い。そして、日の出から日の入りをちょうど6等分しまして、そして、亥の刻何とかとやっていた。実は、時刻と同じように刻むというのは、自然と合わない。自然に応じた機械を作ろうということで作った。それが和時計というもの。ですから夏は、日中はゆっくり針が動く。夜になると、とっとっとっとっ、と動く。そして、また秋になってくると戻って、冬になりますと、日の出から日の入りが短いですから、ぱぱぱっと動いて夜はゆっくり動く。和時計の最高傑作が、からくり儀右衛門といわれた東芝の創始者の、万年時計といわれるもの。そういう技術に変えている。

ですから、自然に動いていた形で技術を使ったという点で、私はこの東宮の機械時計よりも和時計のほうが、機械、技術の水準が高い。今、小川さんと中里さんの両名人のお話を聞いていると、自然に即して、自然に逆らう、自然に不利なことをしてはならぬということをおっしゃっている。そして、精いっぱい働くことが大事だと。ちなみに日本の農業は、当時、多肥集約農業ということで、勤勉革命、Industrious Revolutionを果たしたといわれている。土地の生産性が世界一になる。ヨーロッパでは、いわゆる労働節約型の、資本集約型の革命、これは産業革命といわれる。要するに、徹底的に綿なら綿を、あるいは陶器なら陶器を、あるいは建物なら建物を建てるために、徹底的に仕事をする。労働というのは仕事。仕える、仕事の仕はつかえると読み、仕事のことを仕えると言う。相手に仕える形で自らその、いわば媒体になっていると。こういう姿勢。ですから、いわば自然の声なき声を聞く、あるいは形なき形を見ながら、そこに一つの形を作り上げていくと。こういう技術というのが、日本が持ってきた技術である。

今、原子力発電所をはじめ、さまざまな環境に悪なるものというものができて、先ほどの若い青年たちの議論もあったが、自然に即した、例えば風力とか潮力とか、あるいは水力とか日光とか、こうしたものを活用した自然エネルギーに取って変えていこうという動きが出てきている。これこそ、かつて自覚的ではないままに、日本をつくり上げていった技術の轍なんだと思う。それは実は、最初に人間が大地に対して手を下す農業、ここに原点がある。つまり、大地からの恵みをどのように頂くか。こういう意味では、環境破壊の時代になりまして、日本の江戸時代に培われたそういう技芸の革命と言っていいと思うが、技芸を石にしてしまったというか、そういうものがこれから見直されるべきときが来ているのではないかと思う。いわば、江戸時代を正、今のこの東京時代を反としますと、正、反、合と、反を媒介にしてもう一度、その江戸時代の270余りの藩が、自国の中で、それぞれリサイクル、リユース、リデュースをし、そして、この循環型の社会を作っていった。一方、地球は今、閉じられている。どのように循環させるかということが国連の課題になっているため、日本の出番が来ており、そこに中里さんだとか小川さんの哲学がある。そして、この哲学を生かすためには、データが必要である。ですから、こういう匠の技を、そのITやAIを使いながら、これを人類共有の財産にしていく。その背景にある哲学を、こういう方々が発信していくという時代が来ているのではないか。

葦津氏:伊勢神宮に行かれた方も大勢いらっしゃると思うが、日本神話とか神社を見ていくと、先ほど川勝知事のほうからもお話がありましたように、どうやら、われわれの先人たちは自然の摂理を熟知して、それを循環系のスタンスの中で暮らしていたのではないかと気づく。しかも、自然の中に神々を見いだして、自然への抑止力を働かせ、多様な生態系と持続可能な社会システムを作り上げてきたのはないか。

伊勢神宮は、全国8万の神社の中でも特別な神社とされており、今から1300年前より、20年ごとに建物だとか神宝類を作り変える式年遷宮を行ってきた。20年に一度建て替えるこの姿を、木々がある日芽吹くように常若と称して、自然循環系のシンボルといわれている。実は、この広大な伊勢神宮であるが、大きな森を抱えている。伊勢神宮の境内地は、東京にお住まいの方だったらお分かりだが、ほぼ世田谷区と同じぐらいの敷地。世田谷区って結構大きくて、パリ市と一緒。そのほとんどが、恐らく9割が森である。その森の中で神宮は衣食住のお米、野菜、果樹、塩、森、経済林の森、それから宮大工さんを抱えている。伊勢神宮は建物ばかりに目を奪われるが、先ほど前のスライドにあったように714種、1576点の神様の着物、あるいは神宝類などを、20年ごとに、その時代の人間国宝級の方々が調整をされて、作り替えられている。その中で伊勢神宮を見ていくと、日本人の一つの原点として自然循環系、自然の摂理を熟知した中で、伝統工芸を含めて、そんなものを繰り返しし続けているということが理解できる。

小川さんの師匠は、法隆寺の再建をされた。伊勢神宮は、それから約100年近く遅れて式年遷宮という制度が確立をさせていく。東京にいたときに、小川さんのほうから「伊勢神宮は柱を土に埋めている。法隆寺は石の上に建っている。これは決定的な文化の違いが如実に出ている」と伊勢神宮のほうが日本人らしいという指摘をされて、はっとしたことがある。朽ちるのを前提に作っている伊勢神宮というのは、よく考えられている。最後は惜しがったんが、われわれは1000年に1回しか仕事がないけど、伊勢の宮大工は20年に1回仕事があっていいよな、ということもあった。

神道には『むすひ』という非常に大切な言葉があります。簡単に言えば、つないでいくという意味でありますけれども。実は小川さんのほうから言われてはっとしたが、この結ぶというのは、式年遷宮がまさに20年ごとにバトンを受け取っていくが、未来を信じていないと、これはなかなか持続しない。そういった意味では、われわれ先人たちは、本当に潔かったのかなという気もするし、それが今も続いているということである。そういう中で、本日のもう一つのテーマである『持続可能』について話を伺っていきたい。ここでやっぱり大きな問題となるのは、先ほど来話が出ておりますけれども、持続可能な社会に向けての精神的支柱をどうしていくか。もう答えが出ているような気がしますけれども、改めまして、小川さん、中里さん、川勝知事よりそれぞれ、時間が迫ってまいりましたので、短めにお言葉を賜りたい。

小川氏:先ほど伊勢神宮と法隆寺が出ていたので、その話をちょっとするが、法隆寺は、やはり大陸からの考えを教えてきたんだと思うが、それは石の上に柱を建てる、屋根の瓦を造るというようなことである。しかし、ちょっと考えてみてください。それを全部まねしたのではない。向こうは、雨が少ないから軒が少ない。しかし日本は雨が多い。ですから、基壇を高くして軒を深くしたという、それが、その美しさを表すわけだが、そういうことを一気に考えた。ですから日本人は、猿まね、猿まねと昔言われたが、猿まねじゃない。本当に心の中から出てきたのが、あの形だと思う。で、それを作って、石の上に建てた。そうすると、柱の目が腐らないで済む。そうすると1300年ぐらい建ち続けることができる。

それから、持統天皇が薬師寺を建てた。薬師寺は土の上に柱を乗せて瓦をふいてある。しかし同じときに、伊勢神宮の遷宮が始まるわけで、えらい人だったと思う。日本の神様は日本的な造りで造るというようなことをやった。そうすると、ここで一番は、木を土の中に埋めますから、木は腐ってしまう。それで20年の遷宮というものをしていかないと続けられない。そこで大切なのは、20年に1遍大きな木を使うから、木を育てるということを伊勢神宮はしていること。しかし、法隆寺は木を育てていなかった。そのため、これから400年ぐらい先に大きな修理したときに、修理する材料がない。どういうことかというと、どうしても柱の根の方が、風雨にさらされており腐る。そうすると、それを1本替えるんじゃなくて半分に切って、半分接ぎ木をしてやる。その根接ぎする材料すら、今のままではない。ですから、建物に関しては、つなげるということは皆一生懸命考えてやったことなんだが、この法隆寺のようなものは何年も持つ。しかし伊勢神宮は、それほど持たないから木を育てる。どっちがいいか分からないが、つなげるということでは同じ考えで造ったんだと思う。

中里氏:ちょっと持続可能な社会の精神的な支柱というテーマが、よくいま一歩理解できていない。うちの場合は代々14代続いているが、私が知る限りでは、祖父12代、父13代。私、息子が1人いる。それぞれに、人間が違うと考え方も違うし、生きていく生き方も違うし、当然作るものも違う。でも、その、12代の前、11代も写真では知っているが、11代は焼き物というか、器ものではなくて彫刻。彫刻を作っている。12代は、400数十年前の古唐津を復興して人間国宝になった。昔のものをいろいろ調査、研究して、復元、70パーセント復元みたいな形である。そこに自分の性格、思いというものを表し、ただの復元では終わってない。それが素晴らしい。

父は小さい頃、絵が大変好き、得意で、85で亡くなるが、亡くなる二日ぐらいまで絵を描いていた。父は、自分の父が12代と同じようなもの作り、世界中を回った。世界のいろんな焼き物の技術を取り入れて、それを唐津焼に映し出した。だから、私はどうしようかなと思った。私は武蔵野美大で彫刻専攻で、彫刻の勉強をしてから焼き物をやり出した。祖父は伝統唐津、父は新しい唐津。色を使ったりした。私は今、その中間みたいな感じで進んでいる。

ただ、各代はその生き方も環境も違う、時代も違う。だから、それぞれである。結果的にずっと、つながって続いている。そうやって続いていけることが、その伝統につながっていくだろう。さっき小川さんが言われたように、とにかくそれぞれが一生懸命、一生懸命作っていけば、それは結果が付いてくる、のようなことをおっしゃったと思うが、私もそういう思いで、とにかく各代は各代、自分は自分、息子は息子で、自分の思いで一生懸命、真摯にもの作りに励んで、そしてそれが、心がそのものに反映していけば、ずっと続いていって、唐津焼でいうと、それが伝統になって将来に続いていくと考えている。

川勝知事:持続可能なという、異質な言葉は良くない。SDGs、国連が定めたSustainable Development Goals。1992年のリオデジャネイロの、いわゆる地球サミットで初めて、アマゾンがどんどん開発されて駄目になり、地球が駄目になるということで持続可能と言い出した。sustainというのは支え続けるということなので、持続的なということです。ableは可能ということですから、それでいいのだが。

今、葦津宮司さんが、常若って言われた。これが日本の言葉じゃないかと。持続可能性というものを日本の、いわば文化的な言葉に置き換えると常若になる。常に若々しいということ。この持続可能にするために、先ほど法隆寺ののうように長く、なるべく続ける。一方、常に若返る。新鮮で、いわば真っさらになる。こういう形で、この二つのやり方が、どうも伊勢神宮的なものの方が、われわれにとっては何となく親しみやすい。これを育てる季節が移り、そして、枯れたものがやがて種子になって、また新しい芽が出る。常に真っさらになる。鎮守の森がある所に神社があって、そこで自ら全部、いわば、心のみそぎをする。真っさらになる。これが日本のやってきた持続可能性の、知恵なのではないか。常若というのは、台風だとか、やくざだとか、津波だとか、いろいろと日本発の言葉がありますけども、常若も、この宗像さんから発信されたらどうかと思う次第である。

宗像国際環境100人会議 学生宣言

『海を耕せ』。これは、長崎大学名誉教授の中田英昭氏が私たち学生に宛てたメッセージである。 海を耕すというイメージは湧きづらいが、地球表面の7割を占める海を知り、次世代へ豊かな海を残していくことがこれからの世の中を生きてゆく私たち『WAKOUDO』の使命であるということを教えてくれた。

現在の便利で豊かだと錯覚している生活の裏側には、必ず影響を被る自然がある。そのことに対して私たち人間はあまりにも無関心ではないだろうか。海の生き物も同じ地球に生きる仲間。その環の中で生かされているのは私たち人間の方。あの海岸ゴミに込められた命への問いかけにどうしたら答えることができるのだろうか。海からの視点で私たちの暮らしを考え直す必要がある。

私たち学生一同は、豊かな海を次世代に繋げていくために、現在行われている魚礁設置や海ゴミの回収活動等を継続する。また、調査を行って得た結果を積極的に発信するほか、学校の授業で体験型の環境教育を行うことで海の環境問題への関心を広げ、活動の輪を広げていくことで次世代へと引き継ぐことができる「持続可能な環境活動」を行うことを、ここに宣言する。

平成30年8月25日 第5回 宗像国際環境100人会議 学生分科会 参加者一同


第5回宗像国際環境100人会議 宗像環境宣言

昨年、世界文化遺産に登録された、『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群は、古代より海の信仰が息づく地域であるが、近年その海が著しく変化し、漁業に携わる人々は海の生態系の変化などにより、限界に達しているとの声もあがっている。

今年、第5回目となる宗像国際環境100人会議では、「水と命の循環~自然への感謝と畏怖」をテーマに、なぜ、持続可能か?について3日間の議論を重ねた。頻発する豪雨、温暖化の影響による農作物の影響、マイクロプラスチックの問題などを共有し、人間の利便性のもとに、日本の村々にあった循環型社会をわずか半世紀で大きく変容ささせてしまったことを再認識した。

かつての日本は日本神話の海幸山幸にもあるように、山の民と海の民は補完しながら、畏怖畏敬の念で豊かな海と山を育んでいた。しかし、経済を中心とした今日の大量生産多量消費は、わずか百年という短い時間で国々、地球を大きく変えてしまった。そして、その対応は急がなければならない。

グローバル化という名のもとに地球規模で失われてきた地域や国々の多様性、循環系を取り戻すためには、かつて貨幣経済と米や海産物などで循環型社会を維持していたローカルな仕組みを基礎とした社会を目指すべきではないか。

私たちは、ここ宗像の地で、先人たちの声に耳を傾け、環境と社会と経済とが共存し、慈しみや、優しさにあふれた環境・生命文明社会の実現を目指すことを宣言する。

平成30年8月26日 第5回宗像国際環境100人会議 参加者一同